司の眉間に深い皺が寄り、表情が一瞬で険しくなり、凛とした表情のまま、高橋を横目に階段へと足を運んだ。
ちょうどそのとき、寝ぼけ眼の拓海が背後から駆け寄ってきた。どうやらうたた寝から目覚めたばかりのようだ。「ん……なんか騒がしくないか? 下のフロア、変な空気なんだけど?」
拓海は司の隣に並び、二人で階段の踊り場まで進む。が、司が唐突に足を止めたため、拓海はあわやぶつかりかけた。
拓海は司の視線の先を追うように下を見下ろし、目を見開いた。
「うわっ……これ、修羅場ってやつだな」
宴会場はすでに騒然としていた。人々は距離を取り、中央で揉み合う数人の様子を息を呑んで見つめている。
清夏が甲高い声で叫ぶと同時に、美月へと足を蹴り上げる。しかしドレスの裾が邪魔をして狙いは逸れた。美月が悠を助けに行くのをしっかりと阻止した。
「ちょっとテーブルクロス引いちゃっただけ、 騒ぎ立てるなんて……まさか、このパーティーが気に入らなかったの?」
美月はその勢いでよろめき、清夏の甘ったるい声が響く。彼女は揉め事を大きくしたくてたまらない――どうせ誠司は自分を信じてくれるし、ついでに美月を困らせるチャンスだ。
彼女は視線で合図を送り、数人の令嬢たちが即座に反応し、美月と悠を囲むように詰め寄った。
「ちょっと、暴力ってどういうこと?」
「人に手を出すとか……ここ、どこだと思ってるの?」
しかし、美月は怯まない。
悠は次第に押され気味になり、美月は一歩踏み出して清夏の髪を掴み、上半身を力強く押さえつけた。「あんたの筋書き、全部見えてるわ。あの子たち、あんたが呼んだんでしょ?」
美月の手にはしっかりと力がこもり、清夏が呻き声を上げ、涙ぐみながらも悠の手首を必死に引き剥がそうとする。
下では悲鳴や怒鳴り声が飛び交い、客たちは動揺していたが、司の視界に映るのは美月だけだった。その姿を階段の上から見つめる司の目には、混乱の中でも毅然とした美月の立ち姿が焼きついていた。
押し合いの中でも、美月の背筋はまっすぐ伸びていて、両手で相手の頭を押さえつける姿はどこか凛とした美しささえ感じさせた。首元のダイヤのネックレスが揺れ、冷ややかな瞳と相まって、まるで戦場に咲く一輪の花のように輝いていた。
一方、悠も怯まず反撃。取り囲む令嬢たちにテコンドー仕込みの蹴りを見舞い、その場を守り抜こうとしていた。
「こっちは遊びでやってないのよっ!」
こうして宴会場では、美月と悠が二人だけで大勢を相手にしているにもかかわらず、劣勢には見えなかった。
その時、誠司がトイレから戻ってきて、この光景を目にした瞬間、顔に怒りが浮かんだ。
「美月! 清夏に何してんだ!? 文句があるなら俺に言えよ! 今日がどんな日か分かってるのか!」
誠司は美月の手首を乱暴に掴み、引き剥がそうとしたが、美月は思い切り振り払った。
「またそれ!? なんでいつも私だけが悪者なのよ!」
「清夏を放さないってことは、やっぱり非があるのは君だ!」
怒鳴る誠司。その手が力任せに美月の腕を引いた瞬間、白い肌にくっきりと赤い痕が浮かんだ。
……その時、一つの手が誠司の手首を押さえた。気付けば司がすぐそばにいて、その強い力に誠司は思わず腕がしびれた。
「そこまでだ」
低く鋭い声とともに、司が誠司の手首を掴んだ。その手は骨ばっていたが、鋼のような強さを秘めていた。
「彼女の腕から手を離せ」
誠司が驚いて振り返ると、司の冷たい視線と赤く染まった手首が目に飛び込んだ。
「俺と来い」
誠司が美月の手首を掴んだ瞬間、司の周囲は凍りつくような気配に包まれた。赤い痕が目に入り、彼の視線は冷たく鋭くなり、誠司は思わず背筋を伸ばした。
司はそう言うと、美月の手をそっと取って階段を登り始めた。
拓海は即座に警備員を手配し、令嬢たちを制止。悠を連れて階段を駆け上がる。
「今日は兄貴がいないからって、好き放題やるなよ!九条家のパーティーで暴れるなんて、どうかしてるぞ!」
「なにしてんのよ! 誠司のくせに! あんな愛人連れてきて、正妻いじめて……最低!」
悠の叫びに、拓海は慌てて口を手で塞ぐ。
「もう黙って! 場が崩壊するぞ!」
そのまま半ば引きずるようにして、二人は控室へと向かった。
二階の控室。
司は静かに膝をつき、美月の手首の赤い痕にヨード液を染み込ませた綿棒を当てる。
「……大した怪我じゃない。けど、しみるかもしれない」
思わず手を引こうとする美月。
「こんなの平気よ。悠の方が心配だ。私、護身術くらいできるから」
整った服装、乱れていない髪。
まるで何事もなかったかのような美月の姿に、司は目を細める。
そして携帯を手に取り、メッセージを送った。
「――高橋、宴会場の監視カメラの映像。確認してくれ」