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やわらかで甘い桎梏
やわらかで甘い桎梏
七瀬京
BL現代BL
2025年06月30日
公開日
1.1万字
完結済
都会のビルの谷間にある茶藝館「春台亭」。 いつ空いているかも解らない、不思議な店には、美しき店主が一人。 主人公は、子供の頃、ここへ迷い込んだ事がある気がしていた。 その時、見ては行けないものを、見てしまった気がしていたことだけが、ずっと心残りで……。 主人公を店内へと誘う店主。 気が付くと彼から目が離せなくなっていくなかで、店主は淡く微笑む。 「あなたが、私を……誘ったのでしょう……?」 囁くような、店主の甘い声音から主人公は逃れられなくなっていく……。

第1話



 指先、が見えた。

 すこし歪んだ、レトロなガラス窓を通して店の中を覗いてみると、男が茶を入れている。


 その、指先が見えた。


 白くて、長い指をしていた。繊細で薄い手だったが、その手の甲には青い血管が浮いていて、それが余計に男の肌の色を白く際立たせている。


 境恭介は、店の外から、じっと中の様子を伺っていた。

 立っているだけでもじんわりと汗が噴き出してくるような、と酷い暑さが続いている。外回りの最中、恭介はアスファルトの照り返しから逃れて、ふと日蔭の路地裏に迷い込んだ。


 あたりを見回す。ビルの谷間のような土地だった。そこには広い池がある。池には沢山の蓮の花が浮かんでいた。濃いピンクや、白い蓮は、凛として咲いていて、見ているだけでも清々しい。


(ここは、ビルの谷間のはずなんだけど……)

 地図アプリで場所を確認してみようか、と思ってスマートフォンを取りだしたら、『圏外』の文字があった。おかしなことだ。都心の一等地、そのビルの谷間。電波が届かないというのが、信じられなかった。


 もう一度、店内を見る。

 蓮で覆い尽くされた池の辺に建つのは、瀟洒な建物だった。少し大陸風のレトロな作りに見えるが、よく解らない。瓦屋根の縁は、反り返っていた。


『茶藝館『春台亭』』

 と看板が掛かっている。


「茶藝館……」

 一体何をするところだろう……と思った時、脳裏で甘い声が聞こえた気がした。



『お茶を提供するところですよ』



 ドキっとした。


 鼓動が早くなって、息苦しい。今のは何だっただろう……と思うがすぐには思い出せない。

 そろそろ戻らなければならないはずなのに、脚が吸い付いたように動くことが出来なかった。


 やがて、カタカタ、と音を立てて、茶藝館の戸が開く。


「あっ……」


 中から、先ほど、茶を入れていた男が出てきた。

 年の頃は、二十代の半ばくらいだろうか。絹糸のような黒髪は長く、背にそのまま流されている。整った顔立ちをしていて、切れ長の眼差しが、怜悧な印象だった。そして―――。


(ああ、あの指だ……)


 恭介の視線は、あの白い指に引き寄せられた。

 長くて、細い、優美な指だった。冷たそうな……、指。


「お茶を、呑んで行かれますか?」

 囁くような声音が聞こえてきて、思わず耳を押さえてしまった。耳元で囁かれたような気になったからだった。

 美しいかおには、柔らかな笑みが載っている。


「お茶ですか」

 と応えてから、間の抜けた回答だったかも知れない、と恭介は思った。


 男は、少し身をかがめて口許に手をやって小さく笑った。

 白くて美しい指が、口許を覆った。薄くて、朱い唇だった。


「こここは茶藝館。お茶を提供するところですよ」


 胸が撥ねた。

 さっき、脳裏で聞こえた声と、まるで同じだったからだ。


 胸騒ぎのような気持ちになりながら、恭介は、彼の指に、朱い糸が結んであるのに気が付いて、「あ」と声を上げてしまった。


(覚えがある……)


 幼い頃、恭介は、見ては行けないものを見てしまったことがある。

 見知らぬ誰か同士が、性交をしている所だった―――。


 いや、本当は、見たのかどうかも解らない。

 今まで、ソレを見たのがどこだったか解らなかったが、彼の指に巻き付いている朱い糸に見覚えがあった。


 甘い声が、断続的に響き、肉を張る音と、濡れた音が響くのを、幼い頃の恭介は見ていた。

 建物の外から、覗き見をしていたのだ―――。

 最初、それが何をしているのか解らなかった。

 とても、グロテスクな行動のようだったし―――同時に、神聖な行動にも見えたからだ。


 ひときわ大きい声が聞こえたとき、男を受けていた人と目が合った。

 切れ長の黒瞳こくとう

 朱い唇。

 黒くて長い髪。

 そして、口許を覆った手にの、白い指に巻き付いていた―――朱い、糸……。


「覗き見をしていらしたでしょ」

 男に言われて、ドキッと胸が撥ねた。


 幼い頃の覗き見を―――言われたような気がしたからだった。


「あ、あの……済みません……その、なにを、しているか解らなかったもので……」

 あの時、確かに、子供の頃の恭介は、彼らが何をしているのか解らなかった。


 あれが性交で、しかも男性同士の交わりだと知ったのは、それから随分後になってからのことだった。


「ああ、馴染みがない方には、珍しいモノでしょうね……」と言いながら、彼は、店内のテーブルの上を指し示す。そこには、素朴な茶色い色をした茶器が、置かれていた。「これで、お茶を入れていたのです」


 恭介は、おもわず、ほっと吐息した。

 子供の頃ののぞきを、言い当てられた訳ではないからだ。


「ご興味があるようでしたら、呑んで行かれますか……?」


 柔らかな声に誘われるように、「はい」と応えると、彼はうっすらと笑って、店内へ誘う。


「ようこそ、いらせられませ」


 その声に、甘く、腰が震えた。



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