目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4話 「掴まれる」


 どちらまで? 


 ……へぇ、お客さんは出版社の方なんですか。怖い話ですか。ありますよ。まず前提を話させてください。


 お客さんはお若そうですから伝わるかどうかは分かりませんがねぇ、私たちの年代の子供は布団から足を出すのを嫌ったんですよ。


 布団から出している分を切り取られるってね。童謡『さっちゃん』に纏わる話です。確か子供向けのテレビ番組がなにかだったと思うんですが……いや、あいまいですねどうも。さっちゃんはバナナが好きでね。バナナを枕元に置いておくと布団から足を出していても許される。口裂け女にポマードと言ったら撃退出来る……そういうのと同じ系列ですねぇ。


 しかし、バナナを実際に用意する子供は少なかったでしょうね。子供は見栄を張りたい生き物ですから、さっちゃんが怖いからという理由で親にバナナを用意してもらうのは避けたい。だから、怖くないと自分に嘘をついたり、あるいは布団から足を出すのを病的に嫌ったり。


 私は後者でしたねぇ。恥ずかしながらその悪癖を克服したのは20代でしたよ。歳をとると染みついた恐怖も次第に鈍化していくということでしょうな。……あぁ、失礼。タクシーの運転手をしていると幽霊のひとりやふたりは乗せるものだろうという言説は理解しているし、その経験はありますよ。でも、そんなものは何も怖くない。彼らより、クレームや難癖をつけてくるお客さんの方がよっぽど怖い。


 お客さんは私が経験した最も怖い体験を知りたい、そういう話だったでしょう? 昔の話です。私が『さっちゃん』の都市伝説をちょうど聞いた辺りの頃でねぇ、今や立派なおっさんになってしまった私でも当然、無垢な子供だった期間があるのですよ。



 私には3つ上の姉がおりまして。いまなら、3つ歳が違うからといって何も変わりはしませんが、6歳にとっての9歳は半分大人の仲間入りをしていたように見えたんですよ。姉は優しくて弟想いでねぇ……。仕事で帰りが遅い共働きの両親に向けての気配りも出来ていた。私はそんな姉のことが何より大好きでした。


 けれど、そんな姉にもね、まだまだ子供らしい部分があったんです。それがね、人形と遊ぶことでした。金髪で青い目をした西洋人形……というのかな。元は母が子供のときに遊んでいたもので、けっこう古くて立派なものでした。


 姉はドールハウスにその人形や父から貰ったぬいぐるみやゲームセンターで手に入れてきたフィギュアをごちゃ混ぜに入れていたんです。寝る前にドールハウスから人形を取り出し、30分ほど遊んで眠たくなったらドールハウスに仕舞う。でも、私が声を掛けるとどんなに良いところだったとしても止めてくれた。いま思えば、30分くらい私が待っていればよかった。私は姉に負担しかかけていなかったんです。


 ですが……私はこの姉の遊びを快く思っていませんでした。いまもそうですが、私は人形が怖いんです。この世の何よりも不気味で悪趣味な代物だと思っています。あぁ、お客さんが人形が好きな方だったら申し訳ない。これは私の偏見に近い。


 とは言え、私は姉が好きでしたから、ことさらに言うことはありませんでした。まぁ、姉はよく気がつく人でしたから、弟と趣味が合わないことは分かっていたでしょうね。


 当時の私は臆病でねぇ……クラスメイトたちが楽しそうに怪談を話すのが嫌でした。でも、嫌なことほど印象に残るものです。当のクラスメイトはすっかり忘れているのに私だけがずっと覚えている怪談があったりしました。


 そんな飽きっぽい彼らでも強烈に刻み込まれた怪談がありました。それが『さっちゃん』です。昔はいまほど気候が激しくありませんでしたが、それは即ち、夏でも寝るときにクーラーをつけるのは一般的ではなかったということです。毎日バナナを用意するわけにもいかないし、布団から足を出さないで眠るのも現実的じゃない。寝ること自体に不安を抱えていました。

しかも私は寝相が悪くてねぇ、無意識にでも布団を足から出しかねないと思った。


 すると、姉が自分のベッドで一緒に寝ていいと言ってくれたのです。子供というのは見栄を張りたい生き物です。けれど、家族相手に見栄も何も無い。私はその提案を受け入れました。


 その日の姉は2人分の食事やら私と一緒に寝るために忙しそうにしておりました。なので、どうやら人形と遊ぶ暇は無いようでしたね。私はなんとなくドールハウスに向けて勝ち誇ったような視線を受けました。


 がた。


 姉が一番可愛がっている金髪の人形が何かの拍子に動いたのです。私はそのことを不気味に思いつつも、トイレを済ませ、ひとりぶんにするには大きすぎるベッドで並んで寝ました。姉はすぐ眠ってしまったのですが、私は緊張していました。窓を網戸にしていたのでそれほど暑いわけではありませんでしが、寝苦しかった。


 一度寝たかと思うと足が出ていないかどうかが気になり数時間ごとに目覚めてしまいました。二度目に目覚めたとき、たかが怪談でなんて神経質になってしまったのだろうと反省したのです。もし、さっちゃんが実在するなら、これまでだって足を出したまま眠っていたときにいくらでも攻撃が出来たでしょう。


 そのことに思い至り、私は布団から足を出しました。それだけで一気に涼しくなって、笑っちゃいそうになりましたよ。しかし、次の瞬間、私の足が何者かに掴まれたのです。何者かは私をベッドから引きずり出そうとしている。何故か声は出ませんでした。視線だけ向こうに向けると、女が立っていました。金髪で長身な女。顔は見えず、そのことが余計に私の不安を掻き立てました。


 ゆっくりと私は引きずられました。私は姉を起こしさえすれば、事態は解決すると思いました。何せ、私にとってのスーパーヒーローですからね。かろうじて動く手で姉の布団を剥ぎ取ったのです。すると、そこに姉の頭はありませんでした。……足、でした。寝相の悪さで気付かぬうちに回転してしまったのでしょう。


 顔の見えない女はぐにゅうと体を伸ばし、今度は姉の足を掴みました。姉はその途端に起きたようでその異常事態に泣き叫び、私の名を呼びました。女の力が分散された隙に私は慌てて足を隠しました。姉は私の手を握ろうとしましたが、あまりの恐怖に私はその手を掴むことはしませんでした。姉と女は壁の中に吸い込まれたように消えました。最後に見えた女の顔はひどく悍ましく、見覚えのある顔でした。


 いつのまにか眠っていた私はひどい悪夢を見たと昨晩の記憶を流そうとしましたが、隣の布団に姉がいません。私は慌てて、下の階に行きました。リビングでくつろぐ両親に、私は姉のことを聞きまして、それで大騒ぎになりました。警察、ボランティアなど多くの人が捜索に協力しましたが、見つかることは無く。


 でもね、私には予感がありました。姉の部屋へ行くとドールハウスに見たことがない人形がいるんです。黒髪、黒目の西洋人形です。その人形は姉に生き写しでした。金髪の人形がありません。昨日、私たちの足を掴んだのは金髪の人形に違いありませんが。


 私はおそるおそる黒髪の西洋人形を手に取りました。これは姉だ、と私の中では確定的になりました。その人形はひどく悲しげな顔をしていて、胸が張り裂けそうでした。何せ、私のせいで姉はこんなことになってしまったのですからね。でもですよ。何らかの方法で姉を救う手段があったとして、私たちはこれまでと同じ条件で生きられますか? 無理です。


 それに。生きてる人形なんて気持ち悪い。醜悪を通り越して不快だ。姉の人形は包丁でバラバラに解体して、ドールハウスと一緒に処分しました。心なしか、人形の目が潤んでいたようにも見えましたが、私個人の裁量を超えています。仕方がないですよ。


 目的地に到着しました。料金はメーター通りに払ってください。……では、お気をつけて。あぁ、そうだ。お客さんにひとつアドバイス。夜眠るときは布団から足を出さないでくださいね? うちの姉が迷惑をかけるかもしれませんから。いまでも時々、非力な手で私の足を掴むんですよ。









この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?