「超常……災害?」
「聞いたことないかな」
顔を見合わせてから頷く可奈子と光輝に、私は安心させるように笑顔を向けてやった。
彼らの反応は、当たり前の反応だ。
超常災害なんて言葉は、普通に生きていれば聞くことなんかないし、経験だってしないだろう。
残念ながら、この黙示樹がある以上は完全に無関係なまま生きていくことはもう、出来ないだろうけど。
「超常災害っていうのは、この〝新宿〟みたいに超常現象的な異常によって引き起こされた災害の事だよ。読んで字の如くね」
「超常現象的っていうのは、あの大きな樹の事ですか?」
「そうだよ。いきなり生えて〝新宿〟から音を奪った樹……黙示樹って、名前は聞いたことない?」
「ニュースとかで……」
「うん、ニュースとかではそう言うかな。アイツは本当にどうやって生えたのかも、どこから来たのかもわからない。そういうのの調査が、私たちの仕事なんだ」
「あ、危なくないんですか?」
「危ないよー。私も迅も、死ぬ覚悟でここに来てるもん」
あはは、と笑いながら言ってやると、可奈子も光輝も顔色を白くした。
【悪魔】に遭遇して、得体のしれない肉を食って、武器を手にして。
そこでようやく、彼らにも実感が湧いてきているのかもしれない。
自分たちがとんでもない世界に入り込んでしまったという、実感が。
でも私にしてやれる事は、ほんの少しでも生き残る確率を上げてやることだけだ。
銃の使い方を教えてやって、戦うという事の認識を少しだけ身近に引き込んでやる。
そうするだけでも生存確率はほんの少しだけ、上がる。
ほんの少しだけ、だけども。
「廻。昼には出るぞ」
「オッケー。ご飯はどうする?」
「外で探す。昼に匂いをたてるのは、流石に危険だ」
「危険、なのですか」
地下に顔を出した迅に、可奈子が不安そうに聞く。
迅は「何を今更」って顔をしているけれど、誰かが説明してやらないと「危ない」の意味もわからないままだろう。
私は時計を確認して昼まで少しある事を確認すると、可奈子と光輝を連れて上に戻った。
そして、絶対に迅がなにも教えていないだろう【悪魔】についてを、説明してやることにする。
これも生存率を上げるためだ。
彼らだけじゃなくて、一緒に居る私たちの生存率にも関わる事だからこそ、教えておかなければ。
「悪魔には、大体3パターン居るんだ。空を飛ぶとか、地上に居るとかは別にしてね」
「そこを別にするの? 空を飛ぶと厄介じゃない」
挙手して聞いてくるのは、【悪魔】について興味があるらしい梓だった。
光輝もうんうんと頷いていて、誠士郎は思ったより生真面目な性格なのか、どこからかメモを取り出している。
「そうだね。そこも大事なんだけど、もっと大きな分類があるのさ」
「それって……?」
「獲物を感知する方法」
迅がぽんと一言投げ込むと、高校生たちの表情が固まった。
彼らの見た【悪魔】は、あの壁の近くで山村を殺したごく小さな蟲のようなヤツと、ワイバーンタイプだけだ。
でも、きっと思い出しているのは蟲の方だろう。
あんな鮮烈なシーンはそう簡単に忘れられるモンじゃない。
私は手をパンパンと叩いてから学生たちの意識を引き戻してやると、
「迅の言う通り。私達は獲物の狩り方で【悪魔】たちの危険度を判断してる。主には音、匂い、それから視覚だね」
「全部っていうヤツも居るの?」
「そりゃ勿論。でも、この〝新宿〟では音は花びらに吸われるからね。音オンリーで狩りをするヤツは案外少ないかな」
「音を、吸う……?」
灯が不思議そうな顔をして、誠士郎もメモを取る手を止めた。
まぁ、アレは実際に経験してみないとわからないかもしれない。
私はザックからペンを取り出すと、ざっくり大きな楕円を床に描いて、その中に樹の絵を描いた。
絵心についての指摘は受けない。わかりゃいいんだこんなもん。
「黙示樹は〝新宿区〟全体を覆ってるわけじゃないんだ。勿論都庁だって、新宿区のど真ん中にあるわけじゃない」
「あ……」
「そう、だな」
「便宜上〝新宿〟とは読んでるけど、黙示樹は〝新宿区〟の一部を閉ざしているだけ。その中で完全に埋まってるのが〝新宿〟で、区全体ではまだまだ無事な所の方が多いんだよ」
考えたこともなかった、とでも言いたげに、高校生たちが私の描く楕円の中を見る。
思わず声をこぼした灯も、重々しく頷いた誠士郎も、思う所がありそうな顔だ。
実際、〝新宿〟封鎖と聞いて、新宿区全体が封鎖されていると思っている人は東京にも結構居るだろう。
けれど実際には、完全に黙示樹の花びらで埋まっているのが〝新宿〟で、新宿区全体が埋まってるわけじゃない。
すでに新宿区の5割弱は黙示樹の根が張り渡り、壁は安全のためにそれよりもやや広範囲を覆っている。
根が広がってしまって壁が破壊されれば元も子もないから、結構余裕を持っているって、私は聞いた。
元々は、こんなに広い範囲を埋めてなんかいなかったんだ。
突然都庁を中心に枝を伸ばした黙示樹は、どんどん成長して今や新宿区の半分を支配している。
そうなる前に、私達に依頼が来ればもっと早くどうにか出来たかも。
なんて悔いても仕方がない。
最初のうちの黙示樹伐採の中心は国で、あくまでも民間団体な我々S.I.G.Nは関与できない範囲。
「まぁとにかく、新宿区のうち、壁で囲まれてるのがこの範囲。そんで、その範囲のうち、あの花びらが飛んできてるのがこの範囲ね」
「意外と……狭いのね?」
「そうだね、梓くん。まぁ実際に歩けば広いけど……この範囲内は白い花びらが積み上がっていて、その花びらが音を吸い込んでいるのか、ほとんど音がしないんだ」
私の手のひらに、迅のやつが──一体いつの間に拾ってきたのか、白い花びらをそっと置いた。
まったく、昨日ワイバーンを狩った時にでもどこかに入り込んでいたんだろうか。
わずかに重みのある、桜の花弁を少し大きくしたような花びら。
一見すれば少しも危険じゃないように見えるこの花びらが、音を吸う。
音を吸われた範囲の中では、自分の発する音くらいしか聞こえない。
触れられるくらい近くに居たり、銃みたいにでかい音がするならばともかく、話をするのも一苦労なくらいだ。
この花びらの範囲に、【悪魔】は居る。
まるで「ここは自分たちの領土だ」と主張するかのように、悠々と歩き回り、飛び回るんだ。
「この花びらはエサだと認識すればなんでも吸収する。人間の死体でも、同じ【悪魔】の死体でも……血も、肉もね」
「……仲間の死体でも食べるのね」
「そう。そして……積み重なった花びらから花びらに伝わっていって、やがて黙示樹に届いて栄養になるんだ。不思議と、生きてる間は吸収されないんだけどね」
「なんてこと……」
灯がうめき、可奈子がほっそりした指先で口を覆う。
花びらは、この建物を出ればすぐに見えてくるはずだ。
ここは比較的都庁から近いドアから入ったから、望むと望まざるとに関わらず、彼らは数時間のうちに花びらを踏む。
そうして、私の言った【悪魔】たちの狩りの方法を、実感することになるだろう。