――思えばこの時
今まで抽象的に何かだった物が、逃れられない,決して運命じゃない物だと
心の底からハッキリ痛感実感した気がする。
「いつきいいいい!」
「何だよ、どした?」
最近染めたばかりで
顔は突っ伏したまま、
「内定……」
「決まったのか?」
「あぁ」
「おめでとう、良かったな」
内定を取るためにしたのだろう晴臣の黒髪を、樹は撫でてやった。
けれど、普段柔和な顔は歪んだままで全く浮上せず。出来事と目の前にいる本人の様子が、全く合わない。
「良かった、のか?」
「当たり前だろ。何社も受けたにしても、どこも冷やかしや遊びで受けた訳じゃあるまいし。なんなら、まだ決まってない俺に対して、嫌味かよ?」
自分のスケジュールを横目で見ながら、樹は本心をグチった。どこの世界に就職内定決まって喜ばない奴が居る?
何故かここにいるけど。
「ごめん」
晴臣はようやく顔を上げた。だけど表情はやはり複雑そうで。
「そうじゃないんだ。受かったのはうれしい……けど」
「けど?」
「俺が決まった会社に……タケルも来るらしいんだけど!!これって、良かったのか?!」
「”来る”って? 迎えに?遊びに?様子見に?」
樹は思い浮かぶ 来る をありったけ述べた。
今まで目の当たりにした晴臣に対する
「違う」
晴臣はゆっくり頭を振った。
「
「タケル……俺とおんなじかいしゃに、就職するってよ……」
聞き覚えのあるフレーズに乗せて、晴臣の言葉が流れた。
「マジで?」
樹が度肝を抜かれた。
「大マジらしい。なあ!! こんな事ってアリか?! 学校はまだ解る。いや、ふつうじゃ解らないけど……就職する会社も一緒の所って。バイトじゃねーんだぞ! 正気じゃないだろ!」
(とっくに正気じゃないだろ)
樹は言葉を飲み込んだ。
にしても、驚いた。そんな事が出来る行動力と、力技と、勇気に。健流の一念が岩と面接官を通したのか。
「アイツ、何考えてるんだ……晴、でも他の所受けずにそこ行くんだろ?」
「うん。もう、一からエントリーシート地獄からの、圧迫されるかもしれない面接の攻撃を防げるHPは、俺には残ってない」
晴臣はコーヒーを味噌汁のようにすすって、ため息をついている。
樹は何分か前のおめでとうの意味ではなく、今度は慰めに、晴臣の頭を撫でた。……瞬間、手首を掴まれる。
「俺が唯一、晴臣に触れる事を認めた男。いくら樹でも、一日一度までだ」
真面目な口調で、この上ないアホな言葉を告げられ、樹は腕を取られていて。樹が踵を返すと、そこには見飽きたドヤ顔があった。
(二度撫でるなってことは、どっからかずっっと俺らのこと見てたのかよ)
雑然とした学食、健流の姿はこちらからは今まで陰一つ見えていない。樹は、つまらない事に気づいてしまい、悪寒が走った。
「よぉ、健流。挨拶くらいしろ。言い飽きたけど、俺をお前の狂人シナリオに巻き込むな」
樹は半目で健流を見つめた。
「ッス。樹……
健流はにっこり笑って、樹の手を解き、当然の様に晴臣の横に座った。
音を立てて椅子をマックス近くに寄せている。いつもの一連の流れ、樹は見て見ぬ振りをした。
音もなくさりげなく、温くなったコーヒーを変えてやっている。コーヒーの種類はもちろん組み合わせ何十通りもある、自販の砂糖ミルクの分量、晴臣が飲んでる物と全く一緒の物。
「オミ、メール送ったけど」
「……見た」
晴臣も晴臣でいつもの習慣で、新しいコーヒーを何の疑問も抱かず一口飲んだ。代わりに、冷えた飲みかけを健流が飲んでいる。
「会社……」
「……」
晴臣がだんまりを決め込んでいる。
「俺、授業行くわ」
樹は、始業より早めに席を立った。いたたまれない空気。
今回はかなり晴臣のメンタルにキているんだろう。だけど、樹は知っている。
どれだけ空気が荒れようが、今回は時間がかかるにせよ、結局何事もなかったかの様に、空気が元に戻るんだ。
(流石にそこまで付き合ってられん)
「……じゃあな」
「樹!」
恨めしそうな顔の晴臣と、たおやかな笑みを浮かべて手を振っている健流を一瞥し、樹は二人をあとにした。
授業が始まっても二人は現れなかった。
授業が終わると同時に樹の前に姿を見せたのは、一人だけ。
「樹、ノート貸してくれ」
「断る」
「臣の分もなんだけど」
「……しょうがねーな」
上背のある樹にノートを渡されたついでに、健流は頭をはたかれた。
「なんだよ?オミなら貸してくれんのかよ!差別反対!」
「晴が授業にでなかったの、お前のせいだからだろ」
文句を言いつつノートを分捕る健流に、樹は溜息をついた。樹が健流を睨んだ。いつも右隣にいる晴臣の姿は無い。
「晴、帰ったのか」
「あぁ」
「今回はてこずってんな」
「そんなに、おかしいことか?一緒の所で働くのが」
「まあ、俺の周りにはいないな。お前ら以外」
「生まれた時から大学まで一緒だったら、就職だって一緒なのがむしろ当たり前だろ?!」
健流はボケていない。純粋な澄み切った瞳で樹に訴えかけてくる。国の文化が違う異国人と話をしているようで、樹は言葉を飲んだ。
「まあ、一晩寝たら晴も諦め……いや、気持ち落ち着いてコロっと元気だろ」
そんな姿を何度も見てきた。確かに今回は晴の様子はかなり動揺していた。
「そうかな!」
やにわに健流の顔が明るくなる。
「でも、お前辞めるかもしれんとはいえ、就職なんて一大事だろ。そんな、決め方でいいのか?」
大方、晴臣が受けた所を片っ端受けたんだろう。
「そんな、決め方?」
吸い込まれそうな深いグレーがかった瞳が見開かれた。
「オミが行くかもしれない会社以外、何の選択肢がある?一生の事だぞ」
”一生の事だぞ”
その言葉を、そのまま健流に熨斗つけて返してやりたい。
「あぁ、そうだな」
不毛な会話を終わらせる決め台詞を吐いて、樹は帰り支度を始める。
「たださ、晴だってお前の事、どうこうっていうんじゃなくて、世間の物差しで客観的に自分達を感じたんだろうし。
社会に出るってことで、自立、したかったんじゃないか?」
樹は最後に言い逃げのごとく、晴臣と話して感じた事を代弁した。
「自立……そんなもんオミはとっくにしてる。会社だって、オミが選んだところだ。ちゃんとオミの意志、尊重してるだろ。離れられないのは、俺だ!オミが居るところじゃないと考えられないのは、俺だから!」
「健流……」
過保護な保護者なりをしているのかと思っていた樹は、意外な言葉に驚いた。
誰より解っていると思っていた健流と晴臣の関係を、少し勘違いしていたのかもしれない。
「樹、いつも有り難う。オミの事色々、恩に着る」
「い、いや、あ、あぁ」
これも出会った頃から感じているけれど、晴臣がその場にいないと、健流は
(まあまあ真っ当な奴なんだよな)
「お前は……」
健流の聞き飽きた決め台詞を、樹は途中で制した。
「あー分かってる分かってる。”健流が唯一、晴臣触るの認めた男”が俺、なんだろ」
「樹は……違う。オミが唯一認めた男だから……俺もお前を認めてるんだ!」
健流はノートを掲げ、樹に別れを告げた。
廊下を駆ける足音と、健流の独り言がシンクロしながら樹の前から姿を消した。