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第10話 危うく轢かれそうになる


咲乃はお姉ちゃんの家を訪れた。


普段は咲乃が早起きして、お姉ちゃん一家の朝食を用意しているのだが、昨日から家を出て一人暮らしを始めたため、今朝はお姉ちゃんがちゃんと朝食を作ったか心配になった。そこで、近くのコンビニでお姉ちゃんと甥の分の朝ごはんを買って持っていくことにした。


ちなみに義兄の山本達也は、この時間ならもう会社に向かったはずだ。


だから、咲乃は彼の分の朝食は買わなかった。


鍵を開けて中に入ると、桐子はすでに起きていて、キッチンで忙しそうにしていた。


「お姉ちゃん」


「咲乃、来てくれたのね。」


桐子はエプロン姿でキッチンから顔を出した。目の下にははっきりとしたクマができているが、妹の姿を見ると無理に笑顔を作った。


「もう朝ごはん食べた?今、味噌汁を作ってるところだけど、あなたの分もよそおうか?」


「もう食べてきたよ。」

咲乃は弁当袋をダイニングテーブルの上に置いて言った。

「もしまだなら、作らなくていいよ。二人分の朝ごはん、買ってきたから。」


「まだ作ってないの。」

桐子は火を止めてキッチンから出てきた。疲れた声で、

「朝寝坊しちゃってね。達也は自分で外で食べるって、出かける前にまた文句言われたよ。家にいるのに子どもの面倒しか見てなくて、朝ごはんも用意できないのかって。」


彼女はこめかみを揉みながら、

「昨日の夜、陽ちゃんが熱を出して、夜中ずっと泣きっぱなしだったの。ようやく明け方になって熱が下がって、やっと寝てくれたと思ったら、すぐにまた起こされて……」


「陽太、熱出したの?」

咲乃はハッと心配そうに聞いた。

「今は大丈夫?」


「熱はもう下がったし、ぐっすり寝てるよ。だから私もようやく動けるの。あとで念のためクリニックに連れて行こうと思ってる。ぶり返すと怖いから。」


咲乃の中で怒りがふつふつと湧き上がった。

「子どもが病気なのに、何も手伝わないで、朝ごはんのことで文句だけ?」


お姉ちゃんのやつれた顔を見つめながら、

「ねぇ、私が出て行った後も、まだ生活費はワリカンなの?」


桐子はスプーンを手にしながら、少し動きが鈍くなった。

「うん。相変わらずよ。私が無駄遣いばかりしてるって言って、自分のプレッシャーがどれだけ大きいかわかってないって。家族なんだから、私も負担しろって。」


苦笑いを浮かべて、

「どうせあの姑の入れ知恵よ。前は達也もこんなんじゃなかったのに、あの人に言われてから変わっちゃった。」


いつも家のことに口を出しては文句ばかり言い、帰った後は夫婦喧嘩の元になる姑のことを思い出し、桐子はうんざりした表情を見せた。


服を一枚買ったり、ちょっと高めの化粧品を買ったりしても、それが妹からもらったお金であっても、姑は「無駄遣いだ」と責めてきた。「家に入ったお金は全部家族のものだ」などと言って。


「桐子、」咲乃はきっぱりと言った。

「陽太を保育園に預けて、もう一度働きに出ようよ。昔の収入、山本より低くなかったでしょ?女はいつだって自分の収入源を持っていなきゃ」


少し声を落として、

「もしかして……」


桐子は驚いた様子で、

「まさか、そんなことないよ。あの人の給料、私が一番よく知ってるし、他の人を養う余裕なんてないよ。」


「でも、前よりずっと冷たくなってるよ。」

咲乃は心配そうに言った。

「本当に自分のことも考えないと。理解もされず、収入もないままの専業主婦なんて、もうやめた方がいいよ。」


桐子は黙って朝食を口に運び、しばらくしてから静かに言った。

「また考えるよ。咲乃、心配しなくていいから。私は大丈夫。」

そして話題を変えた。

「あなたはどう?ご主人はまだ出張中?」


「うん、しばらくは帰ってこないみたい。大手に勤めてるから、すごく忙しいの。」


桐子は妹の新しい家での暮らしぶりを何度も確認して、ようやく少し安心した様子だった。


咲乃は寝ている甥の様子も見に行った。赤いほっぺたで、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。熱もすっかり下がったようだ。


お姉ちゃんに促されて、咲乃は家を後にした。


桐子の疲れた目、陽太が病気のときの心細さ、達也の冷たい態度、そしてあの意地悪な姑の顔……そんな光景が次々と頭の中でよみがえる。


考えれば考えるほどお姉ちゃんが可哀そうで、怒りがこみ上げてきた。ハンドルを握る手に力が入り、気持ちが苛立ちでいっぱいになっていた。


前方の信号が点滅し始め、もうすぐ黄色に変わろうとしていた。


右側の車線から一台の黒い乗用車が静かに交差点に進もうとしていた。


咲乃はまったく気づいていなかった。


心ここにあらずで、自転車をそのままのスピードで走らせ、黒い車の前を斜めに横切ろうとしていた――


甲高いブレーキ音とクラクションが同時に響き渡った!


咲乃はハッと我に返った!


視界の端に、大きく迫ってくる黒い車のボンネットが見えた。心臓が止まりそうになる。咄嗟の本能で思い切りハンドルを切り、車体が大きく傾いた。タイヤが地面をこする鋭い音が響く!


間一髪、黒い車のボンネットすれすれに自転車は滑り抜け、そのまま勢いで数メートル進んでようやくブレーキをかけ、足を地面につけてなんとか止まった。胸が激しく上下し、心臓がバクバクしていた。


黒い車も急ブレーキで交差点の真ん中に止まり、そのボンネットはついさっき咲乃がいた場所まで、ほんの数十センチしかなかった。


咲乃は恐怖で息を荒げたまま、思わずその車を見た――深い黒色の車体、ボンネットの上には小さな女神の像。


ロールスロイスだ!


後ろにも同じ型の黒い車が何台か並び、まるで無言の護衛のように道路の真ん中で一斉に停車し、一瞬だけ車列ができていた。


冷や汗が背中をびっしょり濡らす。


咲乃は慌ててロールスロイスの運転席に向かって謝る仕草をし、運転手や後部座席を見ようともせず、すぐに電動自転車のハンドルを回して、驚いたウサギのように車の流れに紛れてその場を離れた。


ロールスロイスの車内。


運転手の手のひらにも冷や汗がにじんでいた。少し落ち着いてから、後部座席の黒いスーツを着た、どこか冷たい雰囲気の男に小声で言った。


「今のは奥様でした。」


佐藤司の顔は険しいままだ。ハッキリ見ていた――咲乃がもう少しで彼の車にぶつかるところだった。彼女は完全に気を抜いていた。車が行き交う道であんな風にぼんやりして……死にたいのか?


死にたいなら、せめて彼の車輪を巻き込まないでほしい。車が汚れるのはごめんだ。


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