カフィにもテディの器が出来て、日常は虎之助の理想に一歩近付いた。
朝起きるとせっせと黒いテディが朝食の用意をしてくれている。パンも作るし料理もする。実はここに、ケルベロスの毛皮を使った理由があった。
カフィの色は黒と決めていたが、何を使うかを悩んでいた。そこで、カフィは炊事をする事に着目して耐火性の高い魔物の毛皮がいいとなったのだ。
ヘルハウンドなども候補には入ったが、いまいち気に入らないままでいた。だがあの日、偶然にも遭遇したケルベロスの見事な毛皮を見て決めたのだ。
地獄の番犬と言われ、自身も火を吐く魔物の毛皮は耐火性でいけば一級品だろう。しかも日の光を浴びて艶々としている。
「あぁ、ご主人様。おはようございます。今お食事の準備をいたしますね」
「いや、ゆっくりでいい。今日は早く起きすぎたんだ」
体感だが、おそらくいつもより三十分は早い。
こういう時、時計がないのは案外不便だ。時間に囚われすぎている日本人にとって、時間を気にしない生活も一つ理想なのだろうが、それとは別に時間をまったく確認できないというのも落ち着かない。染みついた感覚というのは難儀だ。
「確かに、いつもより早いですね。三十分程ですか」
「分かるのか?」
疑問に思い首を傾げて問うと、カフィは苦笑して持っていたサラダをテーブルに置いた。
「リーベ様の日記を読んだなら、私の本体が何かもご存じでしょう」
「あぁ!」
そう、カフィの本体は懐中時計の魔道具だ。だからか!
……待てよ、そうなるとこの世界にも時計はあるのか!
「時計が欲しい」
「人の町に行けばあると思いますよ。素材も多くなってきましたから、価値の低い所から売ってしまうのが良いかもしれませんね。ついでに冒険者ギルドに登録しておくと今後素材の買い取りなどもスムーズで、更に討伐報酬が入るでしょう」
「冒険者ギルド!」
まさに異世界ファンタジーといえばココ! という名称が飛び出す。そうか、あるのか!
虎之助のこの驚きようにカフィは苦笑し、焼き上がったパンを籠に入れてテーブルに。自分も腕があるのに、カフィは今も器用に色んな物を浮かせて自由に動かしている。染みついているのだろうな。
「ご主人様は妙な所で驚かれたり、喜ばれたりなさいますね。冒険者は人気ではありますが、生きて帰る保証のない職業ですよ」
「異世界といえばこれだぞ」
「そういうものなのですね。ご主人様の元の世界は安全な場所だったのでしょう」
まぁ、少なくとも魔物は出ないな。安全かは微妙な部分もあるが、圧倒的にこっちの世界よりは治安がいいだろう。
その中でこの年で死んだ虎之助だから、あまり説得力もないが。
「一段落付いたところですし、向かわれても良いと思います。幸い、人の町はこの森の外側ですので、出てくる魔物の大半はBクラスですよ」
「だといいんだがな」
そう簡単にSクラスばかり出てこられてたまるか! という思いをひっそりとこめ、虎之助は用意された朝食を有り難く頂くのだった。
カフィに体が出来た事を朝になってクリームと信玄が知り、驚きながらも歓迎している。白いもふもふクリームが嬉しそうに黒いもふもふカフィの手を取ってクルクル回って「仲間だ!」と言っているのは微笑ましくほっこりとする。
『こんな絶望感しかない場所で、随分可愛いんじゃねーの』
「心がほっこりするだろ、スルト」
『暢気だねぇ』
おしゃべり大好きな聖剣もリビングに出したのでより賑やかだ。今はクリームがカフィに抱きつき、カフィは少し迷惑そうにしている。クリーム、余程嬉しかったのだろう。
そういうことで、今日はこれからカフィが無事に柵を越えられるかを検証する。
庭先に立ち、ガーデンゲートを開けた所に虎之助が立つ。その足元に両手でしがみつくようなカフィがとても可愛い。精神体の時はイケメン執事だったのに、テディになったらこの可愛さだ。たまらん!
「本当に大丈夫でしょうか? 出られなかったら……」
不安そうに言い、ズボンを引くカフィの足は震えている。それに微笑んで、そっと頭を撫でた。
「そん時にはまた方法考えるから、安心しろ」
こちらを見つめる紫色の瞳が頼りなく揺れている。けれど少しして、グッと力がこもったのが分かった。
「いきます!」
虎之助が一歩踏み出すとカフィも踏み出す。そろそろと柵から足を出そうとして、戸惑って止まる。出られなかった時間が長すぎて、絶望もしたんだ。無理もない。
「あと少しだ!」
励ましの声に一度こちらを見たカフィが一歩を踏み出した。
それは本当にテディの足で一歩。ほんの少しだ。だが間違い無く出ている。その事実を受けとめた瞬間、カフィがより強い力で虎之助の服を握ったのが伝わった。
「出ました……出られました! 虎之助様!」
「あぁ、出たな」
ニッコリ笑えば涙ぐむ声。流石に涙は出ないのだが、出るなら出ていただろう。
ここに今度は真っ白い体が喜びを爆発させて後ろからタックルなんてかましながら「やったな!」と言って飛び込んでくる。もんどり打って家の外に転げた二人はじゃれていて、そこに信玄も加わって何かワチャワチャしている。
そんな平和な様子を、虎之助も嬉しい気持ちで見守った。
こうして無事に出られる事が証明された事で、カフィの外出訓練が始まった。
クリームを留守番に残し、兎部隊と信玄と一緒に森の散策に連れていったりしているが……この屋敷妖精の火力の高さに驚かされている。
『ボルトレイン!』
虎之助の肩に乗っかったまま放たれた魔法がフォレストウルフの群を容赦なく打ち付けている。空から降り注ぐ無数の雷は的確に敵だけを討ち、感電死させていった。
「……すげぇ」
「この程度の事でしたらお任せを」
「あぁ、おう。頼もしいわ」
誇らしげなカフィの頭を撫でている間にドロップした物を兎部隊がヒョコヒョコ運んで問答無用で虎之助のバッグに詰め込んでいく。この兎達、見た目は変わらないが間違いなく逞しくなっている。
そんなこんなで徐々にカフィも外に出る事に慣れた頃、虎之助は長く考えていた事を実行すべく動き出した。
この日は家の守りをスルトに任せ、クリームや信玄も連れて外に出た。肩にはカフィが乗っている。とても不安そうに。
虎之助の手には庭で取れた白百合に似た花とワインが一本。そうして、道なき道を進んでいく。この辺りは初めての場所だ。
「こっちでいいんだな?」
「……はい」
返事をするカフィの様子はソワソワして落ち着かず、拒む様子もある。だが虎之助が昨晩説得すると応じてくれた。
木々をかき分け、時に魔物を蹴散らして進むその先に、少し開けた場所と岩肌が見えた。側には綺麗な小川が流れている、その場所には僅かだがまだ争った形跡が見える。岩肌にくっきりと残された爪痕だ。
「ここで、リーベは亡くなったのか」
その声に、カフィは重く頷いた。
カフィは死後、リーベの幽霊から屋敷を譲った事を伝えられた際、自分がどうして死んだのかやその場所も教えてくれたらしい。
曰く、突如ドラゴンが襲ったそうだ。
全盛期であれば対処も出来たそうだが、リーベも歳を取って衰えてきていた。この場所に、何かしら寄り道する理由があったようだ。そうして訪れた際に襲われ、抵抗はしたが力が及ばなかった。
虎之助の肩から降りたカフィは最初頼りなくトタトタと歩き、次には心のままに駆け出していく。そして一際酷く抉れた岩壁に触れ、蹲って声を上げた。
「リーベ様! リーベ様、リーベ様ぁ!」
わっ! と泣き出すその声は酷く心に刺さる。ふと、見ていない自分の葬式の様子を見ている気分がした。突如あちらの世界を去った虎之助はその後どうなったのかを知らないが、家族仲は良かったのだ。この光景は、あったのかもしれない。
そして同じようにクリームが隣に立って見ている。その目は何処か悲しそうだ。
クリームもまた群を率い、妻子があったという。その中で自ら死を選んだクリームにも、これは響いたのだろう。
ゆっくりと近付いて、クリームはカフィの背中をやんわりと抱きしめ、虎之助はそこに花とワインを添えて手を合わせる。それを真似た信玄もまた、二本の触手を合わせて祈っているようだった。
それから長く、カフィの気持ちが落ち着くまでそこにいて、言葉は少なかったがゆっくりと空気は穏やかになる。
まだヒクヒクしているカフィの背中をあやすように撫でながら、虎之助は改めて場所を見た。
壮絶な爪痕だ。聞くところによると半年も前の事。それでも不自然に折れた木々や抉れた地表は生々しい。リーベの遺体や服などは見当たらなく、当時あっただろう血痕も雨などで流れているのだろうが、それでも相当だ。
その時、ふと抉れた岩肌に何かを見た。地面に近い亀裂だろうか。そこに、何かがあるような気がして手を伸ばす。
裂け目は細いが、それはそこにぴったりとはまり込んで固定されている。金色の縁の何かを指で引っ掻いてどうにか取り出した虎之助はそれを手の平に乗せた。
「ペンダントトップか?」
それはまるで懐中時計のようなデザインのペンダントだ。深い夜を溶かしたような、薄く紫が煌めく中に金色の文字盤がデザインされている。
それを見たカフィは小さく「あ……」と声を漏らし、震えながら手に取ってそれを抱きしめた。
「リーベ様のペンダントです。私に似てるお守りだって、作っていた」
その声はまた泣き濡れている。一生懸命抱きしめたそれは、カフィにとって宝物だろう。
「……魔法道具箱」
呼び出した神器は虎之助の意図を汲んでくれる。道具箱の中にはペンチやニッパーの他に丸カンや留め具も入っている。その中から太くしっかりとした金のチェーンを取り出し、先に留め金をつけてしまう。丸カンを用意し、チェーンに引っかけた虎之助はカフィをちょんちょんとして、彼の手からリーベの遺品を手に取り、それを丸カンに通してしっかりと閉じた。
「カフィ」
名を呼んで、できたばかりのアクセサリーをカフィの肩に掛ける。まるで肩掛けカバンみたいになったが、大きさも良かった。
「ちゃんと、持っててやれな」
「っ! はい!」
自分の肩からかかるそれを大事そうに抱きしめたまま、今度は静かに泣き出すカフィの頭を撫でてもうしばらく。涼やかな風が吹いて、ザッと草花が空へと舞う様子を眺めて、何処かで見てるだろうかと、そんな事を思う午後の時間となった。