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第10話 星空



 芸術と花の都と称される美しい街の明かりが小さくみえる海岸で、船を降りたイザベラとジークバルト。


 砂浜には、竜騎士ジークバルトの相棒である黒竜が待っていた。


 黒竜の背に、船から下ろした荷物がのせられている間。


 イザベラは、大親友ロザリンデとの、しばしの別れを惜しんだ。


「ありがとう、ロザリンデ。貴女の友でいられることが、わたしの誇りよ」


「どこにいても忘れないで、イザベラ。貴女の幸せをいつも願っているわ」


 そうして涙を拭った公爵令嬢は、真っ赤な瞳を燃え上がらせ、大親友をさらっていく大公子を睨んだ。


「いいこと。ジークバルト・オルフェス、貴方がソードマスターだろうが、戦場の死神と恐れられていようが、わたくしの親友イザベラ・ギルガルドを悲しませようものなら、その首、刺し違えてでも斬り落としやる。忘れないことね。わたくしが首を狩りにいくときは、そのうしろに剣聖エミリア・ギルガルド様がいるということを!」


「肝に命じる。だが、万が一にも、俺がイザベラを悲しませることがあれば、俺の方からこの首を差し出す覚悟だ」


「その言葉、信じましょう。それから、これも覚えておくように。わたくしがイザベラに会いたいときは、つべこべ言わず、早急に連れてくること。まずは近日中に、ギルガルド侯爵家にて、エミリア様が主催する御茶会があります。今回のわたくしの働きを褒めてくださる会なので、必ずやイザベラを連れてくるように! いいわね!」


「…………」


「返事はっ!?」


「……わかった」


 ロザリンデとガルディア家の従者に見送られ、黒竜の背で、イザベラを背後からしっかりと抱きかかえたジークバルトが、夜空に飛び立った。


 おそらく、ジークバルト史上、もっともゆっくりな飛行速度で、まるで星空の中を散歩しているようだと、イザベラは思った。


 イザベラの背後には、さきほどからずっと覆いかぶさるように抱きしめてくるジークバルトがいた。


「まだ、夢見心地なんだが……」


 こうなることを、まったく予想していなかったジークバルトにとって、いま自分の腕のなかにいるのが、求めてやまなかったイザベラだということが、抱きしめていないと実感できない。


 数年前、真夜中の王城に忍び込み、第一王子の婚約者候補になったばかりのイザベラを、なんとか連れ出そうとして、


『それはできません。オルフェスにお戻りください』


 そう拒絶された日を、鮮明に覚えている。


 あの日の悪夢をみて、いまでも飛び起きることがあるジークバルトは、


「イザベラ、愛している」


 もう何度目になるから分からない愛を、イザベラを抱きしめながら告げていた。


「もう、14回目ですよ」


「まだ、それぐらいか。とりあえずは、オルフェスに着くまで、あと千回は聞いてもらうからな」


「それなら、もう少し早く飛んでもらって、500回くらいに抑えてもらえませんかね」


「イザベラの願いはすべて叶えてやるつもりだが、それは無理な相談だ。できれば俺は、しばらくふたりでいたい。このままオルフェスに帰るのではなく、前にイザベラが行ってみたいと言っていた東方帝国に、偵察がてら寄り道したいくらいだ」


「東方帝国……ですか。ジークバルト様、それはとてもいい案ですね。ロザリンデが嫁ぐ前に、帝国の政情、治安などを自分の目で確かめておきたいと思っていましたので」


「決まりだな。それじゃあ、夢にまでみた婚前旅行に出発しよう。ああ、でもその前に――」


 ジークバルトの指先が、イザベラの顎先に優しく触れた。


 ゆっくりと振り向かせたイザベラの頬を、さらに優しく愛しげに指先が撫でていく。


「これから、夜どおし竜を飛ばして東方帝国に向かう俺に、イザベラからご褒美をくれ」


「寝不足気味のジークバルト様は、なにをご所望ですか」


 愛しい女に、男はこいねがう。


「ジーク、そう呼んでくれ」


「仕方がありませんね」


 イザベラが腕を伸ばしてジークバルトの首に絡め、赤くなった男の顔を、そっと引き寄せる。


 その頬に唇を寄せて、ささやいた。


「ジーク、大好きよ」


 満天の星空の下を、東方に向かって速度をあげた黒竜が飛行する。


 男は、口を尖らせていた。


「あそこでは、頬よりも口にキスだろ」


「欲ばりですね。名前を呼ぶだけでいいと、いったくせに」


「もうひとつ。俺は『愛している』だった。イザベラは『大好き』だと。この差はなんだ?」


「一度にすべてを得るよりも、小出しにした方がいいかと思いまして。男女のお付き合いにおいては、お楽しみは長引いた方が良いと、書物にありました」


「そんなでたらめを書いている本は、いますぐ燃やせ」


 不貞腐れるジークバルトの胸に、イザベラは寄りかかった。


「ジーク、ひとつ、わたしもお伝えしておきます。真夜中に貴方が……王城にあるわたしの部屋の窓から現れたとき、嬉しくて仕方がなかったの。本当は、貴方の胸に飛び込んでいきたかった。一途で純情なのは、貴方だけはないということを、憶えておいてくださいね」


 ジークバルトが放心している間に、胸元からは愛しい女の寝息が聞こえてきた。


「……っ、くそう」


 眠れない夜に、ジークバルトの切ない呻きが響いた。





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