時空地区――『正しい未来』をスローガンに創設された機関。
一九六九年、八月十一日、突如として太陽質量千倍以上のブラックホール同士が合体し、二千一倍のブラックホールが生成。そこで起きた二重ブラックホール連星の重力波によって、P.G.が出現した。この重力波は『GW690811』と命名されている。
P.G.正式名称はペレグリーヌス・グローリア(Peregrinus Gloria)。P.G.とは、端的に言えば能力者である。二〇二〇年には、全人類の八パーセント以上存在すると言われているが、正しい数は掴めていない。
理由として、両親がP.G.でなくても、生まれた子どもが能力を得ることもあり、重力波の影響は今も続いているのが原因である。P.G.を恐れた能力を持たない人類は、『P.G.権利と人間平等の宣言』を各国が一体となり決議した。
平等というのは名ばかりだった。P.G.は識別コードが体に埋められ、データは各国で共有管理し、毎年検査を求められる。従わない場合は各国に存在するP.G.管理所(収容所)に入れられる、不平等なものだった。
◇◇◇
空調が行き届いた密室空間。電気は最小限に部屋を照らしている。室内は無機質なもので、コンクリートに囲われているようだった。アイトは手錠を掛けられ椅子に座り、机を挟みルフィナが資料に目を通していた。
「
ルフィナの問いにアイトは口を開かなかった。
「早く話した方が身のためだ。後天的にP.G.になる人間はいるからな、申告を忘れたなら今からでも遅くはない。ただ――忘れるなよ」ルフィナはアイトの顔を手で抑えた「ここは時空地区だ。どこの国家にも属さない機関。法など何の役にも立たない。私は言ったはずだ――貴様に黙秘権などない、と」
「時空地区は不正を働くP.G.を取り締まるんだろ。仮に俺がP.G.だったとしても、こんなとろこにいるような事をした覚えはない」
「認めるのか?」
「仮に――だから、事実とは限らないけどな」
抑え込んでいた手を投げつけるように動かし、アイトは冷たくて固い床に倒れた。ルフィナはアイトの首を足で抑え、息を苦しくさせた。
「これ以上、手間取らせるな。私は貴様を殺したって何の罪にも問われることはない。それをいまから実践してみせてもいいんだぞ」
首に当たる靴底の面積が徐々に大きくなり、アイトの呼吸は大雑把になっていった。息を吸っても酸素がまったく入ってこないのに、吐く息は体内の酸素をすべて吐き出す勢いで出ているようだった。口から出る呼吸をしようとする音も、時間とともに一段と長くなっていくなかでもルフィナは表情を一切変えることなく、足で押さえつけていた。
「やめなルフィナ」
その一声でルフィナは足をどけた。部屋に入ってきたのは白髪混じりの女性だった。倒れているアイトから見ると、陰のせいか五十歳ぐらいありそうな見た目をしていた。
「ミズ・ミキコ、どうかしましたか」とルフィナ。
「桔梗アイトというのはそいつかい?」
「はい、P.G.の可能性があります。彼が、今回のテロを起こした『凋落の輝き』に対して能力を使おうとしたのを私は確認しました。能力は未知、吐こうとしません」
「P.G.なら……ひずみの原因はお前さんか」
ミキコは腰を落とし、アイトを見た。ミキコの目は見定めるような目だった。サングラスを頭の上に掛けている。
「俺は何も知らない」
アイトの言葉にミキコは微笑んだ。喜びや笑いの類ではなく、表情筋だけが動いてるようだった。
「お前さんと一緒にいた
脅しまがいな言葉をミキコは吐いた。アイトは口を割ることはせず、ただミキコを見た。
「それぐらいの覚悟があるならちょうどいい。ルフィナ、座らせてやれ」
ミキコが指示すると、ルフィナはアイトの服を掴みながら椅子に座らせた。ミキコがそれなりに偉い人物なのはアイトからは見て取れた。さっきまで威勢のいいルフィナも大人しくなり、彼女の指示がなければアイトを監視しているだけ。
だけど、なぜそんな人物がアイトの前に来たのかは不明だった。ミキコも椅子に座り、対面した。
「いまから四日後、何が起きるか知っているかい?」
覚えない日だった……ただ、唯一あるとすればクオンの誕生日であるということだった。でも、それは関係のない話。アイトは尋ねる。
「知りません。何が起きるんですか?」
「わかっていることは、大勢の人が死ぬ。それだけだよ」
やはり、覚えも何もない。いったい何故そんなことがわかるのか、聞きたくなった。
「なんでそんな話を俺に?」
「素直に聞けば、吐いてくれると思ったから――なんていうのは冗談だね」ミキコはまた微笑んだ「反応が知りたいというのと、犯人がお前さんの可能性があるから……と言ったところさ」
ミキコは続ける。
「時空地区の仕事は知っているかい?」
「P.G.の調査機関。P.G.によるテロ対策や犯罪を検挙して、『正しい未来』とか言いながら、暴力を平然と振るうここにいる連中」
「そのとおり、よくわかってるじゃないか。ただ私たちは時空地区の中にある一つの組織、時空保安局こと――SI5。主に犯罪が起こるのを阻止することが仕事なんだよ」
「大勢の人を殺すなんて俺には興味ないね」
アイトは精一杯強がるしかなかった。時計もない密室でどれくらいいただろうか、部屋の空気にすらもう慣れるぐらいの時間は過ごしていた。弱気になったら、やってもないことをやったと言ってしまうんじゃないかと不安が渦巻いていた。
クオンもどうなってるかもわからないせいで、SI5と称する人間は信用できない。とにかく、強がってやればどこかで道が切り開けるのではないかと探っていたのだった。
「アイト、お前さんが実際に大勢の人を殺すかどうかは私たちにだってわからない。ただ、関わっているのは確かだといえる。今日、テロが起きたあとに『時のひずみ』を検知した。それも大きなね」
「なんです……それは」
「興味を持ってくれて嬉しいよ。簡単に言えば、未来や過去が変わる可能性がある波のようなものさ。ルフィナ、アイトを蹴りな」
アイトは驚く暇もなく、ルフィナに蹴られまた床に倒された。座らせな、ミキコは言い、痛みを感じながらアイトはまた座らされた。
「時のひずみはこういうのものだよ。私が命令し、ルフィナが蹴り、お前さんが倒れる――この私の命令が『時のひずみ』に当たるものだ」
ミキコは続ける。
「つまりは、まだ『事』は起きないんだ。そしてひずみの原因はお前さんに当たる。どういわけで作用するがわからんが、ルフィナの出会った辺りで時のひずみを検知した」
「なら、俺を殺すのか……」
「そんなことはしない。それで私たちが巻き込まれでもしたら、たまったものじゃないよ」
少し安堵した。最低でも殺される可能性はここで無くなった。絶対ではないとはいえ、アイトにとっては安心できる言葉でもある。その安心もつかの間、ミキコはアイトに提案をした。
「アイト、SI5に入りなさい。そして、四日後に起きる『事』をお前さんの手で解決しな」
「俺には関係が――」
「石楠花クオンは私たちに必要ない。私が連絡すれば、すぐに処分することができるのだけど……もう一度聞かせてくれないかい? アイト」
卑怯なことを……、とアイトは思った。クオンが無事なのはこれで確認できたが、もしここで否定すればアイト自身によって間接的に彼女を殺してしまうことになる。その罪悪感はとてつもなく重いものであることは考えるほどでもない。ミキコはひとつの答えを待ち望んでいるようだった。
「ああ、わかった。協力する」
「それはよかった。嬉しいことだ。手錠を外してやれルフィナ」
ルフィナは言うとおりにアイトの手錠を外した。椅子から立ち上がったミキコは言う。
「それで、お前さんの能力はなんだい? 今更P.G.なのは隠す必要はない。SI5所属のP.G.はお前さん以外にもいるからね。街にいる奴らとは違って特別待遇、検査を受けなくても済み、身分も一般市民のまま。よければ見せてくれないかい?」
アイトは拳を握り、ミキコに言った
「俺の能力は――」