店内は、薄暗い。
香の薫りがかすかにするが、恭介には、よく解らない薫りだった。だが、魅惑的な薫りで、酩酊していく感じがあった。
「これ……お香ですか……?」
「いいえ?」と彼は言う。「店内で、香をたいていたら……、お茶の邪魔になってしまいますから」
たしかにそれはその通りだった。
お茶の香りは、繊細だ。香水やお香の類いは、その繊細な香りを邪魔するだろう。
「こちらへどうぞ」
勧められた椅子に座って、「あ」と思わず声を上げてしまった。
「なにか?」
「いいえ……ああ、池の蓮がよく見えるなと思って」
水辺に近付いたからか、窓から蓮を摘むことが出来るほど、花が近い。
「ああ……願掛けをしているのですよ」
「願掛け……」
けれど、彼はそれ以上、何も語らなかった。
願掛けの内容を聞きたいとは思ったが、とりあえず、不審を問われなかったのは有り難い。
(この場所……って、子供の頃に見た場所だよな……)
美しい男が、性交をして居た場所。
美しい男に覆い被さって、獣のように彼を求めていたのは、でっぷりとした、醜い男だった。好き放題に、彼を貪っていたのだが、なぜ、こんな所で、性交をしていたのか、それは解らないし……。
(そもそも、俺って……子供の頃、こんな所に来るはずがないんだよな……)
超高層ビルの林立する都会。その、ビルの真ん中。そんな場所が、空いているはずもないだろう。だが、今、こうして―――この茶藝館は、ここに在る。
恭介は、店主らしき男の顔をみやった。
あまりにも整った顔立ちをしていた。現実離れしている顔立ちだ。双眸は切れ長で、鼻梁はすっと通っている。柳の歯のような眉に、薄い唇。これはあまりにも朱かった。
すらりと高い長身に、襟の立った長い衣装を身につけている。これが少々、中華風の服装、に見えなくもない。
髪は良く見ると、腰のあたりまである。
けれど――不思議なことに、女性的な感じはしなかった。
痩身ではあったが、まるみを帯びたところがないというのもそうなのだろうし、喉元や、手や肩幅。腰のラインなど、十分に男性的なものだった。
「……随分と、不躾にご覧になりますね」
テーブルを挟んだ向かいに、彼は座る。いつの間にか、テーブルの上には、茶の道具が揃えられていた。
「これは中国のお茶です。中国のお茶には、青茶、黄茶、白茶、緑茶、紅茶、黒茶と有ります。この道具で入れるのは、発行の度合いが少ない、青茶や白茶など……。黒茶などは、この道具でない方が、私は好みです」
これが茶海。お茶を均一に入れる為に使います。
こちらの急須のようなものが茶壺。これが実際に茶を飲む茶杯。
それに、薫りだけを楽しむ、聞香杯。
丁寧に説明されているが、何故か頭に入ってこない。
「……今日は、東方美人というお茶を用意しました。薫りが甘くて、とろんとしているので、飲み慣れていない方でも、美味しく召し上がることが出来ると思います」
店主が、茶道具から目を上げた。
恭介と、視線がかち合う。
「……こちらでよろしいですか?」
「ええ……」
と受けながら、恭介は、彼の手に釘付けになっていた。白くて、細い指。そこに巻き付いた、朱い糸……。
唐突に、恭介は、この指を舐めてみたい、という衝動が湧き上がってくるのを感じていた。
「お茶は、別のものをご用意しますか?」
茶葉の入った容器を見せながら、彼は聞く。うっすらと、笑みを浮かべたままだった。
茶の香りなど、消えてしまいそうなほど……、甘い薫りが漂っている。
さっきは入り口近くで薫っていたはずだが……、今は目の前から薫っている……。彼から、この甘やかな香りがしているのは、間違いないようだった。
「店主。もしかして……、香水を? もしくは衣装に香を焚きしめていたり……」
「いいえ?」
と言いながら、彼は立ち上がる。薫りが、一層近くなった。
「ほら、やっぱり……あなたからこの薫りが……」
クラクラするような、甘い甘い薫り……だった。頭の芯が、ぼうっとしてくるような。そんな薫りだ。
恭介の前に立った彼は、そっと服を寛げた。
首元から胸元までが、さらされる形になって、恭介の目の前に差し出される。
「えっ……?」
「私の……肌。確かめて見て頂ければ……」
言われたとおりなのか解らなかったが、恭介はそっと彼の首筋に顔を近づける。
「この薫りですよ……。甘くて……」
ちょっと腰に来る感じの薫りです、とはいうことが出来ずに、そのまま、肌の薫りを確かめていく。
「身体中、この薫りですね……。凄く似合うと思うんですけど……少し薫りが強いような気がします……さっきより香りが強くなったような……」
滑らかな、裸の胸に顔を近づけていて、ふと、視界に入ってきたのは、彼の胸の突起だった。
薄い筋肉の頂点にちょこんと立つ頂は、朱く充血して、張り詰めている。
(舐めたら……甘そう……)
そんなことはないのだろうが……身体中から漂う甘い薫りのおかげで、彼の身体中どこもかしこも、甘いのではないかと錯覚してしまった。
「普段は、こんなに反応しないはずなんです」
「反応……?」
「ええ。相性の問題で……反応してしまうんです。そうすると、こうして、薫りが強くなります」
どういうことか解らなかったが、彼の眼差しは真摯で、嘘を吐いているようには見えなかった。