指先、が見えた。
すこし歪んだ、レトロなガラス窓を通して店の中を覗いてみると、男が茶を入れている。
その、指先が見えた。
白くて、長い指をしていた。繊細で薄い手だったが、その手の甲には青い血管が浮いていて、それが余計に男の肌の色を白く際立たせている。
境恭介は、店の外から、じっと中の様子を伺っていた。
立っているだけでもじんわりと汗が噴き出してくるような、と酷い暑さが続いている。外回りの最中、恭介はアスファルトの照り返しから逃れて、ふと日蔭の路地裏に迷い込んだ。
あたりを見回す。ビルの谷間のような土地だった。そこには広い池がある。池には沢山の蓮の花が浮かんでいた。濃いピンクや、白い蓮は、凛として咲いていて、見ているだけでも清々しい。
(ここは、ビルの谷間のはずなんだけど……)
地図アプリで場所を確認してみようか、と思ってスマートフォンを取りだしたら、『圏外』の文字があった。おかしなことだ。都心の一等地、そのビルの谷間。電波が届かないというのが、信じられなかった。
もう一度、店内を見る。
蓮で覆い尽くされた池の辺に建つのは、瀟洒な建物だった。少し大陸風のレトロな作りに見えるが、よく解らない。瓦屋根の縁は、反り返っていた。
『茶藝館『春台亭』』
と看板が掛かっている。
「茶藝館……」
一体何をするところだろう……と思った時、脳裏で甘い声が聞こえた気がした。
『お茶を提供するところですよ』
ドキっとした。
鼓動が早くなって、息苦しい。今のは何だっただろう……と思うがすぐには思い出せない。
そろそろ戻らなければならないはずなのに、脚が吸い付いたように動くことが出来なかった。
やがて、カタカタ、と音を立てて、茶藝館の戸が開く。
「あっ……」
中から、先ほど、茶を入れていた男が出てきた。
年の頃は、二十代の半ばくらいだろうか。絹糸のような黒髪は長く、背にそのまま流されている。整った顔立ちをしていて、切れ長の眼差しが、怜悧な印象だった。そして―――。
(ああ、あの指だ……)
恭介の視線は、あの白い指に引き寄せられた。
長くて、細い、優美な指だった。冷たそうな……、指。
「お茶を、呑んで行かれますか?」
囁くような声音が聞こえてきて、思わず耳を押さえてしまった。耳元で囁かれたような気になったからだった。
美しい
「お茶ですか」
と応えてから、間の抜けた回答だったかも知れない、と恭介は思った。
男は、少し身をかがめて口許に手をやって小さく笑った。
白くて美しい指が、口許を覆った。薄くて、朱い唇だった。
「こここは茶藝館。お茶を提供するところですよ」
胸が撥ねた。
さっき、脳裏で聞こえた声と、まるで同じだったからだ。
胸騒ぎのような気持ちになりながら、恭介は、彼の指に、朱い糸が結んであるのに気が付いて、「あ」と声を上げてしまった。
(覚えがある……)
幼い頃、恭介は、見ては行けないものを見てしまったことがある。
見知らぬ誰か同士が、性交をしている所だった―――。
いや、本当は、見たのかどうかも解らない。
今まで、ソレを見たのがどこだったか解らなかったが、彼の指に巻き付いている朱い糸に見覚えがあった。
甘い声が、断続的に響き、肉を張る音と、濡れた音が響くのを、幼い頃の恭介は見ていた。
建物の外から、覗き見をしていたのだ―――。
最初、それが何をしているのか解らなかった。
とても、グロテスクな行動のようだったし―――同時に、神聖な行動にも見えたからだ。
ひときわ大きい声が聞こえたとき、男を受けていた人と目が合った。
切れ長の
朱い唇。
黒くて長い髪。
そして、口許を覆った手にの、白い指に巻き付いていた―――朱い、糸……。
「覗き見をしていらしたでしょ」
男に言われて、ドキッと胸が撥ねた。
幼い頃の覗き見を―――言われたような気がしたからだった。
「あ、あの……済みません……その、なにを、しているか解らなかったもので……」
あの時、確かに、子供の頃の恭介は、彼らが何をしているのか解らなかった。
あれが性交で、しかも男性同士の交わりだと知ったのは、それから随分後になってからのことだった。
「ああ、馴染みがない方には、珍しいモノでしょうね……」と言いながら、彼は、店内のテーブルの上を指し示す。そこには、素朴な茶色い色をした茶器が、置かれていた。「これで、お茶を入れていたのです」
恭介は、おもわず、ほっと吐息した。
子供の頃ののぞきを、言い当てられた訳ではないからだ。
「ご興味があるようでしたら、呑んで行かれますか……?」
柔らかな声に誘われるように、「はい」と応えると、彼はうっすらと笑って、店内へ誘う。
「ようこそ、いらせられませ」
その声に、甘く、腰が震えた。