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2043/07/26 (日) 20:14
横浜市郊外 某所
きっと、今そこで起きていることは、そこにいる者たちからすれば悲劇なのだろう。だが、同情する必要はこれっぽっちも無いと、多くの者たちが声を揃え、賛同することだろう。
「——っっ、がっ、ぐっ!?」
「テ、テメエ、よくもやりや——」
「な、なんなんだよ……なん——」
そこにいる者たちが躍起になって殺害しようとしている襲撃者の見た目は、小柄で、能楽に使われそうな黒猫の仮面を被り、黒を基調とした——大衆がイメージする吸血鬼のような——豪奢でありながら落ち着いた雰囲気の服装であり、左腰部に刀を二本差す。
そして、
「囲め囲め!数はこっちが——」
「がっ……あ、が……」
「う、撃て!殺せ殺——」
襲撃者から見れば、そこにいる者たちが不思議なことをしているようにしか見えない。明確に敵と断定できる者との死の押し付け合いをしている最中に、手より口を動かすことを選ぶ、その愚かさに襲撃者は呆れていた。
だが、襲撃者は知っている。そこにいる者たちが、ある症状によってこうなってしまっていることを、襲撃者は教えてもらっていたから。
襲撃者は、そのことを聞かされた時、とても落胆したことを憶えている。
それは、渋谷事変以前の者たち、特に日本人が呼ばれることが多かった言葉。渋谷事変から五年。多少変わったとはいえ、見るものが見れば、その程度の変化は単なる誤差と切り捨てられる。襲撃者は今まさに、そのことを実感し、そんな感想が脳裏に浮かんでいた。
平和ボケした自称戦士など、田畑のカカシとなんら変わりない、と。
「こ、こんな化け物、どうしようも——」
「く、来るな、来——」
そこにいる者たちは、必死に抵抗していた。ピストルにアサルトライフル、サブマシンガンと、魔導銃、非魔導銃かは関係なく、襲撃者を殺そうとしていた。だが、襲撃者は止められない。
襲撃者を視界に収めた瞬間、襲撃者に銃口を向けた瞬間、引き金を引こうと意識した瞬間、そのいずれかの瞬間ののち、いかなる行動も取ることが出来なくなる。運良く、引き金を引けたとしても襲撃者に当てることは出来ず、それどころか味方に当てる始末。
頼りにしたい味方がそんな状態に次々と変えられていく場面を直視しながら、しかし何の行動も起こせず、誰も彼もが泥沼に沈んでいく——恐怖という泥で満たされた沼の、底の底へと沈められているのだ。
「ふ、ふざけたことしやがって……」
六階建てのビルを、ワンフロアずつしっかりと見て回って、忘れモノがないように進む襲撃者。そんなことを繰り返しては六階にやってきた襲撃者は、残る最後の部屋に入る。そこにいたのは、体格の良い水色頭の大男。
「俺らにこんなことして、ただで——」
「……ふふっ——」
襲撃者が、中世的な声音を口から奏でては微笑み、二歩、後ろに退がる——と、巨大な氷柱が地面から生える。それは、つい一瞬前まで襲撃者がいた場所から生えており、もし、その場に留まっていたとしたら、軽い怪我で済まなかったのは間違いない。
先ほどまでの平和ボケしていた者たちとは異なり、激昂しているふりを見せる、その裏で、確かな殺意を乗せた攻撃を仕込むその男を、襲撃者は戦士と認識し、微笑む。
「——っっ、感知持ちか!」
微笑んだ襲撃者は思う。少しは楽しめそう、と。次いで、一歩、身体を横にずらしては屈む——地面と背後から巨大な氷柱が生えるも、襲撃者は完全に読み切る。
「なっ!?くそっ——」
前傾姿勢から前に踏み出し、一息で男の前に現れた襲撃者は、急に立ち止まり、後ろに飛び退いては、身体を宙に舞わせる——前後左右斜め、合わせて七本の氷柱が室内に出現するも、それら全てが重ならないポイントに、襲撃者が身体を投げ出していた。
「予知持ちは反則だろうが、ぐっ!?」
身体を回転させることで二刀を振るい、周囲の氷柱を破砕、宙に舞う氷片を足場にして駆ける襲撃者は、男を間合いに捉え、右の一振り——しっかりと振り抜かれたそれは、刀としての役割を果たしてはいたものの、その感触は、生き物のそれとは全く異なっていた。
「はぁはぁ、化け物かよ——」
襲撃者が断ち斬ったのは、氷の盾。厚さは約三〇センチメートル。形状はタワーシールドと呼ばれる長方形の大型の騎士盾。大きさは、水色頭の大男すら覆えるほど。その硬さは、戦車の装甲か、それ以上。込める魔力に応じて、その強度は変わる。
今回、込めた魔力は膨大——追い込まれていると感じていたことで、無意識に魔力を多く込めたその大男は、自分に感謝していた。氷の盾が斬られている感触が伝わってきた瞬間、すぐさま距離を取り——直後、氷の盾が完全に切断される。もし、わずかでも注いだ魔力量が少なかったら、その時点で死に瀕していたことを大男は理解していた。
そして、水色頭の大男は、どうやらここまでのようだ。力無く膝が折れ、床に這いつくばり、呼吸は荒く、手足に力は入らない様子。何より
「はぁ……ったく、テメエみてえな化け物に狙われるなんてな、運がねえ——」
この日、とある傭兵クランが壊滅したとの報が出回った。A級傭兵をリーダーとするそのクランは、その日の昼、探索者ギルドにて騒動を起こしていたことから、報復による襲撃を疑われたが、探索者ギルドは否定。明確な証拠も存在しないため、傭兵ギルドもそれ以上の追求はしなかった。
横浜という地を舞台とした争い、その情勢は、混迷度合いが大きくなっていく。
そして、この日を境に、黒猫の仮面を被った黒づくめの二刀使いの目撃情報が挙がり始め、同時に、素行の悪い傭兵クラン壊滅の報もまた増えていった。
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魔法と異能
魔法——世界に存在する事象を拡大解釈した理想を魔力で象って現出するのが魔法。使い手の力量によって現出する際の出力や範囲、効果などが変わる。使い手次第で現出可能な事象を増やすことが可能。
異能——特定の事象の現出に特化した、個人専用の魔法のようなもの。その多くが、魔法をはるかに凌駕する力となる。現出可能な事象は限定される。
魔法、異能ともにMPイコール魔力を消費する。ただし、多くの場合、異能の方が魔力消費が多いと云われている。