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第33話 もし早く会いたいなら、時崎に頼むのも一つの手


時崎家の人々は、琴子のことをとても気にかけていた。


徹は、あまり家族に心配をかけたくなかった。こんな些細なこと、琴子が自分で気持ちの整理をつけるまではそっとしておくつもりだったし、いずれ顔を合わせたときに少し話せば、それで解決するだろうと思っていた。


「琴子の体調があまり良くないみたいだから、今日は食事を遠慮して帰るよ」と彼は静かに言った。


すると、祖母の表情が一瞬で心配から喜びに変わる。「もしかして、子どもができたのかい?」


すぐ横でお茶を飲んでいた慎一郎も、慌ててカップを置いて近づいてきた。「それは大事だぞ。だったら、琴子をこっちの家に戻してゆっくり休ませた方がいい!」


「ちがうよ」と徹はすぐに否定した。


自分が出した薬に間違いはない、と彼は確信していた。


祖母と慎一郎は、揃って「どうしてそんなに自信があるの?」と言いたげな目で徹を見た。


徹は適当に理由をつけた。「ただの体調不良だよ。」


「はぁ……」祖母は残念そうにため息をつきつつ、「琴子のこと、ちゃんと気にかけてやりなさいよ。それと、早く家庭を持って子どもを作らないと、本当にあっという間に年を取っちゃうよ」と念を押した。


二十五歳の徹は、返す言葉もなかった。


琴子の体調がよくないと分かれば、彼が帰るのを誰も止めることはなかった。


慎一郎は玄関まで見送り、「運転には気をつけてな」と声をかけてから屋敷に戻った。


「徹は思ったより悪くないな」と慎一郎は祖母の隣に座った。「少なくとも、琴子のことは気にかけているみたいだ。」


祖母は彼を睨んで、「それは最低限でしょ?琴子が子どもを産まなかったら、本当にこの家に留まってくれるか心配なんだから」とため息をついた。


慎一郎も細やかな気配りができる方だが、やはり女性である祖母ほど敏感にはなれない。彼女はどうしても、徹と琴子の間に何か違和感を感じていた。


「大丈夫だよ」と慎一郎は口では言うが、内心ではいつか息子としっかり話そうと考えていた。仕事ばかりじゃなくて、家庭も大事だと。


「あなたがいいお嫁さんをもらったせいで、私には石頭の孫ができちゃったわね」と、祖母は半分冗談、半分本気で呟いた。


その時、玲々が二階から降りてきた。「お母さん、慎一郎さん、何が石頭なの?」


「ええっとね!」祖母はすぐににこやかな顔になり、「台所で煮込んでた鴨肉が、塩も味がなじまなくて…石頭みたいなのよ」と誤魔化した。


横浜北郊、渡前山。


琴子はもともと体力がないので、登っている途中で疲れてしまった。白いスポーツウェアに身を包み、ゆるくまとめたポニーテールが肩にかかっている。


「水、飲む?」 


ひとりの男が近づき、強い日差しを遮るように立った。高橋枫真だ。黒いスポーツウェアを着て、手首には数珠のブレスレット。ミネラルウォーターのキャップも緩めて渡してくれる。


この時期はそこまで暑くはないが、昼間の陽射しはやけに強かった。琴子は眩しそうに目を細め、水を受け取る。


「ありがとう、枫真兄さん。」


枫真は少し先の岩に座り、「そんなに気を使わなくてもいいんだよ」と穏やかに微笑んだ。


妹の芽衣は元気いっぱいで先に登っていたが、すぐに戻ってきて、「あと二時間くらいで頂上に着くよ、琴子、もうちょっと頑張って!」と励ましてくれる。


「うん」と琴子も頷いた。


山の上は風が気持ちよく、心が軽くなった。離婚を決意してから、しかも弟の鋭が事件に巻き込まれてからというもの、こんなにリラックスできたのは久しぶりだった。


高橋兄妹は、琴子の気持ちを察して、明るく話しかけながら山登りに付き合ってくれた。まるで彼女のために企画された気晴らしの時間のようだった。


夜十時、三人はようやく山を下り、高橋枫真が車で琴子をメゾネット・アーツまで送ってくれた。


マンションに着く頃には、芽衣はすっかり眠っていた。琴子は静かに車を降り、窓越しに枫真に手を振った。


「枫真兄さん、帰り道気をつけて。」


枫真も車を降り、トランクから小さな箱を取り出して渡した。「渡前山の石は厄除けになるって聞いたから、さっき拾ってきたんだ。琴子と芽衣で一つずつ。」


琴子もそんな話を聞いたことはあったが、あまり信じていなかった。でも枫真の心遣いがうれしくて、箱を受け取った。「ありがとう……」


「ほら、気にしなくていいって言っただろ」と枫真は微笑んだ。


芽衣の“おかげ”で、これからも枫真と会う機会が増えそうだ。いつまでも他人行儀では、逆に距離ができてしまう。


「うん、じゃあ本当に気をつけて帰ってね。」


琴子は階段に上がろうと後ろに下がったが、何かにつまずいてバランスを崩した。


「危ない!」


枫真がすかさず駆け寄り、片腕で琴子の腰を支え、もう一方の手で彼女の手首を掴んだ。


一瞬、目が回るような感覚のあと、琴子は温かい腕の中に包まれていた。彼女は小さい頃から痛みに弱く、ちょっとしたことで青あざができてしまう。


しばらくして、やっと落ち着きを取り戻す。


「大丈夫?」と枫真が手を離した。


琴子はまだホッとした気持ちが抜けず、さっきの親密な体勢に気がつかなかった。


「うん、今回は本当に助かった。枫真兄さん、命の恩人だよ!」


枫真は楽しそうに笑い、「じゃあ、お礼はどうしようかな?」


わざと冗談めかして言うので、空気が和らぐ。琴子も珍しく茶化して、「今後、枫真兄さんが必要なら、どこへでも駆けつけるよ!」と応えた。


この時間、マンションの周りは静まり返っていて、二人だけの世界のようだった。街灯の下、白と黒の二人のシルエットは、まるで恋人同士が名残惜しそうに別れているように見える。


宮崎高英に指示された男が、素早く何枚か写真を撮り、宮崎へ送った。


琴子はそんなことも知らず、枫真に見送られてマンションに入った。


枫真は車に戻り、琴子の部屋の灯りがつくのを確認してからエンジンをかけた。


いったん車を発進させたが、気になってもう一度Uターンし、周囲を見回す。すると、黒い影が草むらから出てきて、さらにマンションに向けて写真を撮っているのが見えた。その男は写真を撮り終わると、足早に立ち去った。


暗い車内で、枫真はその様子をじっと見ていたが、その男が写真だけ撮って去るのを確認すると、ようやく表情を緩めて車を出した。




家に帰った琴子は、シャワーを浴びてすぐにベッドに倒れ込んだ。山を下りてからスマホを見ると、早瀬清葉からたくさんのメッセージが入っていたが、返事はしなかった。


翌朝、琴子は自然に目を覚まし、冷蔵庫からパンを取り出して食べながら、清葉のメッセージをざっと確認した。


内容は昨日と同じく、お説教と愚痴が続き、最後は自分がどれだけ大変かと訴えている。後半はもう読む気がしなかった。


彼女は周防弁護士に電話をかけ、鋭の事件の進展について尋ねた。


「あと一週間あれば、必ず決定的な証拠を見つけてみせます!」と周防は少し興奮気味に答えた。何か大きな手がかりを掴んだようだった。


「よかった!それじゃあ、今面会はできる?」と琴子も少し期待した。


「面会申請はまだ許可が下りていません。もし急ぐなら、時崎に頼んでみてはどうですか?彼が動けば、普通の手続きより早く会えるはずです」


周防は正直に話した。


確かに徹なら、すぐにでも鋭と面会させることができるだろう。


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