「君とはもう終わりだ、ほのか」
――その一言が、私の人生を終わらせた。
ちょっと待って、それ言うの、今ここで?
このお城みたいなパーティー会場のど真ん中で、みんな注目してるのに?
「え、ちょ、待って……なんで?」
「君みたいな地味で冴えない子が、俺の隣に立てるとでも思っていたのかい?婚約破棄だ」
その瞬間、周囲の笑い声がいっせいに上がった。
上流階級の子息たちの冷たい目。
シャンデリアの光が、涙のしずくをきらめかせる。
だめだ。ここにいたら壊れる。
私は靴を鳴らして走り出した。まるでガラスの靴を落としそうな気分で。
家に帰る気力もなくて、真夜中の公園にひとり。
雨はどんどん強くなるけど、どうでもよかった。
私はスマホを取り出し、いつものように「推し」の動画を再生する。
アイドルグループ《†Neon Grave†》。
そのセンター、天ヶ瀬ルキ。
銀髪、赤い目、儚い微笑みと突き刺すような歌声――
ああ、彼だけが、私の世界の光だった。
『いつか、君を見つけ出すよ。たとえこの命をかけても』
ルキの歌声が流れる。
「……見つけてよ、今、私ここにいるのに」
涙がぽたぽたスマホに落ちる。
その瞬間、画面が激しく光った。
「え――?」
スマホが熱を帯び、光の粒が溢れ出す。
目を見開いた瞬間、まばゆい閃光が夜を切り裂いた。
次に目を開けたとき、目の前にいたのは、
濡れたアスファルトの上にひざまずく、天ヶ瀬ルキ本人だった。
「……やっと会えた」
そう言った彼は、画面の中よりもずっと綺麗で、
だけど、それ以上に――現実離れしていた。
「君が、泣いてたのが見えた。僕の契約者……夢咲ほのか」
「え、え? え??」
「君を、俺の世界に連れていく。もう誰にも泣かせない。――だから」
彼は立ち上がり、私の手をとって、静かに言った。
「俺と、結婚してくれ」
……は?
それが、婚約破棄された夜に起きた、まさかの“再プロポーズ”だった。
---
《第1章冒頭:推しの正体》
「あの、あのあの、ちょっと待って?」
私はルキの手をぶんぶん振って後退り。
「現実? 夢? それとも私がついに正気を失った!?」
「残念ながら、すべて現実だよ。いや、世界としては少し“異なる”けど」
ルキは、まるで当たり前のことのように笑った。
「僕は“ノアリウム界”の第五王子。ネオン・ルクス=フィルドール・ティアレ。君の世界では“ルキ”として活動していた」
「ちょ、名前長っ!」
「はは、こっちの名前で呼んでくれていいよ。ルキで」
どうやら彼は本当に、別の世界から来た存在らしい。
「私、婚約破棄されたばっかなんだけど……なんで推しがプロポーズしてくるの!? てか、私と接点どこ!?」
ルキは静かに答える。
「君は、僕を“本当に”好きでいてくれた。
見た目だけじゃない。歌や言葉、僕の弱さや孤独さえ、ずっと受け止めてくれていた。
君の想いが、僕の世界に“扉”を開けたんだ」
「わたしの、推し活が……異世界を、開けた……?」
「うん。君の魂は、僕の“運命の契約者”として選ばれていたんだよ。あとは時間の問題だった」
こうして私は、婚約破棄されたお嬢様から、
“推しの異世界花嫁候補”へと転職(?)することになった――
---
《第2章:推しは夜の雨にキスをする》
雨の音だけが、世界を満たしていた。
ぽた、ぽた、と木の葉を叩く水音。
冷たい風が頬をなでても、ルキ――いや、天ヶ瀬ルキ(本名:ネオン・ルクス=なんとか)の手は、あたたかかった。
「……もう、わかんないよ」
私はぽつりとつぶやく。
目の前のルキは、確かに“推し”の姿をしていた。
動画で何百回と見たあの顔、あの声。
でも、彼の目は――思っていたよりもずっと深くて、寂しそうだった。
「私、昨日まで“平凡な推し活お嬢様”だったのに。今日いきなり婚約破棄されて、推しが実体化して、異世界王子で、プロポーズって……夢じゃなかったらヤバいやつじゃん、これ」
「夢だったらよかった?」
ルキの声はやわらかいけど、少しだけ、寂しげだった。
「……」
返事ができなかった。
だって、夢で終わらせるには、彼の手が温かすぎたから。
「ねえ、ルキは――じゃなかった、ルクス王子?」
「ルキでいいよ。君が好きになってくれた名前だから」
「……じゃあ、ルキは、私が泣いてるの、ほんとに見えてたの?」
「見えてた。ずっと見てた。画面越しじゃなくて、“魂の共鳴”で」
「それ、アイドルがファンに言ったら惚れるやつ……」
「うん。だから、言ったんだ」
不意に、ルキが私の手をぐっと引いた。
水たまりを飛び越えて、少し大きな街路樹の下へ。
「風邪、ひくよ。濡れたままじゃ」
「……もうどうでもいいって思ってた」
「ダメだよ。君は大事な人だ」
――“大事な人”。
たった五文字の言葉が、胸に深く刺さった。
誰かに大事だって言われたの、いつぶりだったろう。
婚約者だったレオンには一度も、そんなふうに言われたことなかった。
私はずっと、誰かの“持ち物”で、“責任”で、“義務”だった。
でも今、目の前の彼は私を“選ぼうとしている”。
「……ねえ、本当に連れていけるの? 君の世界に」
「できるよ。契約の儀をすれば、君は“星の花嫁”になる」
「星の……なに?」
「僕たちの世界では、異世界の魂と結びついた者を“星の婚約者”と呼ぶんだ。魂同士が引き合って、未来を変える存在。君はその資格を持ってる」
「うーん……つまり、推しと合法的に結婚できる契約?」
「そうだよ」
即答だった。
私は一瞬笑いかけて、でもまた視線を落とした。
「……でも怖い。行ったらもう、こっちには戻れないんでしょ?」
「うん」
「知らない世界で、知らない人たちに囲まれて、知らない自分で生きるの、たぶん……私、怖い」
「うん、それでいい。怖いって思える君が、僕は好きだ」
「え……?」
ルキがそっと近づく。
雨の粒が肩に落ち、彼の銀の髪が、濡れながら揺れた。
「怖くても、ちゃんと立ち止まって考えようとするところ。誰かに言われたからじゃなくて、自分で選ぼうとするところ。僕は、そういう君を守りたいって思ったんだ」
「……ルキ……」
「君が泣いてる姿、胸が張り裂けそうだった。画面を割ってでも手を伸ばしたかった。だから――もう泣かないで」
彼の手が、私の頬に触れる。
「……君を愛してる。たとえ、この命をかけても」
そして――
唇が、そっと、私の額に触れた。
それはキスというには軽すぎて、
でも、抱きしめられるよりも深くて、
私はただ、息をのむしかできなかった。
「契約の扉は、君の意志で開く。僕は急がせない。……でも、僕の世界には君が必要なんだ」
私は頷くこともできず、ただ雨の中で、彼の赤い瞳を見つめていた。
それはまるで、夜空に浮かぶ赤い星のように――私の未来を変えそうな光だった。
---
《第3章:扉の鍵を持つのは、君だけだ》
次の日、目を覚ますと――彼はいなかった。
「……ルキ?」
濡れた服のまま、昨夜は夢のような感覚で眠ってしまっていた。
だけど起きてみると、手のぬくもりも、彼の声も、消えていた。
あれは夢だったのか――
そう思いたくなるほど、部屋はいつもと同じで、
スマホの画面には《†Neon Grave†》の公式動画が再生されているだけだった。
だけどひとつだけ、違うものがあった。
枕元に置かれていた、銀色のペンダント。
中心には、小さな赤い宝石。
どこか見覚えがある――そう、あのときルキが着けていたもの。
夢じゃなかった。
私はペンダントを握りしめ、学校には行かず、街を彷徨った。
ぼんやりと歩いていると、不意に見覚えのある声が背後から響いた。
「ほのか、やっと見つけた」
――レオンだった。
灰色のコート、きっちり整えられた黒髪、冷たい瞳。
一度は“婚約破棄”を叩きつけてきたはずの彼が、なぜか今になって追いかけてきた。
「……何の用?」
「婚約破棄は、俺の本意じゃなかった。そう言ったら、信じるか?」
「――は?」
思わずペンダントを握りしめる手に力が入った。
「お前の力が目覚め始めていた。周囲から“干渉を止めろ”と言われたんだ。だが、まさかお前が《扉の鍵》を持つとは思わなかった」
「なにそれ……? 私が鍵? 何の?」
レオンは一歩近づいた。
その瞳は、初めて見るような“何かを試す”光を帯びていた。
「世界の狭間にある“ルクス界”――奴が来た場所だ。そこに干渉できるのは、“魂が強く共鳴する者”だけ。
お前はその器だ。俺たちはそれを知らなかった。だから、遅れをとった」
「ちょっと待って。あなた、“奴”って、ルキのこと?」
「……ああ。あの王子は危険だ。お前を連れていくつもりだろう? この世界から消すために」
「そんなわけないっ!」
反射的に叫んでいた。
ルキの声、ぬくもり、あの額のキスが――すべて嘘だったなんて、絶対に信じたくない。
「彼は……私を“大事な人”って言ったんだ。そんなの、嘘じゃない」
「信じたい気持ちは理解する。でも、それは“術”かもしれない。君の魂を開かせるための――な」
「……黙って」
レオンの口調は冷静だった。
でも、彼の言葉が突き刺さるようで、私はうつむいた。
そのとき、ペンダントが淡く光った。
《ほのか。君を試す声が聞こえる。でも、僕は君を信じてる。君の意志が“扉”を開く。僕は、君が選んだ道を受け入れる》
ルキの声だった。
心の中に直接、響いてくるような――そんな優しい声。
私は顔を上げ、レオンを睨み返した。
「私は、彼を信じる。
あなたに捨てられて、推しが現れてくれて――そのとき初めて、“自分を選んでもいい”って思えたの。
だから、私はもう、誰かの都合で生きない。私の意志で、“彼の世界”に行く」
ペンダントが強く光り出す。
足元に、淡い星の光が満ちていく。
「君は……!」
レオンが目を見開く。
空間がねじれ、銀の蝶のような粒子が私の周囲を包む。
ルキの声が再び響く。
《来て、ほのか。君が望むなら、僕はその世界を変える》
「……行くよ、ルキ」
私はそう言って、光の中へと身を投げた。
次の瞬間、重力がふっと消え――
――私は、“推しの世界”に、旅立った。
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《第4章:星に選ばれし者》
まぶしい――
光に包まれた視界は、まるで天井のないプラネタリウムの中に落ちたみたいだった。
私はゆっくりと目を開ける。
そこには、夜空よりも深い青と、星屑のような城が広がっていた。
「ここが……ルキの世界?」
透明な床の下には宇宙のような空間が広がっていて、星々がゆっくりと巡っている。
私は“空に浮かぶ城”に立っていた。
そのとき、足音がした。
「ほのか!」
――ルキだった。
銀の髪をなびかせて、彼は駆け寄ってきた。
さっきまでの“画面の中の推し”ではなくて、ちゃんと息をしている“彼”だった。
「来てくれたんだね。本当に、ありがとう」
ルキは笑って、私の手を取った。
「この世界へようこそ、夢咲ほのか。ここはノアリウム界――星の王たちの棲む場所。そして君は、この世界に光をもたらす“星の鍵”だ」
……あれ? 今ちょっと物騒なこと言われなかった?
「え、私って鍵? どこか開けちゃう系?」
「うん、“運命の門”をね」
「いや、さらっと言わないで? それ重大案件じゃん!?」
「でも、大丈夫。君なら、きっと選ばれる」
その言葉の意味を、このときの私はまだ知らなかった。
ルキに導かれ、大広間に案内される。
そこにいたのは、彼にそっくりな5人の男性――彼の兄弟たちだった。
・長男:ゼフィロス=冷静沈着、全体の統治者。眼鏡で知略派
・次男:カリオン=戦士タイプで腕っぷし強い。皮肉屋。
・三男:セレス=医術と癒しを司る。中性的な美貌
・四男:ノクト=無口で影のような存在。暗黒魔術を操る
・そして五男:ルキ=“歌と光”の力を持つ、希望の王子
――そう。ルキは“第五王子”であり、この国の中では最も位が低かった。
そして、兄たちがそろって発した第一声は――
「この娘が、星の鍵だと?」
……え、そんなに驚く?
「ルキ、まさかこの世界の均衡を“地上の民の娘”に委ねるつもりか?」
とカリオン王子。
顔は推し似なのに、声がなんかガチで怒ってる。
「だって、彼女は僕を選んでくれた。僕が唯一、心を許した“契約者”だ」
「契約? また君は勝手なことを……」
ゼフィロス王子が静かに眉をひそめる。
「だが、星の扉は彼女に反応した。ならば、異論はあれど――試練を受けてもらおう」
「し、試練……?」
ルキが、私の方を見て、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「言ってなかったけど、この国では“鍵”としての資質を試す儀式があって――」
「言ってなかったどころじゃないよ!? それ最初に言うやつだよ!?」
「試練の内容は、王たちとの“共鳴”だ」
ゼフィロスの言葉に、私は目をぱちぱちさせた。
「共鳴って……?」
「それぞれの王子と一定時間を過ごし、“魂の波動”を重ねていく。その中で、本当に契約すべき者が選ばれる」
「……まさか、ルキ以外の人とも……?」
「そうなる」
ルキが視線を伏せた。
「でも……僕は信じてる。君の心は、最後まで僕を選んでくれるって」
……それ、なんて修羅場型恋愛リアリティショー。
だけど私の胸の奥には、不思議と“受けて立ちたい”気持ちが芽生えていた。
婚約破棄されて、自信をなくして、でも――
この手を取ってくれた“推し”がいたから、今ここにいる。
「……いいよ。やってやろうじゃない、試練。
ただし、ひとつだけ覚えてて」
ルキをまっすぐ見て、私は言った。
「私はもう、誰かの言いなりになんてならない。
自分で選ぶ――誰を信じて、誰を愛するかを」
ルキの目が、ぱっと輝いた。
「うん。だから君が“星の鍵”なんだよ」
こうして私は、異世界の王子たちとの“恋と運命の試練”に挑むことになった。
……まあ、まさか初日の試練で剣を振るう羽目になるなんて、誰が想像しただろうか。
---
《第5章:その手にふさわしい覚悟を見せろ》
「まずは俺が試す。異論はあるまい、ゼフィロス兄上」
「……ない。ただし、必要以上の無礼は慎め」
「へっ、わかってるよ」
こうして、私の“初試練”の相手は、筋肉&皮肉の塊・カリオン王子になった。
どこからどう見ても威圧感のかたまり。
肩幅は私の倍、背丈も優に190は超えてるし、腕なんか……柱かよ。
そして第一声がこれだった。
「ふん。地上の民は貧弱だって聞いていたが……なるほどな。見るからにひ弱な娘だ」
「はあ~~!?」
私は反射的に語尾を荒げた。
初対面なのにこの失礼なやつなんなん?
「君がこの国を導く“鍵”だと? その軟弱な細腕で、誰を守れるっていうんだ?」
「細腕だからって甘く見ると火傷しますよ王子」
「口だけは達者だな」
「王子もね」
ルキが慌てて止めに入ろうとしたが、ゼフィロス王子が手を挙げて制した。
「“共鳴の試練”は、あくまで心と心の波動を確かめるもの。戦闘であれ、言葉であれ、形式は自由とされている」
「――ならば決まりだ」
カリオンは、ゆっくりと剣を抜いた。
黒銀に光るそれは、見るからに重たそうで――でも美しかった。
「共鳴の試練、第一段階。お前には、“覚悟”を見せてもらう」
「……まさか、戦えってこと?」
「違うな。逃げずに俺と向き合え。それだけでいい」
……じゃあせめて、剣しまって?(本音)
でも、私は一歩も引かなかった。
「いいよ。逃げない。私は、ここに来るって決めたんだから」
「よろしい」
場所を移したのは、訓練場のような広い円形の空間。
足元は白い石畳、周囲には星の光を湛えた柱――
まるで神殿のような場所。
そして私の前には、剣を構えたままのカリオン王子。
「来い。何も持たずとも、構えずとも、お前が本当にここにいるなら、俺の波動は感じ取れるはずだ」
「……!」
息をのんだ瞬間、空気が変わった。
彼の気配が、鋭く、重く、空間ごと刺してくる。
鼓動が早くなる。
目の前の彼はまるで、戦場そのものだった。
だけど私は、一歩も退かなかった。
逃げたら、また誰かの影に戻る気がしたから。
「怖いよ。でも、私は……もう誰にも、力を見下されたくない!」
「ほう?」
その瞬間だった。
カリオンの剣が、一歩だけ踏み込んだ。
――風圧。
剣は私の首の横、ほんの数センチをかすめて止まっていた。
「……っ」
「目、逸らさなかったな。よくやった」
「な、何のつもり!?」
「試しただけだ。お前の眼差しと、覚悟を」
カリオンは剣を納めると、すっと私の目を見つめた。
さっきまでの嘲るような雰囲気が少しだけ、和らいでいる。
「なるほど。少しは気骨があるようだな、地上の娘。
お前のような者が“鍵”として選ばれるのも、そう無理はないのかもしれん」
「……え、それ、ちょっと褒めてる?」
「少しだけな」
次の瞬間、彼がふいに私の手首を取った。
太い指が、私の脈を探るように触れてくる。
「波動の確認だ。心を乱すな」
「乱すなって、あの……ちょっと近い……」
「黙れ。動くと感じにくい」
「そ、そう言われると余計……!」
頬が熱くなっていく。
なんだろう、この距離。
目の前の彼は、ただ無表情に心拍を読んでるだけかもしれないのに――
私の心の方が暴れそうだった。
「……悪くない共鳴だ」
カリオンはぽつりと呟いた。
「戦う者の芯に、意志の火が宿っている。それは俺の波動と共鳴する要素だ。
次の試練も――来い。逃げずに、な」
その言葉は、どこか挑戦状みたいで。
でも、胸の奥にすっと火を灯してくれるような温かさもあった。
「うん。次も負けないから」
「期待しておこう。……地上の鍵よ」
そのとき、初めて見せたカリオンの微笑みは、
なんだか“戦う者同士の信頼”みたいな、そんなやさしさだった。
試練、第一関門。
無事(?)突破。
私の中で何かが少し、強くなった気がした。
そして――ルキが、その様子を遠くからずっと見ていたことには、私はまだ気づいていなかった。
---
《第6章:恋という矛盾式》
試練の2日目、私はルキとともに再び大広間に呼び出された。
「今日の担当は、長男ゼフィロス兄上だ」
ルキの声はどこか落ち着きがなく、
ちらっと横目で私を見て、それからすぐ目をそらす。
……? なんか今日、そわそわしてる?
そう思う間もなく、正面の階段をすっと降りてきた人物がいた。
ゼフィロス王子――長男。
黒髪に縁なしの銀眼鏡、すらりとした長身。
文官のような静かな装束に、内に火を秘めたような雰囲気を持っている。
「夢咲ほのか嬢。昨日の試練は合格だったと聞いた」
「……はい。なんとか」
「僕は剣も筋力も持ち合わせていない。ただ、心を見る。
僕の試練は――“君の中の恋”を解剖することだ」
「え……えっ?」
「つまり、君が“ルキに恋をしているかどうか”を、僕なりに検証させてもらう」
「待って!?それ、めちゃくちゃ怖いんですけど!?」
「怖いのは“真実”だよ。だが、それが試練の本質だろう?」
こうして、私は静かな図書の間へと連れていかれた。
壁一面、本、本、本。
ふかふかの椅子と、暖炉と、香り高い紅茶。
まるでヨーロッパの古城みたいな空間。
そして、ゼフィロス王子が言ったのは意外な一言だった。
「まずは、雑談をしようか」
「……え?」
「愛とは、理屈を越える感情だ。ゆえに、理屈をもって分析するには、まず君自身の輪郭を掴む必要がある」
「ちょっと何言ってるかわかんないけど、つまり……普通におしゃべりするってこと?」
「……そういうことだね。たとえば、好きな食べ物とか、好きな色とか」
「うわあ、王子様が“好きな食べ物”って言った!」
「……これは必要な対話だ」
なぜか彼の耳がほんのり赤くなっていて、私は思わず笑ってしまった。
おしゃべりは、不思議と心地よかった。
「焼き芋? それはどんな調理法なんだい?」
「秋に地面に埋めて焼くんです。ホクホクしてて、甘くて、ちょっと焦げた皮の匂いが最高で……」
「……なるほど。それは確かに“好意”という名の情動を呼び起こす料理かもしれないね」
「言い回しが学者すぎる~!」
談笑のあと、彼がふと真面目な顔に戻る。
「では、質問に入ろうか」
「うっ……はい」
「君は、ルキのどこを愛している?」
「えっ……ええっと……顔?」
「外見への好意。動機としては表層的だが、否定はしない。……他には?」
「声も、優しいところも……」
「なるほど。“癒し”か。“守られている”と感じたかい?」
「……うん、たぶん、そう」
「それは“依存”ではないか?」
ぐさっ。
「……わからない。だって、あのとき私、すごく弱ってて。
ルキが来てくれて、優しくて、救われたような気がして――
でもそれが“恋”なのか、“逃げ場”だったのかは……」
「……君はとても正直だ。そこに嘘はない。
だけど――恋というのは、本来“矛盾”を抱えたものだ」
ゼフィロス王子は静かに手を伸ばし、
私の耳にかかる髪をそっと払いのけた。
「苦しいのに求める。見ていたいのに怖い。
――それでも、相手の幸せを願えるかどうかが、本物の恋の一端だと、僕は思っている」
その指先が、わずかに私の頬をかすめた。
温かくて、真剣で――
「ゼフィロス王子……?」
「……ごめん。分析するつもりだったのに、僕の方が少し、感情に引っ張られてしまったかもしれない」
彼は静かに微笑んだ。
「君の心には、確かに“ルキへの恋”がある。だがそれはまだ、熟してはいない。
――ゆえに、他者が触れる余地がある」
ちょっと待って。今のってつまり……?
「それって、私が誰と契約するか、まだ決まってないってことですか?」
「当然だろう? 試練はまだ、始まったばかりだから」
その目が、ふとだけ、ルキと似ていると思った。
けれど、奥にあるものは全然違った。
理性で恋を“理解しよう”とする、切ない知性――
そのとき、扉が開いた。
「……終わったみたいだね」
ルキだった。
「兄さん、彼女に何か“した”? ……触れたりとか」
「それは試練の一環だ。もちろん、無理強いはしていない」
「……っ、でも、顔が赤いよ、ほのか」
「えっ!? わ、わかる!?」
「僕の顔、見て。もっと赤いから」
まさかの嫉妬全開だった。
「試練って、こんなに心臓に悪いとは思ってなかったよ……」
ルキは私の手をぎゅっと握った。
その手は、図書室よりもあたたかくて、少し震えていた。
「でも……ほのかが誰を選ぶとしても、僕は……君の味方でいたい。
それが、恋ってもんだから」
ルキの目が、ゼフィロスと静かに交差する。
風が、少し冷たく吹いた。
まだ何も始まっていない。
でも、確実に何かが――揺れ始めていた。
---
《第7章:君だけは、僕のもの》
「――試練は、今日は飛ばすことにしたよ」
「え? ええええ!?!?」
目を丸くする私を前に、ルキはさらっと言い放った。
「本当は、今日はセレス兄さんの番だったけど、無理って言った。僕が君と過ごしたいって。……ダメだった?」
「ダメじゃないけど! いや、嬉しいけど! え、順番とか大丈夫?」
「順番なんかどうでもいい」
そう言ったルキの瞳は、思っていたよりずっと真剣で、強引だった。
「僕ね、耐えられないんだ。
君が誰かに触れられて、笑って、目を合わせて……そうして、少しずつ遠くなるのが」
「ルキ……」
「だから今日は、誰にも邪魔されない場所で、僕だけと過ごしてほしい。
お願い、夢咲ほのか」
彼がそう言った瞬間、心臓がドクンと音を立てた。
“推し”に誘われたら、断れるわけがない。
連れて行かれたのは、王城の奥――星の庭園。
空中に浮かぶように広がる温室のような空間。
夜空のような天井、白く光る草花たち。
青い蔦に咲く透明な花が、星のように煌めいている。
「ここは……?」
「僕の特別な場所。誰にも教えたことがなかった。
でも、君には見せたくなったんだ」
ルキは私の手を引き、温室の奥へと進む。
そこには、大きな白い月のようなベンチと、ふたり分のカップが用意されていた。
「紅茶、入れるね。……少し緊張してる?」
「え……わ、わかる?」
「顔に出てる。――かわいい」
ふいにそんなことを言われて、私は紅茶どころじゃなかった。
「ねえ、ほのか」
カップを手にしたルキが、ふいに真顔になる。
「君は今、誰かに“選ばれてる”って思ってる?」
「え……?」
「君は選ぶ立場なんだ。だけど、僕から見れば、ずっと君が僕を選んでくれたんだよ。
あの日、画面越しに微笑んでくれた。泣いてる僕に、笑ってくれた。
だから僕は……もうずっと前から、君のものだったんだ」
「……ルキ、それって……」
言いかけた言葉が、途中で止まった。
なぜならその瞬間、
彼の手が、私の髪をそっとすくい、指で撫で始めたから。
「やっぱり、柔らかい……」
「っ……ちょっと、近……っ」
「もっと近づいてもいい?」
「な、なにそれ……」
「――キス、してもいい?」
息が止まった。
庭園の静けさの中で、風がひとひら、星花を揺らす。
ルキの目が、私の目だけを真っ直ぐに見ている。
誤魔化しも、照れ隠しも、何もない。
ただ“本気”の想いが、そこにあった。
私は――ゆっくり、目を閉じた。
その瞬間、唇が、そっと触れた。
まるで、宝石を預けるような繊細な口づけ。
でも、甘く、深く、ほどけていくようで――
気づけば、背中を抱き寄せられていた。
「……ほのか、君は僕のものだよ。
誰にも渡さない。たとえ、兄弟でも」
「ルキ……」
「試練なんか、なくてもいい。
君が僕のことを選ばないなら……僕は、君を奪いに行く」
その声は、やさしくて、熱くて――
独占欲の滲んだ、まぎれもない“男”の声だった。
胸が苦しくなるくらい、嬉しかった。
だって、私はずっと“誰かの都合で価値を決められていた”人生だったから。
だけど今、
この人は私を“自分の意志で、手に入、れたい”と言ってくれている。
「……私、もっとあなたを知りたい。
恋って、きっと、知ることから始まるから」
ルキはふっと笑った。
少しだけ、子供みたいな、でも凛とした顔で。
「うん。僕も、君を全部知りたい。心も、想いも、全部」
そして、もう一度、唇を重ねてきた。
今度は、さっきよりも深く、確かに愛を込めて――
星の花が光る中、
私たちはただ、抱き合っていた。
試練なんてどうでもよくなるくらいに、
恋に落ちていた。
---
《第8章:傷を癒すその手の中で》
「今日は……ちゃんと、試練の日だよね?」
翌朝。
昨夜のキスの余韻を思い出し、顔が火照りっぱなしの私に、ルキは少し拗ねた顔で頷いた。
「うん。兄さんたちにも“譲歩しろ”って言われたし……でも、覚えてて。
誰と過ごしても、君の唇は僕のものだからね」
「ちょ、ルキ! 今ここ、大広間! 王子たちいるから!」
「関係ないよ。むしろ聞かせたほうが牽制になるし」
さらりととんでもないことを言うルキ。
周囲の空気がピキッと凍ったのは、気のせいではなかった。
「……やれやれ。次は私だ」
場を割って入ったのは、柔らかな笑顔の王子。
ルキの兄――第三王子・セレス。
セレス王子は、ふわりとした淡い金髪に、儚げな水色の瞳。
手には白い手袋、身にまとうのは医師を思わせる白の法衣。
「共鳴の試練、私の番だね。……どうか、君の痛みを、少しだけ分けてくれる?」
その声は、まるで春風みたいで、私の中にすっと染み込んできた。
案内されたのは、宮殿の北塔――癒しの温室。
緑の草と香るハーブ、淡く光る泉が流れる静かな空間。
セレス王子は私を座らせ、目線を合わせるように膝をついた。
「僕の試練は、“癒し”。だけどそれは、単に心地よくすることじゃないんだ。
本当の癒しは、“傷に手を差し伸べること”だから」
そう言って、彼はそっと私の手に触れた。
一瞬、昨日のルキとのぬくもりを思い出して、心が揺れる。
だけどセレスの手は、違う温度だった。
あたたかくて、でもどこか――切なかった。
「……夢咲ほのか。
君は誰かに、“全部預けたい”って思ったこと、ある?」
「え……?」
「自分の痛みも、弱さも、甘えも、なにもかも。
何も言わずに、ただ受け止めてくれる誰かに――」
その問いは、ズルかった。
私は、昔のことを思い出していた。
元婚約者に“都合のいい駒”のように扱われた日々。
ひとりで泣いて、笑って、傷ついて。
それでも「誰かに頼ってはいけない」と思い込んでいた自分。
「……あった、かもしれない。
でも、言えなかった。迷惑になるって、思ってたから」
「迷惑なんかじゃないよ」
セレスは静かに笑って、そっと私の肩を抱き寄せた。
「君の痛みをもらえるなら、それは“誇り”なんだ。
君が笑うために、僕が“苦しみ”を受け取れるなら、何度だってそうしたいと思う」
その言葉は、危険なくらい甘く、心を溶かしてきた。
「セレス王子……なんで、そんなに優しくできるの?」
「僕も昔、そうしてもらいたかったから」
――その瞬間、瞳に走った一筋の陰が、何より深くて、悲しかった。
「優しくされることを“奪われた”子供だった。
だから、誰かに優しくすることで、ようやく自分が人間になれる気がしてる」
「それって……」
「恋も、たぶん似てるよね。
誰かを思うことで、自分が“存在していい”と感じられる。
僕は、君といるとき、それを感じられる」
そう言って、彼は私の頬に、指先をそっと重ねてきた。
「……このまま、僕を選んでくれたら――君を泣かせたりしない。
壊れるほど、優しくする自信があるよ」
胸が、高鳴った。
それは恋ではないかもしれない。
でも、そこに確かにあった“誰かを救いたい”という切実な思いに、心が動いたのは本当だった。
セレスは最後に、私の手に白い花をひとつ結んだ。
「君が迷ったとき、この香りを思い出して。
僕の想いが届くことを、願ってる」
試練は、そうして静かに終わった。
でも――それは、確かに“恋の火種”だった。
その夜。
ルキは何も言わず、星の庭園で私を待っていた。
「……セレス兄さんと、何話したの?」
「普通に、試練として……」
「手、握られた?」
「えっ……そ、それはちょっと……っ」
「……ずるいな、兄さん」
ルキはぎゅっと私を抱きしめた。
「僕も……もっと、触れたい。
君が誰に傾いても、受け止めるつもりだった。
でも、やっぱり――僕は君が欲しい」
「ルキ……」
「ほのか、試練が終わったら、僕と“正式に”契約して」
それは、まぎれもない――**“プロポーズ”**だった。
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《第9章:この想いに、名をつけるなら》
「……おかえり、ほのか」
その声に振り向くと、ルキが庭園の端で、月明かりのような微笑を浮かべていた。
けれど、その目の奥に――静かな焦燥と、怒りが隠れていることに、私は気づいてしまった。
「セレス兄さんと……どれくらいの時間、一緒にいたの?」
「……え、えっと……ちょっとだけ、癒しの部屋で話して……」
「キスは、してないよね?」
「え!? してない!! してないけど!?」
ルキが、一歩こちらへ踏み出してくる。
その距離は、いつもより速くて、強くて――
次の瞬間、私はふいに、彼に抱きしめられていた。
「……よかった」
低く、胸の奥から絞り出すような声。
その声は、どこか震えていた。
「ほんとは信じたいんだ。君が誰にもなびかないって。
でも……でも、怖かった。あの兄さん、本気だったから」
私はそっと腕をまわして、ルキの背中に触れた。
「私……セレス王子のこと、素敵だなって思ったよ。
でも、あの人の優しさは、“救い”みたいで……
“ときめき”は――なかった」
「……本当に?」
ルキの顔が、ぐっと近づいてくる。
真剣なまなざしに見つめられると、うなずくしかできなかった。
「だったら、証明して」
「し、証明って……?」
「――僕に、キスして」
静かな夜の空気を切り裂くように、ルキがそう囁いた。
ふだんは穏やかな彼から飛び出した、突然の“攻め”に、私は思考が真っ白になる。
「ほ、ほのかから……!?」
「うん。……僕ばっかり、ずるいから」
彼の目が、わずかに揺れていた。
甘えたようで、寂しがり屋の瞳。
それは私に、「愛して」と無言で伝えているようだった。
「じゃあ……目、閉じて」
「えっ」
「ほら、“僕に”って言ったんだから、ルキは閉じる側でしょ」
「……はい」
ルキがそっと目を閉じた。
まつ毛が揺れて、唇がわずかに結ばれている。
手の中のぬくもりだけが、確かにふたりをつないでいる。
私はゆっくり顔を近づけ――
そして、彼の唇に、自分の唇を重ねた。
一瞬だけのキス。
でも、そのあとに、ルキが私を強く引き寄せてきた。
「……ダメだ。我慢できなくなってきた」
「えっ?」
「もっと……ずっと、君に触れていたい。
指も、唇も、全部。――君が僕を選ぶって、約束してくれるまで」
「る、ルキ……っ!」
もう、胸が、甘さでいっぱいになって、息が苦しい。
でも――逃げたくない。
私は、彼の首にそっと腕をまわし、もう一度、唇を近づけた。
深くて、温かくて、
でもどこか焦ったようなキス。
「君の全部を、他の誰にも渡したくない。
兄さんたちなんかに、“ほのかの笑顔”を取られたくないよ……」
その声は、まるで独占欲でできた祈りのようだった。
私はそっと頷いた。
「じゃあ……私も、ルキだけを見てるから。
でも……“好き”って、まだ言うのはこわいから、
今は、“好きになりかけてる”って言わせて」
「……それ、充分に嬉しいよ」
ルキは微笑んで、私の髪をそっと撫でた。
しかし――
「ほのか。今、時間ある?」
突然、背後から静かな声がした。
振り返ると、そこにはセレス王子が、悲しそうな顔で立っていた。
「さっきの言葉、全部聞こえたよ。……でも、諦めない。
君が“まだ言ってない”ってことは、まだ、チャンスがあるってことでしょう?」
「セレス王子……」
「ごめんね、ルキ。弟でも、譲れないよ。
――この恋は、本気だから」
その一言が、夜の庭園に落ちた瞬間。
三人の間に、張り詰めた空気が生まれた。
甘さと、痛みと、恋の始まりの予感。
選ばれるのは、誰なのか。
選ぶのは、誰なのか。
その答えは、もうすぐ、迫ってくる。
その夜。
遠く離れた星の国の外れ――
影の使者たちが、密やかに動き出していた。
「“星の鍵の少女”。我が国へ連れてこい。
その血と力、すべて、我らのものとするのだ――」
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《第10章:運命の血と、罪深き甘やかし》
「ルキ……あなたは、“この国の血”じゃないのよ」
突然現れた、年若い王妃――レイア妃。
透き通るような銀髪に深い赤の瞳をした彼女は、ルキの実母ではなかった。
「君の母は、星の国の外――“リリエン教国”の巫女だった」
「……!」
静まり返る大広間。
空気が張りつめ、私の心臓はドクンと高鳴った。
「教国は、星の鍵の力を“聖遺物”として崇めていた。
その巫女と、星王である父が密かに結ばれ、生まれたのが――ルキ、あなた」
「つまり、私は――“混血”ってこと?」
ルキの声は、淡々としていた。
けれどその手は、ぎゅっと拳を握りしめていた。
「混血ではなく、“鍵をつなぐ器”。
教国は、あなたを取り戻すために動いているのよ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「彼らは、夢咲ほのか――あなたを“聖なる伴侶”として引き渡すよう、要求してきたわ」
「なっ……!」
「そんなの、絶対に渡さない!!」
ルキが叫んだ瞬間、広間の奥から、
一人の青年が、ゆったりと歩いてきた。
その姿に、全員が息を呑む。
漆黒の軍服、白銀の短髪。
冷ややかな切れ長の瞳に、王子らしからぬ刺青のような紋章が、首元から覗いていた。
「……やっとお出ましですか、アウル兄さん」
ルキの声が震える。
「第四王子・アウル=レオン。
戦の化身。
教国との密約を一手に握る、影の王子」
「ほう……俺のことをよく知ってるな、弟よ」
アウル王子は、ゆっくりとこちらを見た。
その目が私に向いた瞬間、背筋がぞくりとした。
「君が、“星の鍵”か。……思っていたより、ずっと可愛いな」
「えっ、あの……」
「俺の試練も、やってもらうぞ。形式など不要。君には、直接、体感してもらおう」
「えっ!?ちょ、ちょっと!?」
彼は突然、私の腕を取って自分の方へ引き寄せた。
ふいに腕の中に閉じ込められ、私は息を呑む。
「アウル兄さん、放して!!」
「“王子”として接するつもりはない。
俺は、女にこういう風に迫る主義だ。
お前が怯えたら――そのときは、俺が甘く守ってやる」
彼の顔が近い。
ルキのキスとは違う、獣のような熱と支配の気配。
「君の唇が、誰のものになるのか――この兄弟の中で、決めてみせるよ」
その場の空気がピリピリと張り詰める。
ルキが拳を握り、セレスが口を引き結び、ゼフィロスが静かに目を伏せる中――
アウル王子はにやりと微笑んだ。
「だがまず、女を落とすなら……甘やかすところから始めなきゃな」
その夜。
なぜかアウル王子から“個別試練”の招待が届いた。
「護衛は不要。俺と“ふたりきり”で来い」
……断れる雰囲気じゃない。
私の心臓は、恐怖と期待の間でどくどくと脈打っていた。
案内されたのは、城の地下にある秘密の温泉。
蒸気がふわりと漂い、淡い照明が幻想的な光を灯す中、
アウル王子は、軍服のまま湯船のふちに腰かけていた。
「来たな。よし、今日は“君をとことん甘やかす会”だ」
「な、なにそれ!?」
「とりあえず、俺の膝枕に寝ろ」
「え!? えええ!?」
「ほら、遠慮するな。
“弟たち”はたぶん、こういうスキンシップには不慣れだからな。
俺のやり方で、お前を骨抜きにする」
その強引さに抗う間もなく、私は湯けむりの中でアウルの膝に頭を乗せていた。
「……心臓の音、でかいな。まさか、俺にときめいてるのか?」
「っ……う、うるさい……」
「可愛いな、お前。
君が“俺のものになったら”、甘やかしすぎてダメにしそうだ」
ささやきは低く、でもどこか切実で――
“遊び”だけではない熱がそこにあった。
アウル王子との“試練”は、まさに甘く危うい“誘惑”だった。
だが、その夜。
寝室に戻ると――
ルキが、扉の前で私を待っていた。
「……ほのか。
今日、君が誰と過ごしてもいい。
でも――」
ぎゅっと、抱きしめられる。
「“最後に戻る場所”は、僕であってほしい。
それだけが、僕の願いなんだ」
その声に、私は――涙が出そうだった。
愛されている。
争われている。
だけど、それだけじゃなくて――
誰かの運命を、私が“変えてしまう”かもしれない。
私の存在が、この国の命運を変える。
でも、私の心は、恋を選びたいと叫んでいた。
選ぶのか。
選ばれるのか。
それとも――すべてを壊してでも、奪いたいのか。
四人の王子の視線の中で、私は眠れぬ夜を迎えた。