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第二話 だから、今の俺には金も時間も自由もある。ないのは、下心ぐらいのもんだ

「俺は、遠野冬流。トールと呼ばれてる……客人まろうどだ」

「…………」


 一方的にしゃべり始めた客人の男――トール。

 ダークエルフの少女は、その姿を狭くなった視界で油断なく見つめていた。いや、なにをするつもりなのか、監視していたと表現したほうが適切だろう。


「って、客人ってそっちの国でも通じるよな? 異世界から突然、こっちの世界にぽつんと出現したみたいな感じで。……いや、待てよ。客人が通じないなら異世界の概念自体が理解できないのでは?」


 ダークエルフの少女の故国グラモールにも、客人の伝承は存在する。山奥で母親と二人で暮らしてきたが、もちろん聞いたことがあった。


 そうとも知らずあたふたするトールには、邪気も毒気も感じられない。思わず微笑みを浮かべそうになり……全身に鋭い痛みが走った。それとともに、手足から力が抜けていく。


 呪いは、徐々に強くなっていた。


 だが、弱みを見せるわけにはいかない。


 悟られないよう表情を引き締め、意識を繋ぎ止める。その甲斐あって、気付いた様子もなくトールと名乗った黒髪の男は益体もない話を続ける。


「とにかく、元々俺は大学生……普通の学生だったんだけど、マンガやってたせいか刻印術師ルーンメイカーの才能があったみたいでさ。アマルセル=ダエアの宮廷刻印術師に弟子入りして、一年ぐらいでマイスターの称号を得られたんだが……」


 こんな状態でなければ、驚きに目を丸くしていたことだろう。

 たったの一年でマイスターなど、余程のことがない限りあり得ない。しかも、アマルセル=ダエアの宮廷刻印術師といえば、ほとんど交流のないグラモールにも名前が聞こえてくるほどの名工だ。


「俺が一人前になったと思ったら、師匠が失踪しやがってよ。この家とか、財産を残してくれたのはいいんだが、仕事も山積みでな……。この一年ほど、必死にルーンを刻み続けて、ついに自由と退職金を手に入れたわけだが……」


 そう言って、トールは天井を見上げた。

 どことなく哀愁を感じる。


「で、それはいいんだ」


 自分から話をしておいて、打ち切った。

 同族からの裏切りにあったばかりのダークエルフの少女すら、気の毒に感じるほどの哀愁だ。


「だから、今の俺には金も時間も自由もある。ないのは、下心ぐらいのもんだ」


 そして、トールはダークエルフの少女をじっと見つめた。


 特に上手いこと言えているとは思えなかったが、言いたいことは分かった。


 トールの誠実さは、元々感じていた。


 こちらの素性や事情を聞こうともせず、どうやって自分の家に入ったのかも聞こうとしない。

 ダークエルフの少女は、それをトールの善意だと解釈した。


 信用してくれないかという、願いだとも。


 その悪意の欠片もない想いは、同族からの裏切りに遭い生と死の狭間にあったダークエルフの少女の心を溶かした。


「……アルフィ……エル」

「ん?」

「な……まえ……だ……」

「分かった、アルフィエル。少し待っててくれ」


 それ以上喋らなくていいと、トールはダークエルフの少女――アルフィエルの言葉を遮った。

 治療を望む言葉だと、理解してくれたのだ。


「ほんとは、体に直接ルーンを刻むのがいいんだけど、俺に触られるのは嫌だろうしな」


 待ってましたと言わんばかりに、床に置いた背負い鞄から、白いシャツ、作業台などを取り出していく。


 そして、先が細くなった見た事もない金属ペンの先を触媒壺に浸し、迷いも惑いもない筆さばきでシャツに魔力の線を描いていった。


 ルーンはどれも複雑だ。しかも、線を引く順番ひとつで意味や効果が変わっていく。


 それなのに、手にも瞳にもわずかな躊躇もない。黄金に輝く軌跡がシャツの生地に吸い込まれ、ルーンが刻み込まれていった。


 早い。


 創薬術の心得しかないアルフィエルにも、その手際の良さが分かる。素人目だが、はっきり言って、異常だ。


 しかも、《解呪》と思われるルーンを完成させただけでは終わらなかった。


 ルーンを刻んだのは、シャツの表側。

 それと対になる反対側に、今度は文字ではなく絵を描いていく。


「…………」

「ああ、これは俺のオリジナルなんだが……ルーンと一緒に関連する絵を描くと効果が上がるんだよ」


 そんな話聞いたこともない。

 真実だとして、そんな秘密を気軽に話していいのか。


 そんなアルフィエルの疑問はあっさりとスルーされた。


「ただし、背景に物語。それも、多くの人に知られた物語が必要で……とりあえず、人口だけなら、地球――俺の故郷は圧倒的だからな」


 そう言いながらトールは手を止めない。

 あっという間に、水面から飛び立とうとする白鳥を描き上げてしまった。


 適度にデフォルメされているが、躍動感があり、生命に溢れ。なにより、力強い。


「はく……ちょう……」

「ああ。元の世界には白鳥の王子という童話があってな」


 質問を予期していたようだ。

 すらすらと、トールはあらすじを紡いでいく。


「呪いで白鳥に姿を変えられた11人の王子がいた。妹のお姫さまは呪いを解くために、言葉を発することなく刺草いらくさで編んだシャツを作り上げ白鳥に着せた。すると、王子たちは人間の姿に戻り、みんな幸せに暮らしましたとさ……というお話だよ」


 途中経過を省いているのだろう。

 だが、他愛もないハッピーエンドが、アルフィエルには心地好かった。


「さあ、こいつを羽織ってくれ」

「……そこに……おいて……く……れ」

「分かった」


 アルフィエルの意思を尊重し、トールはルーンを刻んだシャツをダークエルフの少女の足下に置いてくれた。


 白鳥のイラストがきらきらと光を放ち、シャツの生地へと吸い込まれていく。


 それを食い入るように見つめながら、アルフィエルは奇縁を噛みしめていた。


 アルフィエル。

 エルフの言葉で、白鳥の娘という意味を持つ。母にあやかった、大切な名前。


 震える手と体でルーンの刻まれたシャツをまとったアルフィエルは、母に抱かれているような気持ちで眠りについた。

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