奈央はネットのトレンドを見た瞬間、自分の目を疑った。
玲奈の子どもが隼人の子だって?
もしそれが本当なら――明彦がずっと子どもを欲しがらなかった理由も納得できる。
もしかして、彼はすでに妻と親友が関係していることを知っていたのだろうか?
もしそうなら、彼の我慢強さはただものじゃない…。
これは浮気どころじゃない…
衝撃のあまり、奈央はようやく自分も明彦と同じ被害者だと気づいた――さっきまで彼に同情していた自分が馬鹿みたいだ。
自分も人の笑い者になる寸前だった。
指で画面をスクロールしながら、コメント欄の下劣な書き込みに胸が締めつけられた。
「財閥ってやっぱり裏がドロドロなんだな」
「金持ちの奥様たちのスワッピングゲーム、リアルでやってるんだ」
「月島にも子どもがいるんでしょ?これが子どもの手本だなんて…顔が良くても中身がダメじゃ意味ない」
「財閥にとって大事なのは利益だけ、他は全部遊びみたいなもんだろ」
もう見ていられなくて、奈央はスマホをテーブルに置き、目の奥が熱くなり、手でこめかみを押さえた。
月島家のおじいさんが亡くなったばかりなのに、こんなスキャンダルが噴き出して、きっとあの世でも安らかに眠れないだろう。
どうしてこんなことになってしまったんだろう――
昼に隼人からかかってきた妙に優しい電話を思い出す。今思えば、あれはきっと後ろめたい気持ちからだったのだろう。
本当にご苦労なことだ。
月島家の御曹司である彼にとって、仮にこの話が全部本当でも、権力も何も持たない自分にはどうしようもない。
考えれば考えるほど、奈央の心は冷たくなっていった。
ここ数日、彼女の心は揺れていた。二人の子どものため、隼人が変わろうとしている姿を信じて、もう一度やり直そうかと迷っていたのだ。
でも、口にしなくて本当によかった。
もしあの時、許していたら、今ごろ自分はもっと惨めな思いをしていたに違いない。
短い苦しみのあと、深く息を吸い、奈央は離婚の決意を新たにした。
スマホが鳴った。ぼんやりした意識が現実に引き戻され、画面に表示された名前を見て、心の痛みがさらに強くなった。
また隼人だ。
だが、もう出る気はない。
どんな言い訳も慰めの言葉も、もう聞きたくなかった。
一方、奈央に電話が繋がらず、隼人の苛立ちは増していき、不安すら感じ始めていた。
広報部との会議を終えた後、彼は車を乗り換え、本社ビルの下に集まった記者たちを避け、夜道を急いで帰路についた。
その途中、また明彦から電話がかかってきた。
「隼人、お前最近誰かに恨みでも買ったのか?玲奈の子どもがお前の子だなんて、よくもまあこんなデマ流すやつがいるもんだ」
明彦の声には明らかな苛立ちが混じっていた。
隼人は険しい表情で、灯に照らされた横顔がさらに冷たく見える。「それはお前が誰かに恨まれたって可能性もある。結局、俺たち三人は一蓮托生だからな」
明彦は黙り込んだ。彼自身もその可能性を考えているようだった。
もともと黒崎家は表向きは仲良く見えても、家族内は争いが絶えず、数年前の家族紛争の際には、明彦が身内に命を狙われたこともあった。その時、隼人がいち早く異変に気づき、彼の命を救ったのだ。
しばらく沈黙の後、隼人は口調を変えて言った。「玲奈のことだけど、大丈夫か?彼女も今回の件で相当参ってるはずだ。妊娠中で体も弱いんだし、もう喧嘩はやめてやれよ」
この一言で、かえって明彦の胸はざわついた。
数秒の間を置き、明彦は突然訊いた。「隼人、お前はまだ玲奈のことを愛しているのか?」
思いがけない質問に、隼人は一瞬固まった。
しばらくして、張り詰めた声で聞き返す。「どういう意味だ?お前まで玲奈の子どもが俺のだと疑ってるのか?」
明彦は即座に否定した。「いや、玲奈を信じてる。ただ、お前がまだ玲奈を想ってるのか、それが気になっただけだ」
「玲奈を信じてる」――その言葉を聞きながら、隼人は心の中で冷笑した。
つまり、兄弟である自分を信じているのではなく、妻を信じているということか。
――何しろ、玲奈は明彦のことを命がけで愛している。彼を裏切ることはありえない。
その一言が、二十年以上続いた二人の友情に見えない亀裂を走らせた。
隼人は奥歯を噛みしめ、怒りと失望を押し殺しながら冷たく告げた。「もう愛していない。もう妹のような存在としか思ってない」
明彦は納得していないようだった。「血のつながりもない兄弟なら、やっぱり距離を置いた方がいいんじゃないか?」
隼人は複雑な思いを抱えつつも、理性を保っていた。明彦の言いたいことは分かっている。
もし自分と玲奈の間にもっと明確な線引きがあれば、こんな噂が立つ隙もなかっただろう、と。
「明彦、分かった。これからはお前たち夫婦のことには口を出さないし、玲奈とも二人きりでは会わない」
そう言い切ると、明彦の返事も待たずに電話を切った。
静まり返った車内で、隼人は窓の外をじっと見つめ、その端正な顔立ちには氷のような冷たさが浮かんでいた。
実際、隼人はとっくに玲奈と距離を取る覚悟をしていたので、今さら辛くもなかった。むしろ、明彦の言葉のほうが胸に刺さった。長年の友情に生じたわだかまり――そのほうがデマよりもずっと堪えたのだ。
家に着くと、彼は車を降りて屋敷に入った。
夜八時、一階のリビングは静まり返っていて、誰もいない。
そのまま主寝室に向かったが、そこにも人影はなかった。
胸がドクンと高鳴り、奈央が黙って出て行ったのではないかという不安がよぎる。
背後から足音がし、振り返ると和子が立っていた。
「奥様はジムにいらっしゃいます」と和子がすぐに教えてくれた。
ジム?
隼人は少し驚いた。彼女が急に運動する気になるなんて。
エレベーターで地下に降り、シアタールームとゲームルームを抜けて、ジムのガラス越しにランニングマシンで走っている奈央の姿を見つけた。
ぴったりしたスポーツウェアを着た奈央は、後ろ姿もすらりとしていて、腰からヒップにかけてのラインが美しく、とても双子を産んだばかりとは思えなかった。
どれくらい走っていたのか、すでに汗でウェアが濡れ、腕にも汗が光っていた。
その光景に、隼人の脳裏には二人がベット時の情景がふとよみがえった――彼女が自分の下で汗に濡れていた、あの姿を思い出し、思わず喉が鳴る。
彼女がまだ自分に気付いていないのを見て、隼人はどう声をかけるべきか迷いながら、そっと数歩近づいて静かに見守った。
奈央は気分が沈んで仕方がなく、どうにか発散したくて仕方なかったが、外に出てまた誰かに見つかるのも怖い。
ふと思い出して地下のジムに来て、走り込むことにした。
体を動かしてとことん疲れれば、余計なことを考えずに済むし、夜も眠れるだろうと思ったのだ。
その効果はてきめんで、汗をかくほどに心も体も少しずつ軽くなっていった。
彼女は後ろに誰かいるとは思いもせず、足がもつれるほど走り続け、ようやくスピードを落とそうとした。
ところが額の汗が目に入り、思わずボタンを押し間違えてしまった。ランニングマシンが急加速し、もう体力も残っていない――
「きゃっ――」身体が前に投げ出されそうになるのを感じて、思わず声をあげた。