「重い……」
東京の郊外に位置した、オークション会場から遠く離れた路地裏。少年は重い足取りで少女を背負って走っていた。
一歩足を進めるごとに全身に鋭い痛みが走っているが、主人と奴隷の関係になってしまった今、少しでも歯向かったら首が吹き飛ぶ。
どうしてこんな酷い目に遭っているのだろうか。遡ること約1時間前。会場から抜け出してすぐ、全てはあの"ネックレス"から始まった──
◇
オークションの会場から少し離れた河川敷。
「私の奴隷になったことを嬉しく思うといいわ」
少女はドヤ顔でそう言い放つと、胸の前で腕を組んでからニッコリと怪しい笑みを浮かべて言う。
「あまり高価な物じゃないけれど、私からのプレゼントよ」
動きやすそうなショートパンツのポケットから現れたのは、一つのネックレス。
「きっと似合うよ。ありがたく受け取ることね」
濃紺のひし形の中心には、夜空のような星が瞬いている。だが、その煌めきにはどこか背筋を撫でるような冷たさがあった
周りを囲うように
不気味、と思うよりも好奇心が勝ってしまい、撫でるように触って確かめた。
「綺麗でしょ。それは特殊な"種"に成る植物の蔓を加工して作られたものなの。それを加工することができる人は世界でたったの一人。君にも会わせたかったなー」
優しくも寂しそうなその目は、どこか遠い過去を見つめているようだった。
無理に聞いて気を悪くさせたら困るので、それ以上のことは聞かず、胸の奥にそっとしまい込んでおくことにした。
「「……」」
突如として流れた気まづい空気に当てられ、少年は無言のままネックレスを首にかけた。
見た目の割に軽い──と言うよりは重さを感じられない。
どうなってんだよ、このネックレス。これは例の蔓の特性のようなものか?
信じられない、と顔には出さないが思う少年は自分の首にかけたそれを、不審そうな目で見下ろしている。
アクセサリー店で並ぶようなありふれた物でないことは分かる。しかしそれが自分に対し、どのような害を為すのかは未だ不明でいた。
少年は一度は着けたネックレスを外そうと、首に手をかけた時だった。感傷に浸っていた少女が正気に戻ったのは。
「あ、いけない。今にも追っ手が来るかもしれないし遠くに逃げようか」
「そう、だな……」
ネックレスなんて
この妥協が無ければ俺の自由が奪われなかった。そう後悔した時にはもう遅かった。
「私、もう歩けそうにないから──だっこして」
「……は?」
少年は固まった。
開かれた腕、潤んだ瞳、年齢不相応なお願い。
──いったい何を言っているんだ彼女は。
「だっこ……」
うるうるとした可愛らしい目で見つめられ、少年には母性……は起きず今までのギャップが相まってドン引き。思わず一歩後ずさりする。
一部のおじさんは喜びそうだが違った。引きつった顔は戻らなくなり、様々な感情が胸の中で交差している。
見間違いだろうか。俺の目からは彼女の体が、服が縮んだ。
膨らんでいた胸は平らになり、腰上まであった黒光りしていた髪はたちまち短くなった。最終的には肩にもつかないほどの長さになってしまった。まるで──変身でも見せられたかのようだ。
バカな。現実離れしすぎている。
少年は目を擦って頬を叩くがすぐさまそれが夢でないことを思い知る。
「
少しは優しそうなイメージがあり勘違いしていたが、所詮は主人と奴隷の関係。
結局今まで通り酷い目に合わされるのだろう。
その事実を突きつけられたにも関わらず、胸は痛まない。
真顔で、冷めた目をしている。
季節は夏。青春を謳歌している少年少女とは全くかけ離れた表情を浮かべている。
少女はむぅ、と頬を膨らましたかと思えば、大人であっても怯んでしまいそうな目で少年を睨む。
宝石のように美しい赤い瞳からは自分の言うことは曲げないぞ、という強い意志が伝わってくる。
「つかえないどれい。【わたしをだっこしろ】」
その言葉には
背筋が凍りそうになり、従わないと死ぬ、と全身の細胞が震え上がっている。
「俺は絶対にお前をだっこなんてし──ッ!?」
先程少女に手渡されたネックレスが邪悪な色に光り輝く。
そして間を開けずその周りを囲んでいた、蔓は瞬く間に伸びて少年の体に巻き付いた。
「それはこのネックレスのちから。マスターであるわたしのことばに逆らえない」
どれだけ強く引き剥がそうとしても、硬すぎて全くの無意味だ。
「ん、だっこ」
「わ、わかりました……」
すると、体を束縛していた蔓は風に流される灰のように消えていった。
いつ敵が追ってくるか分からないので、すぐに少女ご希望のだっこをして走る。当たり前だが走りにくく、あっという間に息が上がる。
「おんぶでも……いい?」
「いい」
いいのかよ!
全力でだっこして2キロ。すでに膝は笑っていた。
近くの駅までという指示があったが、周りには人気が無く、いつこの地獄から開放されるのか分からなかった。
「すこしでも悪意のあることをしたら、首をはねる」
背中から聞こえた殺意に満ちた声に、少年は珍しく恐怖を感じた。
クローンの研究所でもこのように死を間近に感じたことは無かった──
「……ていうか、お前、なんで子どもになってんだよ……」
「それは──きにしないで。"仕様"だから」
少年が開放されるのはまだ先のようだ。
日本の警察の元に『傷だらけの少年が幼女を背負って走っている』と通報があったのは、このすぐ後のことだった。
少年たちが去った路地の片隅に、黒いローブの人影が佇んでいた。
「報告対象──確認。"コード・ティナ"
その無機質な声と共にローブが揺れた。