グリュスティ様に案内されて屋敷を歩き回る。
途中で会ったメイドに挨拶をすると、何故か驚かれた。
「あら、クーアさん。おはようございます。お体の方はもう大丈夫ですか?」
「あなたは誰?」
「これは申し遅れました。私は当お屋敷でメイドをさせて頂いております、ファティーと申します」
「そう」
「はい、実を言うと重症で運び込まれた貴女を看病していたもので。経過を聞いてはいましたが、お元気な様子で何より」
「ちょっとファティー? わたくしに対して挨拶はありませんの?」
「あ、これはこれはグリュスティお嬢様。ごきげんよう」
「ごきげんようでは無くてね? 貴女、わたくしの方が立場は上なんですのよ?」
「いえ、お嬢様。挨拶なら今朝も含めていつもの事ですし、今はやはり怪我人の心配が先かと思いまして」
ここでは使用人は主人と会話が出来るんだ……。
向こうではそんな光景を見たことが無かった。一方的に命令だけをして終わり、それだけ。
ここは、変わった屋敷。
「貴女って人は、よそでは通じません事よ?」
「よそのお屋敷に務める予定もございませんので」
「全く……。まあいいわ。それで、クーアさん。ファティーは長年ここに仕えているから、お屋敷の中の事について聞きたい事があれば彼女に聞くとよろしいですわ」
「そう」
「はい。それでは何かありましたらご遠慮なく」
「ありがとう」
「……う~ん。クーアさんは随分とその、表情が乏しいというか」
「詳しい事情はまだ知らないけど、こういう子らしいから。何かあったら貴女、サポートしてあげなさい」
「承知致しました。……ところでお嬢様方はこれからどちらへ?」
「別にどこって決まってはいないけれど、そうねぇ……ではお庭にでも行ってみましょうか? 午前のティータイムでも楽しみましょう」
「了解いたしました。では、準備をして参りますのでこれにて」
「そう」
「ほら、行きますわよクーアさん」
「わかったわ」
「……やっぱり貴女、少し変わってるわね」
ところで、ティータイムって何? わからない。
庭へ案内されると、そこは色とりどりの花で溢れていた。知っている花は一つも無い。そもそも名前を知っている花なんて一つも無いけれど。
その中を歩く私達。周りには誰もいない。まるで貸し切りみたいだと思った。
庭の中央には丸いのテーブルと丸い屋根。
似たようなものは見たことがある。よくそのテーブルを拭いていた。
使っているところは見たことが無い。使用中は近づくなと言われていたから。
「さあ、お掛けなさいな」
「わかった」
「本当に、何を考えているのか分からないわね……」
椅子を引いて、腰掛ける。
するとすぐにさっきのメイド……ファティー様がやってきた。台車を引きながら。
その上にはカップやポットなど道具一式が載っている。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。只今用意いたしますので少々お待ち下さいませ」
「ええお願い。……クーアさん、当家のティータイムは他の貴族のお屋敷よりも優れた味を提供しておりますの。きっと貴女も感動で体が震える事間違いありませんわ」
「そう。でも、そういう経験が無いからわからない」
「そうですの? ならば尚の事、一度体験しておくべきでしょう。その身をもって当家の良さを知るのです。そしてその素晴らしさを全身に伝えるのです!」
「……? 何を言っているのかわからないわ」
「と、とにかく、まずは飲んでみて頂戴。ファティー」
「は、既にご用意は出来ております。クーアさん、どうぞ」
「わかったわ」
目の前に置かれたのは、湯気が立ち昇る液体の入ったカップと、それに刺されたスプーン。
これは、飲めば良いのだろうか?
「お砂糖はご自由にお入れ下さい。個人的にはまず一口お飲み頂いた後に調整をなされた方がよろしいかと」
「砂糖ってどれ? 見たことが無いの、私」
「え?」
グリュスティ様が驚いた声を上げた。
何故だろう? そんなに変な事を言ったつもりはないのだけれども。
「クーアさん、まさかとは思うけれど、お紅茶をお召しになった事が?」
「聞いた事はあるわ」
「……そうなの。ならば普段どのようなものを口にしていたのかしら?」
「硬いパンと水」
「それだけ?」
「ええ」
グリュスティ様がまた驚いている。
一体何なのだろう?
ファティー様に視線を向けると、彼女はポットに手をかけたまま目を開いてこちらを見ていた。
何故? 私はただ質問に答えただけなのに。
「お嬢様、私は看病の際に彼女の体を見たのですが、あの年頃にしては異様に筋肉が無く、皮膚に骨が浮かんでおりました。……おそらく、酷い虐待を受け続けていたのかと。彼女のあの感情の乏しさにもそれで説明が付きます」
「成程ね。……クーアさん、わたくしは貴女にマナーも何も求めません。わたくしの優雅な作法を見て真似るだけでよろしいわ。完璧である必要は無いの。下手であろうと許す寛容さがわたくしにはあるのですから。だから、わたくしの言う通りにしていれば大丈夫」
「わかったわ」
そう答えると彼女は満足そうに頷き、液体の入ったカップに手を掛け、それを口に含んだ。
「ふぅ……。相変わらずファティーの入れるお茶は美味しいですわ」
「ありがとうございます」
「クーアさん、貴女もおやりなさい」
「……熱いわ。初めて熱い飲み物を飲んだ」
「……そ、そうですわね。わたくしも最初はそう思いました」
「お嬢様、おそらく彼女は冷たい水以外を与えられて来なかったのでしょう。その辺りも含めて教育が必要かと思われます」
「……貴女、ほんとうに苦労して来たのね」
「?」
「少々、無作法ではありますが口をカップに当ててふうと息を吹きつけるのもよろしいかと」
言われた通りカップを手に取り、息を吹きつけて口に含む。
瞬間的に思った事は……。
「味がする」
「クーアさん!」
いつの間に移動したのか、ファティー様は私の隣に移動すると肩に手を置いていた。
その顔はとっても悲しそうに見えた。
「よいのです! そう、『味がする』。今はそれ以上の感想など要りません! お嬢様、彼女は美味しいという表現すら知らされずに今日まで生きてきたのでしょう。その境遇を思えば涙無しには語れぬ物語。どうか、このファティーめをクーアさんの専属メイドにして頂けないでしょうか!?」
「な、何を勝手な事を言っていますの?! わたくしは認めませんわよ! それに、彼女にはこれからわたくしの手で着飾るという事も教えて上げなければならないの。国一番のわたくし程には成らなくとも、二番手の美しさを与えなければなりませんわ」
「お嬢様、ぜひともお供させて頂きます!」
「当然でしょう? 貴女はわたくしの専属、わたくしの成す事を一番にサポートする役目があるのだから。でもまずは、このお茶とお茶菓子の美味しさを伝えなくてはなりませんわ」
「もちろんでございます。このファティー、今日は一層の気合を入れてお手伝い致しますとも」
二人が何かを話している。でも、私には彼女達の言葉が理解出来ない。
なので、二人の会話を聞き流しながら目の前にあるお菓子を食べる事にした。
……困った、フォークってどう使えばいいの? 一人でしか食事をした事が無いから誰かが使っているのも見た事が無い。
「く、クーアさん? フォークというものは、そんな逆手に持つものではなくてよ?」
「そう。教えてくれてありがとう」
「大丈夫ですよクーアさん、このファティーめが指導をしてあげますから。……まったく、この方の保護者が許せません!」
結局、ファティー様に使い方を教えてもらいながら何とか食事を終えた。
食べ方はグリュスティ様の真似をしたけれど、慣れていないから手が震え続けた。
そんな私を見る彼女達の目は、とても優しかったと思う。
優しい目など知らないけれど。