目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第3話 「壊される」



 テーブルに置かれたままのコップを見ると入れた覚えの無い水が溜まっていた。恐ろしくなり、慌ててコップを払い落とすと、がしゃん!と音が鳴り、ガラスのコップは割れてしまった。床の上に水が広がる……。オレは手元のハンカチをその上に落とした。いずれ掃除しなくてはならないが、いまは覆い隠すのが精一杯だ。


 昨日の電話から水分を取っていない。扇風機と塩飴だけでこの夏を乗り切れるはずもない。トイレへ行くときも出来るだけ下は見ていない。


 にゅうっ。


 と水溜まりから白い腕が伸びるイメージが脳裏から離れない。本当はどうなのか、分からない。オレはまだ見ていないから。だけど、分かっていることはあった。……オレはこのままだと死ぬ。呪われて、祟られて、溺死させられる。


 ……昨日のことだった。

 夏休みも半ばとなり、暇を持て余したオレは友達と肝試しへ行ったのだ。大学デビューで髪を金に染めたハルアキと1学期に10個も単位を落としたリョーコと親に車を買ってもらったエマの4人で隣の県まで。



「目的地ってどこだっけ?」


「G村。なんか古くせー祠があるんだってよ。近付いたやつを呪うらしいぜ」


「えぇー。こわーい」


「ぶりっ子するならもっと努力しろよな」


「でも、祠なんて見てどうすんのさ?」


「決まってんじゃん! いまは令和よ? 近付いた者を呪うなんていう古い価値観はアップデートさせてやらなきゃ。G村には感謝してほしいね、まったく」


「つまり?」


「俺たちの手で……足でもいーけど、ぶっ壊してやろうじゃん! で、記念撮影! インショー的な夏の思い出になるだろ?」


「おもしろそ〜」


「さっきより上手いよ、リョーコ」



 ざぶん。



「あ? 誰かなんか言った?」


「どうした、ハルアキ。何か聞こえた?」


「おう。何かが水から這い出てきたときみたいな……水音っぽい。気のせいだろうけどな」


「そりゃそーでしょ。まだG村に入ったわけでもないのにさ。てか、そんな水音聞こえるのも有り得ないし。もう、ほぼ深夜でしょ」


「お、もしかして雰囲気作り? 気が早いんじゃないか」


「…………ん。おかしいな。確かに聞こえた気がしたんだが。まぁいいや。ノボル、スマホのバッテリーある? ライトとカメラ使うから、残しとけよー」


「分かってるって」



 肝試しするっていう目的を決めたのは夕方の頃だったはず。ハルアキは昼間の時点でスマホのバッテリーが切れていたのだ。リョーコは物忘れが激しいし、エマは運転手という大役を任せている。オレが適任だった。


 田んぼだらけで見晴らしの良い道路だ。歩行者など、こんな時間にはいないとエマは決めつけ、猛スピードで車を走らせていた。おかげで予定より早くG村に到着した。祠の前に道があるとは限らないし、適当なスペースに車を置いて、オレたちは祠を目指した。



「辛気臭い場所だね。廃村みたい」


「廃村は住人の方々に失礼だろw」



 G村は廃村ではない。事実、メインストリートの傍らには古びた家々が立ち並び、灯りがカーテン越しから見えていた。ワイワイ騒ぎながら祠へ向かう。ハルアキは一応下調べをしていたらしく、特に迷うことも無かった。



「これか」



 最後に手入れされて数十年は経っていると思われる古ぼけた祠があった。四角い石と朽ちた木の板が積み重なっている。看板をスマホのライトで照らす。曰く、G村の水神さまを祀っているところらしい。


 ……ふと、祠の周りが濡れていることに気付いた。この辺りに雨が降ったのは5日前だったはず。そして、木の板に引っ掻き傷が大量についているのが見える。気持ち悪いな。



「おーし。このボロさ加減だったらキック1発で終わっちまうな。名残惜しい……わけないわな。 さっさと帰ってエマの家で宅飲みしよーぜ」


「いいね〜!」


「よし、じゃあ早速、アップデート行っちゃいますか! おまえら、準備し…………あ?」



 まだ誰も祠には触れていない。なのに内側から祠は崩壊してしまった。よほど古かったのか。オレたちもあまりの呆気なさにフリーズしてしまった。まさか、勝手に壊れるなんて。



「これも思い出かな〜」


「ん? なんか、下に空間が無い? これ、もしかして井戸なんじゃない?」



 エマの指摘通り、祠の下はポッカリと穴が空いており、スマホのライトが少し離れたところにある水を映し出していた。月明かりもプラスされ、それが汚い水だということが分かった。


 汚い水に触れたくはないので、写真撮影だけしてオレたちはその場を後にした。なんとなく、スッキリしない気分の中。


 すると、G村の入り口近く、エマの車を停めたところに腰を曲げた老婆が立っていた。あまりにも不気味だったが、彼女は上機嫌で手招きをした。老婆と話す必要は無いが、エマの車の前にいるのでしょうがない。



「こんばんは!」


「こんばんは。元気だねぇ。もしかしてなんだけど、あの水神さまの井戸に行ったのかい」


「は、はい……」


「祠、壊しちゃった?」


「ああ……いや。俺たちが触れる前に壊れちゃったんで。ほ、本当っすよ!?」


「ええのええの。わしらも熱心に拝んでたというわけでもないし。それより、暑いやろ。塩飴あげるわ。寝るときはクーラーつけないとダメよ」


「え。あ、ああ、いただきます」


「こんな古臭いところなのに、興味を持ってくれたんだねぇ。……ありがとう」



 村の祠を損壊させた若者たちにこんなことを言う人がいるだろうか? 塩飴を見ると近くのスーパーで売られている普通のやつだ。老婆はそのまま村の中に入っていってしまった。



「……帰るか」



 何となく毒気が抜かれてしまったような気がして、結局エマの家で飲む約束も流れてしまったようだ。それぞれの下宿の前に降ろしてもらい、その日は解散となった。リョーコが何やらぼんやりと水を飲んでいたが、気にはならず。


 ぼちゃん。ずちゃ。ずぅぅ……ちゃぱちゃぱ。


 妙な水音で目が覚めた。風呂の栓を開けたまま湯を入れてしまったときの音に似ている。昨日はなぜかひどく疲れた。スマホをチェックすると、エマから電話がかかって来た。確認すると履歴がエマ一色だ。何かあったのか? オレは電話に出ると、エマは泣いているようだった。



「どうした?」


「リョーコが死んだ」


「は?」


「リョーコが死んだのよ! 部屋着のまま浴槽に沈んでて溺死よ。……顔も体もぶよぶよに膨らんでて……。うぷ。ね、ねぇ、これってさ」


「水神さまの呪い?」


「だよね。で、でもさ、あたしたち何もしてなくね? 祠は勝手に壊れたよね? あたしたちのせいじゃないよね? ね、ねえ!!」


「偶然、だろ……。リョーコは自殺したんだ。思えば昨日も別れ際、心ここに在らずみたいな表情してたし。何か悩みでもあったのかも」


「そんなわけないでしょ! 単位10個落としてもヘラヘラしている女に悩みなんか! ハルアキにも聞いてくる。あいつ、確か水音がどうとか言ってたよね! 切る」



 リョーコが死んだ? 溺死? 祠が壊れたせいで? いまは令和だぞ? 呪いや祟りなんて馬鹿らしい。でも、リョーコは死んだのだ。自殺? 本当にそうだろうか? 死ぬ素振りなんてまったく無かった。


 ぼちゃん。ぽた。ぽた。ぽた。


 バスルームを振り返る。中を確かめるがもちろん誰もいない。でも、いまのは水音だった。誰かの体に付いた水滴が床に落ちる音だ。こんなところにいたくはなかった。オレは慌てて荷物を持って外に出た。雨が降っている。


 気乗りはしないが、喫茶店で時間を潰そうとし、コーヒーを頼んだ。コーヒーが来てギクリとした。黒い水面に誰が映っている。黒髪のショートカットの女。……リョーコだ。リョーコはこちらをただ睨み上げている。オレはコーヒーを飲まずに家に帰った。


 電話が鳴った。エマからだ。オレは悪い予感をひしひしと感じていた。



「ハルアキも死んだ」


「……溺死?」


「うん。部屋着のまま、近くの小学校のプールに浮かんでたみたい。……このままだと、あたしたちも、死ぬよね? ねえ、お祓いとか出来るところ知らない? 高くてもいいからさ!」


「ごめん。知らないよ。で、でも、今から調べる! 何か分かったら連絡する!」



 電話を切り、スマホで霊媒師について検索しようとすると、インターフォンが鳴った。オレを訪ねてきたのは2人の警察だった。こんなに時間が足りないときに! よりにもよって!



「形式上お伺いしているだけですよ。金坂悠明さん、田所涼子さん。ふたりが亡くなったことはご存知ですか? 共通の友人だそうですね? 何らかのトラブルに巻き込まれていたと思いますか?」



 そのとき、電話がかかって来た。エマからだ。オレは警察の返事を待たずに電話に出た。



 ごぼごぼぼごぼぼおおお! た、たすけごぼこぼこぼぼぼぼぼごおお! べちゃ!



 オレはエマの家に行くよう、警察に言った。そのときのオレは泣いていたかもしれない。その必死さが伝わったのか、オレを連れてエマの家を尋ねた。エマは部屋着のまま床で溺れていた。辺りには水のペットボトルが複数転がっている。床には確かに大きな水溜まりがあるが、こんなもので成人女性が溺死するわけがない。



 警察は少なくともオレが関与していたわけではないことを知り、引き上げていった。


 べちゃ。べちゃ。ずうううぅ……。


 さっきから、ずっと聞こえてくる。ドロドロに濡れた怪物が床を這いずり回っているようだ。



「いい加減にしろよ! オレたちは何もやってない!! 勝手に壊れたんだ!」



 と大声を出す。体温が上がった気がして塩飴を舐めようすると、ある可能性に気付き、震えた。あの老婆、もしかしてこうなることを知っていた? 水神さまと言う名前の怪物をG村は封印していたのではないか。怪物はG村から出て行き、村民たちは怯えずに生きていけるようになったのかもしれない。祠が壊れやすいように作られていた可能性もある。ここに訪れた馬鹿なやつらに水神さまを憑けるために。


 最悪だ。肝試しなんて行かなければ良かった。どんなに後悔しても足りない。喉が渇いた。水が飲みたい。だが、この家で水を飲むとどうなるか分からない。エマみたいに憑き殺されるかもしれない。だけど、この渇きは暴力的だ。口の中に広がる塩味がオレに水を飲ませようとしてくる。


 ぼちゃん!


 上から水滴が落ちて来た。雨漏りだ。突然のことに呆気に取られている暇なく、ぼとぼとぼと。と水が落ちて来る。外は雨だ。家の中にいるか? 外へ出るか?


 ざー。ざー。ざー。


 意を決して玄関を開けた。傘なんて要らない。オレは必死になってコンビニへ向かう。イートインのスペースで水を飲めば助かるかもしれない。必死に走り、水溜まりを踏みつける。すると、ぐにょっとした感覚と足首を折られかれないほどの痛みを感じてうずくまる。にゅうっと。イメージ通りの白い腕があちこちから伸びて、いつのまにかオレの顔を水溜まりに押し付ける。


 こんなにあっけないのか、死は。


 ごぼっ。ごぼっ。苦しい。助けて。たすごぼぼぼぼぼっごぼごぼ…………。





「タキさん、知ってるかえ?」


「知っとる知っとる。2日も保たなかったらしいねぇ。最近の若者は根性が足らん」


「祠はまた作っとくか?」


「面倒やけどやっとかなダメよ。元々、禁忌犯したのはG村だし。水神さまというもっともらしい言い訳つこて、人殺しの怪異飼ってるのはわしらだでなあ」


「たまーの大仕事、次にいつあるのか分からないしねぇ。カネサカハルアキ……やったっけ? ドラ息子、呪い殺すだけで2000万だで」


「そういえば、水神さまは戻られたの?」


「まだよ。きっと、街のどこかでまた溺死が増えるだろうねぇ。それにしても祠の自壊のカラクリは今回上手く作動して良かったわ」


「この前のやつらは元々壊す予定だったみたい」


「……ん?」


「どうした?」




「いま。なんか水の音しなかったか?」



 ぽちゃん。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?