仕事帰りのなんでもない夜。憂さ晴らしに、行きつけの居酒屋で一人酒を飲む。
今の会社で秘書として働き始めて数年。若手社長の透の元、少しずつ企業として大きくなっていく会社、目まぐるしく進化していく業界に取り残されないようにと、社長である透に必死に付いていった。
業務にも慣れ、社長である透のフォローもできるようになってきたと思った矢先、ミスをしてしまった。それほど大きな問題にはならなかったが、その後始末のため、透が寝食を削って仕事をしている姿を知っているので、居たたまれなかった。
私のミスであったにもかかわらず、「大丈夫。杉崎ちゃんじゃなければ、気が付かなかったくらいだから、早く気付けてよかった」と透の笑った顔が忘れられない。
「……どうして、社長は私を責めないんだろう。私が悪いのに」
ジョッキを傾け、ぬるくなった残りのビールを流し込んだ。大きなため息と共に、何もできないでいる今がとてももどかしい。
「……あの、私も残ります!」
「いいよ、杉崎ちゃんはもう帰ってくれて。ここから、オレの仕事だし、十分なフォローは受けてる」
申し訳なさそうに、その場に立ったままの私を見て、透は苦笑いをした。苦笑いしたように、私には見えた。
……いつまでも、ここにいても、きっと迷惑だから、帰ろう。
そう思って、踵を返したとき、「杉崎ちゃん!」と呼び止められる。勢いよく振り返って、「何か御用ですか!」と意気込んでしまい、一瞬目を丸くした透は、次の瞬間には大笑いしている。そんな様子を見て「失礼な」と呟くと、さらに腹を抱えて笑い続ける。
「あぁ、ごめんごめん。なんか、必死すぎて」
「必死にもなります! 社長……」
「それ以上は言わない。杉崎ちゃんがしなくてはいけないことではないと、何度も説明しているでしょ? それに、杉崎ちゃんじゃなければ、気が付かなかったことなんだから、感謝こそしても、迷惑だとか怒ったりしていないよ。本来なら、オレが気付かなくていけないことだったんだから」
深く椅子に座り直し、少し大きくなった会社の話を始めた。学生起業をしたらしい透。数名の社員から始め、今ではかなりの規模に成長している。
「人が多くなると、いいこともあれば悪いことも、いろいろあるよね? それだけ、この会社に注目も集まっているっていうことだしさ。対策はしていても、結局は机上の空論ってことだったわけだから。それでも、こうして、世に出る前にリカバリーができるってことは、すごいことなんだよ。杉崎ちゃん。オレは幸運だよ。杉崎ちゃんっていう人材が、側にいてくれることが」
「……社長。それは、私の方が思っていることです。でも、今回のことは……」
首を横に振りながら、微笑む透の意志は固い。だから、私には、今回のリカバリーのメンバーから外された。私はそれ以上何も言えず、「……お疲れ様でした」と一礼した。
「あぁ、待って待って! せっかく呼び止めたのに」
「そうでした! 私にできることがありますか?」
「うん、お願いしたいことが」
「何でもします! 何をすればいいですか?」
食い気味に透へいうと、「杉崎ちゃんがいれるおいしいコーヒーが飲みたい」と笑うので、少し気が抜けてしまう。
「わかりました。社長には、ミルク増し増しのコーヒーをご用意します」
「うん、頼むよ。それと……」
「会議室の分は、毒ギリギリの濃いブラックを用意しますね!」
「さすがだねぇ?」と笑う透を見て、私は早速、準備に取り掛かることにした。
淹れ終わったコーヒーを持っていくと、「いつもありがとう」とだけ言って、透はこちらを見ようともしなかった。
その後、会議室にもコーヒーを持っていくと、疲れ切ったリカバリーメンバーがそれぞれのカップを持って集まってくる。どうやら、コーヒーを買いに行く余裕すらなかったのか、一瞬でなくなっていく。そのまま、ゾンビが歩いて行くかのように、元の席に座り、キーボードの音をさせている。
私は、もう1杯ずつ飲めるようにと、今度は薄めのコーヒーを作って茶菓子と一緒にそっと置いて会議室を出た。
そのまま会社から居酒屋へと逃げ込んだ。