人々の視線は日向将平には向いていなかった。
彼はうつむきながら羽田光に何かを話しかけていた。
その瞳に浮かぶ感情は、白鳥紗耶香が一度たりとも手に入れたことのないものだった。
高梨美桜は死んでいないのか？
白鳥紗耶香はすぐにその考えを否定した。
高梨美桜は藤原執事自ら火葬場へ送り、将平もその死を直接確認している。
美桜ほどの人物が、将平の目を欺くことなど不可能だ。
だから、目の前のこの女は高梨美桜ではない。
ただ顔立ちがよく似ているだけの代役にすぎない。
理由もなく、白鳥紗耶香の中に怒りが沸き上がった。
美桜が死んでから半年も経つというのに、将平はまだ吹っ切れず、偽物を連れ歩いてまで未練を晒す――これは自分への侮辱なのか。
彼女は将平のもとに歩み寄り、低い声で言った。「もう十分遊んだでしょう。そろそろ帰るべきよ。」
羽田光はできるだけ目立たないようにしていた。彼女が原因で将平と白鳥紗耶香が揉めることは避けたかった。
任務に支障が出るような争いは、何としても防がなければならない。
白鳥紗耶香は傲慢な目つきで光を上から下まで値踏みした。シンプルな服装に、無造作に垂れた長い髪。
やはりただの代用品。本物よりもみすぼらしい。
羽田光はその視線に侮辱を感じたが、特に気に留めなかった。余計な争いは極力避けたかった。
だが、白鳥紗耶香は容赦しない。皮肉を込めて言い放つ。
「こんな野良猫みたいなのを拾って大事にするなんて、病気でもうつされたらどうするの？」
どれだけ将平が情報を伏せていても、羽田光が以前カジノで働いていたことは噂になっていた。
将平の眉間にしわが寄る。気づけば、羽田光は彼の手の届かない距離まで後ずさっていた。
それが彼の不機嫌をさらに煽った。
「こっちに来い。」
光は白鳥紗耶香の強張った表情を見て、一瞬ためらった。
将平はしばらく待ったが、光がさらに後ろに下がったのを見て、顔を険しくした。
「お前は、今すぐ出て行け。」
その言葉は白鳥紗耶香に向けられたものだった。
一見忠告のようで、実際は明確な警告。
ここから立ち去れ――そして光には手を出すな、という意思表示。
白鳥紗耶香は目を見開き、信じられない表情で将平を見つめた。
まさか、こんな代用品のために、自分にこんなことを言うなんて！
将平はもはや彼女を見ようともせず、光の手を強く引いてその場を去った。
その手の力は、以前服を引き裂いた時よりもさらに強く、抗うことも逃れることもできなかった。
白鳥紗耶香のそばを通り過ぎたとき、羽田光は彼女の頬を伝う涙を見た。
だが、その涙を見ても心が晴れることはなく、むしろ胸が重苦しく、息苦しささえ感じた。
かつて本当の日向夫人も、こんな屈辱を味わったのだろうか。
使い捨ての末路にすぎない。
光は白鳥紗耶香に同情しなかった。略奪愛の果ての転落は、自業自得だ。
ダメな男を選んだのなら、その覚悟も必要だろう。
車に乗ると、将平は助手に命じた。「さっきのことは一切口外するな。全部片付けておけ。」
助手は静かに車を降り、対応に向かった。
光は横目で将平を見た。彼はやはり、白鳥紗耶香のことを気にかけていた。
少なくとも、前妻のように街中の笑い者にはしなかった。
「どうしてさっき、距離を取った？」車が埠頭を離れ、風に舞った髪が彼の頬をくすぐった。
将平はその髪を手に取り、指で絡めた。
光は素直に答えた。「あなたたちが私のせいで喧嘩する意味がないから。」
将平は彼女の表情をじっと見つめたが、嘘をついている様子はどこにもなかった。
その髪は彼の指をすり抜け、まるで光自身がいつでも離れてしまいそうな気がした。
突然、不安と苛立ちが心を締めつけた。
彼は光の手首を強く握りしめた。まるで、そうすれば何かを繋ぎとめられるかのように。
力が入りすぎて、光は痛みに顔をしかめたが、振りほどくことはできなかった。
見上げて何かを言おうとしたが、彼の目に宿る狂気じみた執着を感じ、何も言わない方がいいと直感した。
本能に従い、小さく「痛い」とだけ呟く。
将平の手は少しだけ力を緩めたが、離すことはなかった。
将平は光を屋敷へと連れて戻った。藤原執事は光の姿を見て、思わず声を上げた。「奥様……？」
光が答えようとすると、藤原執事はすぐに我に返り、「失礼しました。あまりにも奥様にそっくりで、間違えてしまいました」と頭を下げた。
その迅速な対応のおかげで、光は余計な説明をせずに済んだ。
光は軽く頷いた。
将平は彼女の荷物を松本家政婦に渡し、「部屋まで案内してくれ」と命じた。
藤原執事とは対照的に、松本家政婦の表情には驚き、そして深い悲しみ、最後には将平への不満がありありと浮かんでいた。
その不満が自分に向けられたものでないことを、光はすぐに察した。
光が将平を一瞥すると、彼は彼女が松本家政婦と行くのを嫌がっていると勘違いしたのか、少し優しい声で言った。「まずは休んでいて。用事が済んだら後で会いに行く。」
光は目線を落とし、松本家政婦とともに二階の主寝室へ向かった。
はじめは普通の客室だと思っていたが、ウォークインクローゼットに入った瞬間、男女それぞれの服が丁寧に並んでいるのが目に入った。
その中に一着、水色のレースがあしらわれたロングドレスがあり、光は思わず目を奪われた。
それは前妻について調べていた際に写真で見たものだった――あのドレスは彼女の肌にとてもよく映えていた。
前妻の衣類がまだここに残されているのか。白鳥紗耶香は気にしないのだろうか。
光がそのドレスの前でしばらく立ち止まっていると、松本家政婦が警戒した様子で口を開いた。「そのお洋服には触れないでください。ご主人様が嫌がりますから。」
以前、将平の古い服を片付けようとした時、彼が激怒したことを思い出し、松本家政婦は身震いした。
「奥様……」と声をかけてから、一瞬言葉を詰まらせ、悲しげな調子で続けた。「高梨様のものも、どうぞ手を触れないでください。」
そう言い残し、松本家政婦は足早にクローゼットを出て行った。すれ違いざま、光は小さなため息を耳にした。
なぜ彼らは自分を見る目があんなにも悲しげなのだろう。
その疑問を松本家政婦に尋ねようと、ドアに向かったちょうどその時、階下から藤原執事の声が聞こえてきた。
「彼女は奥様ではありません！ 奥様が天国で見ておられるなら、無実の娘をあなたの執着の犠牲にすることを絶対に望まれないはずです！」
将平は藤原執事を静かに見つめ、淡々と告げた。「俺の身体も、俺の直感も、彼女こそが美桜だと言っている。」
藤原執事は言葉を失い、悲しみを湛えた目で将平を見つめていた。
彼も自分と同じように、将平が正気を失ったと思っているのだろう。
松本家政婦の哀れみのこもったまなざしも、ため息も、この代役の運命を憐れんでのことに違いない。
光は主寝室に戻り、古市邸の平面図を広げた。
これは建築当初の設計図で、富豪はしばしば改築を好むため、あくまで参考程度にしかならない。
実際に下見をして、地形や金庫の位置を確認する必要がある。
古市一久の性格からして、金庫は主寝室か書斎にあるはずだ。
光は候補地に素早く印をつけ、足音が聞こえた瞬間、タブレットを閉じた。
次の瞬間、ドアが開き、光は驚いたように顔を上げた。
将平は親しげな口調で「会社に行く。ビジネススーツを選んでくれ」と指示した。
光は少しため息をついたが、素直に従った。
彼女はスーツのジャケットだけでなく、カフスボタンやタイピン、腕時計まで自然にコーディネートしていた。
そこまで終えて、ふと自分でも違和感を覚えた――将平は「スーツを選んで」としか言っていないのに、なぜ自分は無意識に小物まで揃えてしまったのだろう。
