むかしむかし、まだ天も地も、時すらも芽吹いておらぬ頃――。
そこにはただ、うつろなるものが、しずかにたゆたっておった。
やがてその「うつろなるもの」の中に、どこからともなく温かな風がふいてきた。
それは目に見えず、音もなく、けれど確かに心をふるわせる風であった。
その風にふかれて、三つの響きがそっと芽を吹いた。
それが、ア・ウ・ワ。
この三つの響きは、やがて形を持ち、声を持ち、天地の理を抱く三柱の神となった。
人はこの三柱を、「ミオヤノミコト(御親命)」すべての命のはじまりを抱く、音の親神と呼んだ。
ミオヤノミコトは天・火・地を調え、光と動きと結びの場を、この世に初めてもたらした。
その「場」にふれ、ふたたび風がめぐるとき――
ひとつの響きが八つにわかれ、八柱の神があらわれた。
それが、ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メ。
人はこれを、トホカミエヒタメノカミ(遠神八柱命)と呼ぶ。
これら八柱は、ミオヤの御心を受けて、天地八方に散り、世界に法と秩序とめぐりをもたらした。
彼らが歩むところに季節が生まれ、語るところに音が宿り、ふるうところに命がめぐる。
そしてこの八神のうねりから、やがて――
四十の音の神々(言霊の神々)が目を覚ますこととなる。
かくして、四十八の言霊の神々が揃い、それぞれの役割を果たしながら、この世界を調和と平和で満たした。
言葉は優しく人々の心を繋ぎ、火は暖かく命を育み、大地は豊かに実りをもたらし、風は自由に生命の息吹を運んだ。
神々の響きは、やがて人の心にも宿り、人は神々の教えを胸に、互いに助け合い、共に生きる道を歩んだ。
そして世界は、一言の神たちの調和のもと、永遠の平和を刻む歌となった。