王都の広場の真ん中で、フィーネは天を仰ぎ一筋の涙を零した。
「殺せ! 殺せ! 力を失くした聖女など殺せ! 魔王を殺せなかった裏切り者め!」
その声はフィーネを焼き尽くそうとしているこの炎のような勢いで広場に広がっていく。
頑丈な木の板に縛り付けられたフィーネの手首と足首には血が滲んでいる。
やがて足元からパチパチと火が爆ぜる音が聞こえて来始めた。
ふとそちらに視線を向けると、フィーネの身体を支える木にとうとう火が燃え移り始めたようだ。
腰の辺りまで積み上げられた薪に火の粉がぶつかり、新しい火種となる。
熱い、苦しい、痛い……怖い。
やがて誰もが美しいと褒め称えた腰まであった金色の長い髪に火が燃え移り、着ていた貫頭衣は裾から焼け落ちて一瞬で灰になる。
炎に飲まれた箇所の痛みは言葉にはならない。叫び出したいけれど、聖女の矜持がそれを邪魔した。
フィーネは歯を食い縛り痛みと熱に必死になって耐え続ける。
その時だ。突然一陣の突風が吹き付けたかと思うと、フィーネの頭上から一枚の真っ黒な羽根がフワフワと舞い降りてきた。その羽根はフィーネの服の中にスッと入り込んでいく。
けれどそんな事に構ってなどいられない。
人間として感じる最後の恐怖をフィーネは聖女の矜持で無理やり飲み込み、歯を食いしばり硬く目を閉じた。
その瞬間、瞼の裏にいくつもの情景が蘇ってくる。
力が及ばなくて人間も魔族も無関係な沢山の人たちを死に追いやってしまった。
魔王との戦いで聖女の力を失った上に、裏切り者の聖女には火刑がお似合いだ。
最後の戦いで魔王を倒し皆を救うことが出来なかったという絶望は計り知れない。
それは聖女として生きてきたフィーネにとって火刑になるよりもずっとずっと耐え難い事だった。
残酷な取捨選択を常に迫られながらここまで辿り着いたけれど、自分がしてきた事とは一体何だったのだろう?
群衆は口々に叫んだ。
遠のく意識を揺さぶり起こしたのは誰かが投げた石礫だ。それがフィーネのおでこの辺りに当たり、そこからじんわりと生暖かい物が流れてくるのを感じる。
虚ろな視線をそちらに向けると、震える拳を握りしめた少年が憎悪を滲ませた目でこちらを睨みつけていた。
あの少年には覚えがある。戦争に巻き込まれて死んでしまった妹の亡骸を抱いて泣きついてきた少年だ。
「……ごめん、ね……」
聖女の力は万能じゃない。死者を蘇らせる事など出来ない。何度も感じた無力感に、フィーネは最後の言葉を呟いた。
灰を巻き上げながら炎がフィーネの全身を包みこんでいく。
死はもうすぐそこまで迫ってきていた。
火刑が執行される前夜、フィーネは闇の中に向かって声を発した。
「リコ、そこに居るの?」
「イル! イル! リコ、ココニイル!」
甲高いオウム特有の声が耳のすぐ側で聞こえる。
その直後、肩に慣れ親しんだ重みを感じた。その重みにホッとしたフィーネは、頬をリコの羽に擦り付ける。
自我を持ったオウム、リコ。彼は幼い頃からいつもフィーネの側にいてくれた。
本当は撫でてやりたいが、手足を拘束され目隠しまでされて椅子に縛り付けられているせいで、頬ずりをする事しか出来ない。
温かなリコの身体はフィーネの唯一の癒やしだった。
「私、失敗しちゃった。こっそり魔族を助けてた事が皆にバレちゃった」
「チガウ、チガウ! リコガ失敗! リコガ失敗!」
「リコは失敗なんてしてないよ。あの時リコが助けなかったらあの魔族の子は助からなかった。私はリコを誇りに思ってる。ありがとう、リコ。あなたほど勇敢なオウムは他に居ない」
聖女は人間を守らなければならない立場だったので、表向きには魔族に手を貸すことが出来なかった。
だから今までリコに頼んで幾度となく魔族を助けていた事が、魔王と対峙した時にとうとう皆にバレてしまったのだ。
フィーネにとって全ての命は等しい。教会からずっとそう教わってきた。だからもちろん魔族の命も等しいと思っている。
けれどそれは人間を裏切った事と同義だ。それでも後悔などしていない。フィーネは教会の教えを、聖女の矜持を守り通す事が出来たのだから。
たとえ明日、この命が尽きるのだとしても。
「リコ、ありがとう。ずっと一緒に居てくれて、色んな事を教えてくれてありがとう」
「嫌ダ! 嫌ダ!」
もう一度リコの羽に頬を埋め、何度も何度もお礼を言った。
フィーネが最後のその時まで聖女として毅然とした態度で居られるのは、このリコという一羽のオウムのおかげだったからだ。
フィーネはゆっくりと目を閉じてあの日の事を思い出した。
全ての歯車が狂ってしまった、あの日のことを。