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悪役令嬢は異世界で自分の人生を手に入れるのですわ
悪役令嬢は異世界で自分の人生を手に入れるのですわ
神楽堂
異世界恋愛悪役令嬢
2025年07月06日
公開日
1.4万字
完結済
現実世界で失恋したマリアは、異世界で「悪役令嬢」として生きる道を選ぶ。 しかし、マリアのもくろみはすべて空回りし、悪役令嬢になりきることはできなかった。 そんな中、元彼にそっくりなレオンが現れ、心を動かされる。 そこへ、悪女ミリアがマリアに宣戦布告。 マリアは、この世界の真相を知ることとなった。

悪役令嬢は異世界で自分の人生を手に入れるのですわ

 私が異世界に転生したのは、まったくもって不本意なことだった。

 現実世界ではそこそこ真面目に働き、そこそこ気を遣い、そこそこ恋もした。

 でも、人生は「そこそこ」で報われるほど甘くない。

 ある日、意地の悪い同僚・沙耶に彼氏を奪われたあげく、

「やっぱあんたって都合のいい女だよね〜」

と笑われた。

 その瞬間、何かがぷつんと切れて、目が覚めたら──

 豪華なシャンデリアが煌めく部屋におり、姿見に映る私の姿は腰まで届く金髪の、「悪役令嬢」になっていた。

「ふふふ……私、悪役令嬢になったのね。ならばもう、優しくなんかしない!」

 これまでの人生、気を遣ってばかりだった。

 優しくしても見返りなんてない。

 いつもいいように利用されてばかりだった。

 沙耶には彼氏を取られてしまったし……

 だったら今度こそ、私が“悪役”として、自由にわがままに、好き勝手に生きてやる!

 そう誓ったのではあるが……

「マリア嬢、ありがとうございます! 落とした財布を拾ってくださって……!」

「いえ、こんなものは当たり前のことでしてよ?」

 悪役令嬢っぽく喋ってみたけど……悪役になれていないような……

 たしかに財布は拾った。

 でもそれは、道端にぽつんと落ちていたから拾っただけ。

 ついでに持ち主に届けてあげただけ。

 それだけなのに、なぜか町中に「令嬢、困窮市民を救う」の噂が広がってしまい、私の名声がうなぎ上りとなってしまった。

 おかしい。私って、悪役令嬢に転生したはずなのに……


「ふふ、今日は悪役、やってやるわよ……!」

 令嬢マリア・フォン・アーデルハイトは、誰もいない中庭で拳を握りしめていた。

 背景に鳴り響くのは、鳥のさえずりと、噴水のやけに平和な水音である。

 悪役令嬢ファーストミッション:花壇爆破

 物理的に爆破するのではない。

 悪役令嬢には、それ相応の“品格”というものがあるからだ。

 今日は中庭で開かれる園芸部主催の「花卉鑑賞会」を妨害する。

 方法は単純。

 事前に調合した「枯らしのエッセンス」を、花壇の根本に少しだけ撒くだけ。

 植物たちはしおれ、観賞会は大混乱……。これぞ、小悪党の真骨頂!

 「よし、準備は完璧。あとは誰にも見つからないように──」

 そのときだった。

 風がふわりと舞い、マリアのスカートがひるがえる。

 と同時に、携えていた小瓶が転がり落ちた。

「……あっ」

 ころころころ。

 瓶は花壇の端をすり抜け、咲き誇る青い花の根元にぴたりと倒れた。そして──

 ぶわぁああっっ!

 みるみるうちに大輪の花が咲いたのだった。

「なっ……!?」

 しかも、それだけではない。

 横にあった、弱りきっていた蔓バラまでぴんと葉を立て元気になった。

 「ま、まさか……間違えて、“栄養活性化エッセンス”の方を……?」

 そう、二瓶を調合していたのだ。

 一本は悪事用。

 もう一本は「自分でも花を育てよう」と思って作った善意のエッセンス。

 その善意の方が、完璧に炸裂してしまったのである。

「わぁ……! 見てください! 中庭の花壇、昨日まで枯れかけていたのに……!」

「マリア様が……こっそり手入れしてくださっていたのですね……!」

 園芸部の女子生徒たちが、ぽわぽわした瞳でこちらを見ている。

 うっとりと感謝の目で。

「え、いや、これは、その……毒を撒こうと……じゃなくて……」

 必死に取り繕おうとするが、すでに善意の偶像は形成されつつあった。

「マリア様こそ、王国の聖花よ……!」

「やはり、選ばれし人は違うのですね……!」

「マリア様を、次の園芸大会の名誉会長に推薦いたしましょう!」

 その後、マリアは園芸部の名誉顧問に任命され、校内報に「慈愛の貴婦人」として掲載されることとなった。

 もちろん、当の本人は、頭を抱えて机に突っ伏していた。

「どうしてよぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


* * *


「今日こそ、完璧な悪役ムーブを決めてやるわ……!」

 マリア・フォン・アーデルハイトは、絢爛な舞踏会場の片隅で葡萄酒のグラスを手にしていた。

 ドレスの袖には、こっそりと魔法で仕込んだ小さな「傾き魔法石」が縫い込まれている。

 目標は、社交界で目立ち始めた令嬢、セシリア・アルトリエ。

 この世界の恋愛イベントにありがちな、“主人公ポジション”の清純派美少女だ。

 素朴な笑顔で男たちを虜にしており、なんとなく既視感がある。

 そう、前世で彼を奪った沙耶のように。

「セシリア嬢の純白ドレスを、赤ワインで汚す……悪役令嬢ならこれくらいしないとね」

 準備は万全。あとは、彼女が通りかかるのを待てばよい。

 そして、機会は訪れた。

「えいっ!」

 ワイングラスを傾ける。

 その瞬間、マリアの視界に異変が走った。

 セシリアの後ろにいた侍女が、突然胸元を押さえて倒れ込んだのだ。

 「!?」

 ぐらり、と傾く侍女。

 反射的にマリアは、ワイングラスを投げ出し、侍女を受け止めた。

 がしゃん!

 破片とワインが宙を舞うも、セシリアの純白のドレスは奇跡的に無傷。

 代わりに、マリアのドレスは見るも無残にワインに染まっていた。

 会場が静まり返る中、セシリアが震える声で言った。

「マリア様……わ、私のために……!」

「ち、ちが……」

 周囲からは歓声が上がった。

「さすがはマリア様ですね!」

「ドレスを犠牲にしてまで他人を守るなんて、やっぱり聖女の再来よ!」

 そして翌日、王立新聞の見出しはこうであった。

「救世の白薔薇マリア、清らかなる愛の行為」


* * *


 翌週、学園中がまだ「マリア・フォン・アーデルハイト様すごい!」の余韻にひたる中、マリアはひとり、校舎裏で落ち葉を蹴っていた。

「どうして……どうしてこうなるのよ……! もっとこう、ドン引きされたり、嫌われたり、孤独になったりするつもりだったのに……!」

 手には、防衛局から届いた“若年訓練候補生登録書”が握られている。

 あまりに好意的すぎる推薦文に、嫌でも現実を思い知らされる。

「悪役どころか、ヒロイン枠に片足突っ込んでるじゃない……!」

 そのときだった。

「おや、そんな顔をしていると、花たちが泣いてしまうよ?」

 マリアの背後から、柔らかな声が降ってきた。

 ふと振り向いたその瞬間、マリアの心臓が、音を立てて止まりそうになった。

 そこにいたのは──

 転生前、彼女がずっと密かに想い続けていた、高瀬悠真に、どこか面影が似ている青年だった。

 優しいまなざしと、どこか困ったような笑み。

 前世で彼が笑っていたときと、まったく同じ。

「あ、貴方は……」

「初めまして。俺はレオン・シュトラール。王国第七公爵家の次男で……まあ、公爵家の中では落ちこぼれだけど」

 優雅に頭を下げる青年の所作まで、あの人と似ている。

 マリアの思考はぐらぐらに揺れた。

 その直後、彼は微笑んで、こう続けた。

「実は君と同じなんだよ、マリア嬢。俺も“悪役”になりたくて仕方ないんだ」

「……は?」

「ほら、正義とか理想とか、しんどいじゃない? だったら、いっそ“悪い貴族”を演じた方が楽っていうか……憧れるっていうか……」

「…………」

「でもなかなか、悪役って難しくてさ。人に嫌われるの、想像以上にスキルが要る──」

「うるさいっ!!」

 怒鳴り声が、校舎裏に響いた。マリアは思わず拳を握って叫んでいた。

「ふざけないで! 何その、ちょっと悪になってみたかったんだよね~みたいな軽いノリ! こっちはね……こっちは……!」

 言いかけて、口をつぐむ。

 こっちは、恋人を奪われて、信じていた人に裏切られて、心の底から世界を憎んで、悪役になろうと決意したというのに……

 そんな私の事情なんて知るはずもないのは分かるけど、でも……でも……「彼」に似た男が、優しい笑みで悪役ごっこをしているだなんて!

 レオンは、ふっと真顔になった。

「……俺のことを前から知ってるの?」

「知らないわよ。ただ、“顔”がムカつくだけよ」

「そっか……じゃあさ、これから嫌われる努力、俺と一緒にしてみないか」

「は?」

「“悪役同盟”を結成しよう。手始めに、明日の学園舞踏会、一緒にめちゃくちゃにしてみるっていうのは、どう?」

 マリアは、きつく唇を噛んだ。

 この男は、彼と同じ顔なのに、何かが違う。

 いや、違っていなければならない。

 そうじゃなきゃ、私は……また……

「……いいですわよ! やってやろうじゃないですの。悪役ムーブ、ダブルで完璧にキメてやりますことよ!」

「了解しましたよ、相棒」

 レオンが手を差し出した。

「相棒……か……」

 マリアは、レオンの顔をそれぞれ睨みつけ、それから、ぐっと握り返した。


「いい? レオン。計画はこうよ。舞踏会がクライマックスを迎えた瞬間、天井のシャンデリアに吊るした魔力煙幕を炸裂させる」

「なるほど……混乱のどさくさに紛れて、料理に盛った“舌が紫になる悪戯スパイス”の効果も発揮されるというわけか」

「そう。食べた貴族たちが喋るたびに、ベロが青紫になって大混乱。これでもう“下品な悪役”として名を馳せるのは確実!」

 マリアとレオンは、校舎の屋根裏でニヤリと笑い合った。

 二人の悪役同盟は、学園の舞踏会を「最低の夜」にするための工作に勤しんだ。

 魔力煙幕、悪戯スパイス、時間差発動する照明の点滅、さらには演奏家にすら細工した魔法音叉を使って“破滅の調べ”を奏でさせる。

 悪役をやるからには、細部の演出も含めてしっかりとやらないと。


 夜が更け、王立学院の大広間には生徒たちの笑い声が満ちていた。

 絹のドレスが舞い、音楽が流れ、甘い菓子と葡萄酒が行き交う。

 その中で、マリアとレオンは真紅と漆黒の衣装に身を包み、まさに“悪役”のテンプレートのように登場した。

「お嬢様方、紳士諸君。ようこそ、舞踏会へ。」

 レオンの滑らかな挨拶に、

「レオン様、ステキ!」

「まるで劇場みたい!」

 ……おかしい。

 なぜか盛り上がっている。

 さらに、料理に仕込んだ「紫舌スパイス」も、予想外の展開となった。

「このスパイス……」

「ええっ! 舌が紫に!?」

「でもこれ、楽しくない? ほら見て! みんなの舌が宝石みたい!」

 しまいには、「魔法的な演出」として盛り上がり、即席の“紫舌コンテスト”が開催される始末。

 さて、仕込みを炸裂させるとするか。

「それでは……シャンデリアよ、今夜の星となれ!」

 合図とともに天井から魔力煙幕が爆ぜ、真紅と金の粒子が夜空のように広がる……はずだった。

 だが、直前で風魔法がなぜか同時に発動してしまい、煙幕は爆発するどころかふわりと浮かび、幻想的な光を放ちながら大広間に降り注ぐ。

 生徒たちは歓声を上げる。

「これは……!」

「まるで星の花吹雪みたい!」

「マリア様とレオン様の演出、ステキだわ!」

 マリアとレオンは、会場の片隅で呆然と立ち尽くした。

「……地獄って、こんなに拍手喝采に包まれるものでしたっけ?」

「完全に失敗したわね」

「だけど……」

 レオンがぽつりと呟いた。

「君、ほんとに楽しそうに笑うね」

「は……?」

「君が“悪役になりたい”って必死にあがいてるの、俺はすごく綺麗だと思うよ」

 マリアの顔が一瞬、赤くなった。

 やめて。その顔で、そんなこと言わないで。

 わたしが恋をしたのは、前の世界であなたにそっくりな人。でも、その人は……。

 心の奥で、忘れかけていた痛みがうずく。

 なのに、どうして。

 どうして、この人にだけは、ほんの少し──

 「君が本当の悪役になれたとき、俺は誰よりも先に、君に拍手してやるよ」

 どうして、この人の言葉だけは、ちゃんと胸に届いてしまうのだろう。


 舞踏会の夜から三日が過ぎた。

 「マリア様とレオン様の演出が最高だった」との声が止む気配もなく、学内報には『闇と光のプリンス&プリンセス、誕生』なる特集記事まで組まれる始末。

 わたしは、“闇”のつもりだったのに。

 屋上の風の中で、マリアは一人、スカートの裾を押さえて立っていた。

 その手には、小さな羊皮紙の封筒。

 退学届。学園を去り、悪役として生きるための一歩だ。

「これで、すべて終わらせる」

 誰にも看取られず、誰にも惜しまれず、冷たい視線の中で舞台から降りる。

 それこそが“悪役令嬢”の美学だと、マリアは思っていた。

「ねぇ、君さ」

 背後から聞き慣れた声がかかった。

 振り返ると、風に髪をなびかせたレオンがそこに立っていた。

「ほんとに、それでいいのか?」

「……あら、何のことかしら」

「君さ、いろんな顔するけど、一度も“ほんとの顔”を見せてくれたことないような気がして」

 マリアは何も言わなかった。

「俺、わかるような気がする。君が何を恐れてるのか」

「…………」

「どこか違う世界でさ、誰かに裏切られたんだろ? 大切なものを奪われて、それでも何もできなかった。そんな自分を憎んだ。それで、悪役になって生きようと決意した。違うか?」

 マリアの指先が震えた。

「な、なに言っているの? 勝手に決めつけないでほしいですわ」

「これは何かな?」

 レオンはそっと近づいて、マリアの手から羊皮紙を取り上げた。 「退学? 君が? ここで逃げるのか?」

「逃げてるんじゃない。わたしは、“望まれてない”のよ」

「違うな。君はむしろ、望まれている。君がどんな顔をしても、何をしても、俺は……」

 そこでレオンは言葉を切り、逡巡するように目を伏せた。

「……俺は、君に惹かれてる」

 それは、冗談じゃないとわかる声だった。

 マリアは目を見開いた。

「どうして……どうして、そんなこと言うの……」

「君が“悪役になりたい”って必死であがく姿も、全部含めて、俺は好きなんだ」

「わたしは……もう、誰かを好きになったりしたくないのに」

「だったら、変えてみせるさ。君のその“やせ我慢”を、いつか全部、俺が壊してやる」

 マリアはもう、何も言えなかった。

 そしてそのとき、頬を伝ったのは、ひと粒の涙。

 悪役として泣くつもりなんてなかったのに。

「……わたし……あなたに似た人に、裏切られたことがあるの」

「そうだったのか」

「だから……あなたにだけは……近づきたくなかったのに」

「うん」

「なのに……あなたの言葉ばかりが、なんでわたしに届くのよ!」

 マリアは、堪えきれずレオンの胸に拳を叩きつけた。

 でもその拳は、すぐに弱くなり、彼の胸にそっと触れただけだった。

 レオンは静かに、その肩を抱き寄せた。


 昨日のことは、夢だったのかもしれない。

 マリアは朝焼けの空を見上げながら、そう思っていた。

 レオンに抱きしめられたぬくもりも、あの夜に流した涙も。

 そして、自分が“悪役”であることを、初めて手放した瞬間も。

「……本当に“好き”になってしまったのね……」

 彼にそっくりな顔をした男を、怖れていたはずなのに。

 今では、声を思い出すたび、胸が静かに波打つのを感じていた。


* * *


「転校生が来るらしいわよ」

「ええ? この時期に?」

「しかも特待生枠でね。“元・王宮直属の魔導官”ですってよ」

 噂は瞬く間に広がった。

 学園の空気が、ざわめき始める。

 そして、その“転校生”が姿を現した。

「皆様、はじめまして。ミリア=ローゼンヴァルトと申します」

 銀の巻き髪に、毒のように澄んだ赤い瞳。

 立ち姿は完璧な貴族のそれなのに、その笑みに漂うのは不穏な冷気だった。

 彼女は一礼し、くるりとマリアに視線を向けた。

「お噂はかねがね聞いておりますわよ。“偽りの悪役令嬢”様」

 空気が凍った。

「あなたに会えるのを、ずっと楽しみにしていましたのよ」

 マリアは無意識に息を止めていた。

 彼女の声には、“本物”の毒があるように感じられた。

 この女、本物だ。

 わたしが演じようとしてきた“悪役”なんて、子どものおままごとにすぎなかったのだ。

「この学園には、“舞台”が足りていないのね。誰かが悲劇を演じなければ、物語は進まないでしょう?」

 ミリアの言葉には、まるで“戦線布告”のような響きがあった。

「まあ、そうかもしれないですわね」

 マリアの声は震えていなかった。

 逃げない。泣かない。もう迷わない。

 わたしは、かつて“悪役になろうとしてなれなかった”哀れな女。

 でも今なら、“誰かのために戦える女”になれるかもしれない。

 そう、あの人に背中を預けるなら。


 ミリア=ローゼンヴァルトの登場によって、王立学院の空気は変わった。

 彼女は完璧だった。

 成績は全科目で首位、魔導演習では教師を圧倒し、社交界では公爵令嬢すらたじろぐ話術と笑顔を持つ。

 だが、それはすべての表の顔。

 裏では、水面下で他人の評判を操作し、恋仲の噂を流し、ちょっとしたミスを“大罪”にまで膨らませる。

 そして今、マリアが標的となっていた。

「マリア、最近ちょっと調子に乗ってない?」

「善人ぶってる悪役だあんて、一番タチ悪いわね」

「この前の舞踏会も、裏で何かやらかしてたらしいわよ」

 ミリアが撒いた毒は、じわじわと学園を蝕んでいった。


 「見ての通りよ。もう、あたしの悪名なんて残ってないのに」

 マリアは、レオンと並んで旧図書棟のテラスに座っていた。

 下では生徒たちが笑っている。その輪の中に、自分はいない。

 「でも、レオン。あなたを巻き込みたくない」

「馬鹿言うなよ」

 レオンはマリアの目を見つめながら言った。

「何と言おうと、お前は俺のヒロインだからな。まあ、“悪役”なんて言ってた時点で、十分コメディだったけどな」

「……は?」

「俺、そういうマリアが好きなんだよ。泣いて、怒って、変な作戦立てて、失敗して、でも絶対あきらめないマリアがさ」

 マリアの喉が、少し詰まった。

「悪役にすらなれなかったわたしでも?」

「……ああ、好きだ」

 こんなに簡単に言うんじゃないわよ、ばか。

 涙が出そうになるじゃない。


 そして、決戦の舞台は、月下の“模擬裁判祭”。

 恒例の演劇式イベントであり、生徒たちが“罪人”と“裁判官”に分かれて模擬裁判を行うというものだった。

 今年の被告人としてミリアが推薦したのは、なんとマリアだった。

 罪状は、虚偽の善行による名誉詐称。

「名誉詐称って何よ。どうやったら善行で罪になるのよ。仕掛けてきたわね、ミリア」

 舞台の中央で、マリアは裁かれる役として立った。

 傍聴席には、生徒たちの冷たい目。

「では、証人を呼びます」

 ミリアの声とともに現れたのは、まさかの人物だった。

「お久しぶりですね」

 あの人?! いや、そんなはずはない。

 前の世界で私が好きだったあの人がここに……

 これはどういうこと?

 レオンも彼に似ているが、今、目の前にいるのは彼の完全なるコピーであり、似ているとかいうレベルを超えている。

 声も顔もそっくりな、この世界での彼は、おそらくはミリアが魔法で作り上げ、そして操られているのだろう。

 「彼には“あちらの世界の記憶”の一部が流れ込んでいますのよ。あなたが愛した男とそっくりなのは、お察しの通り、偶然じゃありませんのよ」

 ミリアは囁くように言った。

「そして、あなたは二度も失うのよ。大切な人を」

 マリアの膝が、かすかに揺れた。

 そして、皆に向かって言い放った。

「私は“悪役”です。ええ、認めましょうとも」

 会場がざわつく。

「善人ぶっていたわけではありません。悪役としては失敗ばかりよ。計画も、策略も、演出も。そして、今は──愛したいと思っている人がいます」

 マリアは、真っ直ぐレオンの方を見た。

「誰かを信じるってことを、初めてやってみたいと思います」

 レオンは立ち上がり、壇上に歩み出た。

「ああ。今ここで、彼女の証人になってやる」


 レオンが証人席に立つと、観客席の空気はがらりと変わった。

 かつて「王都の魔導士見習い」として恐れられた男。

 学院に戻ってきた今も、その実力とカリスマ性は、誰もが認めるところだったからだ。

「俺が証言する。“マリア・フォン・アーデルハイト”は、確かに悪役だ」

 ざわめきの中、レオンは続けた。

「誰かの痛みを笑い飛ばすんじゃなくて、自分の傷を盾にしてでも、他人の心に触れようとするような悪役だ。彼女は人に優しくしようとするたび、怖くて足がすくむような過去がある。それでも前を向こうとする。そんな“悪役”であるマリアは、俺は誇らしいと思う」

 マリアは、心臓をぎゅっと掴まれたようだった。

 誰かに見透かされるのは、こんなにも、怖くて、温かい。

「そんな理屈、通用しませんわ」

 舞台の対岸で、ミリアが冷たく言い放った。

「言葉など、魔法にも歴史にも勝てない幻想。この世界は、心で動いてなんていませんのよ」

 ミリアは手をかざした。

 瞬間、魔法陣が宙に浮かび、空間がぐらりと揺らぐ。

「これが、“真実”ですわ」

 観客席の景色が、ぐにゃりと歪む。

 次の瞬間、全員の視界に浮かび上がったのは──現実世界でのマリアだった。

 スーツ姿で、曇った窓際に立つ女。無表情でパソコンを叩き、誰にも心を開かず、同僚たちから意地悪されて孤立している彼女。

 そして、恋人を奪われたあの日──

「やめて!」

 マリアの声が震える。

 でも、ミリアは続けた。

「あなたは、“この世界”に来てからも、自分を隠し続けました。悪役を演じることで、弱さを武装し、“自分を守る”ことだけに固執した。そうでしょう?」

 マリアは、両手で胸元を押さえる。

 言い返せない。すべてが図星だったからだ。

 それを見て、レオンが一歩、前に出た。

「だったら、それがどうしたというのだ?」

「え?」

「誰だって、傷を隠して生きているじゃないか。演じながら、笑いながら、嘘つきながら。マリアは、そんな自分をやめようとしてる最中なんだ」

 次にレオンは、マリアの方を向いて言った。

「本当の自分ってやつをさ、もし、少しずつ見せてもいいって思ってくれるなら……そのときは……俺が隣にいてもいいか?」

 マリアは、涙をこらえなかった。

「……レオン……」

 彼の手は、彼女の手を握る。

 その瞬間、空間を満たしていた魔法の映像は音もなく霧散した。

 ミリアは目を見開いた。

「まさか……わたしの魔法を……打ち消した?」

「魔法よりも強いものってのが、あるらしいぜ」

 レオンはそう言って、マリアを守るように立つ。

「それは、言葉」

「それは、愛」

 マリアも言葉を重ねた。

 ミリアの魔法は、完全に消失した。

 ミリアが召喚した、現実世界の彼も、跡形もなく消えてしまっていた。

「……面白い方々ですわね。いいでしょう。少しだけ、認めて差し上げますことよ」

 くるりと背を向け去っていくミリア。

 マリアの勝利に、見ていた生徒から拍手が巻き起こった。


* * *


「おはよう、マリア」

「お……おはよう、レオン」

 それは、日常の朝の挨拶。

 だけど、マリアにとっては、今なお赤面必至の特大イベントなのであった。

 レオンは変わらない。自然体で、飾らず、笑う。

 でも、マリアは変わってしまった。あの模擬裁判の日から。


 かつて“悪役”であろうとした自分は、人から優しくされることなど望んでいなかった。

 けれども今、こうして毎朝レオンに名前を呼ばれるたび、心はほんのり温かくなるのだった。

「……愛されるって、こんなに恥ずかしいのね」

 こっそり呟いた声は、彼に届いていたらしい。

「今なんか言った?」

「い、言ってませんっ!」

 あたふたとするマリアを見て、レオンは声を上げて笑った。


 昼休み、学園の中庭。

 花の咲くアーチの下で、マリアは珍しく一人静かに本を読んでいた。

 そこに、コツコツと規則正しく響く足音。

「……やっぱり、ここにいらっしゃったのですね」

 声の主は、ミリアだった。

 以前のような鋭さはなかった。

 代わりに、どこかすべてを見透かしたような目をしていた。

「今日は、喧嘩を売りに来たんじゃありませんのよ」

 ミリアは、椅子に腰かける。

「この前の模擬裁判、完全に負けたと思っていました。でも、あの“愛されること”を信じる演説……あれは少し、響きましたわね」

「そ……そうですか……ありがとうございます」

「で、私も少しだけ、“愛される練習”をしてみようかと思いまして」

 驚いてマリアは見返した。

 それを見て、ミリアはふっと笑った。

「それには、まず……お友達が必要だと思いまして。マリア、わたくしと、お茶をご一緒していただけません?」

「……え?」

「あなた、“敵”としてはとても楽しかったけれど、今度は“味方”として見てみたい気がしますの」

 マリアはしばし固まった。

 そして、心の中でこうつぶやいた。

「この世界、やっぱりおかしい。けれど、そういう世界って案外……悪くないかも」

 マリアは、誘いを受けることにした。

「では、次の金曜日。午後のティーサロンに付き合ってくれますかしら?」

「ええ、光栄ですわ、“マリア様”」

 二人は同時にくすりと笑った。


 夜、レオンと並んで星空を見ていたマリアは、ぽつりと聞いた。

「ねえ、レオン。わたし、少しは変われたと思う?」

 レオンは迷わず言った。

「変わった、っていうより……“戻った”んじゃないか?」

「戻った?」

「前は悪役になろうとしていたけどさ。たぶん、お前の一番根っこにあったのは“誰かを信じたい”って気持ちなんじゃないか?」

「……うん、そうかも」

「それを、ちゃんと信じられるようになった。それが“マリア”の本当の強さだと思うよ」

 マリアは小さく微笑んだ。

「信じてみる。自分のことも、人のことも……そして、この世界のことも」

 そっと風が吹いた。

 遠くで小さな花が揺れていた。


 金曜日の午後、ティーサロン「ヴィクトリアの香り」にて。

 マリアとミリアは、今やすっかり“奇妙な友人関係”として注目の的になっていた。

「こうしてあなたとお茶をする日が来るとは……我ながら、感慨深いですわね」

 ミリアは細長い指でカップを回しながら、ふっと息を吐いた。

「ねえ、ミリア。あなた、本当は“この世界の人間”じゃないんでしょう?」

 ピシリ。

 カップの磁器が、音もなく軋んだ。

「……どうして、そう思われますの?」

 マリアは、自分の紅茶にミルクを垂らしながら言葉を続けた。

「あなたの“言葉の選び方”が、どこか異質だったの。言い回しも、感情の波も、まるで“役”を演じているみたいに整いすぎているのよ」

 ミリアの手が止まる。

 マリアは思い切って訊いてみた。

「ミリアも……転生者なの?」

 しばらくの沈黙のあと、ミリアは小さく微笑んだ。

「……いえ。“転生”ではなく、“召喚”なのですわ」

 マリアの瞳が見開かれた。

「あなたたち“転生者”とは異なる立場で、この世界に呼ばれました。目的はただ一つ。この世界の崩壊を防ぐこと」

「世界の崩壊?」

「この世界は、物語の構造そのものによって成り立っているのですわ。だから、物語の“役割”が壊れれば、世界そのものが崩壊してしまう」

「どういうこと?」

「“悪役令嬢”という存在が、自らその役を捨ててしまえば……この世界は、均衡を失うの」

 マリアの息が詰まった。

「私、悪役令嬢を辞めてしまいましたが、それって、世界の崩壊につながるの?」

「ええ。あなたは本来、悪役をまっとうしていただくことで、世界の“物語構造”は守られるはずでしたの。けれど……あなたはそれを超えて、物語の“外”へ、自力で出てしまったのですわ」

 ミリアはかすかに微笑んだ。

「そして、本来ならそれは、禁じられたこと。だけど、あなたの選択が、物語を救う“別の方法”になるかもしれない。……そう、今は思っています」

 マリアは、椅子の背にもたれかかる。

「……わたしがこの世界に、そんなにも影響を与えていたというの?」

「そうですわ。そして今、世界は静かに揺れ始めています」

 その言葉とともに、遠く、空がぐらりと鳴った。

「……今の、なに?」

「物語の“外”が干渉してきているのでしょう。あなたが“マリア”として歩んだことが、この世界にとって前例のない“異物”として記録されているのです」

「つまり……私の選択が、物語の破綻を呼んだ?」

 ミリアは首を振った。

「いいえ。違いますわ。“再構築”の機会が与えられたのです」

 そう言うミリアの瞳には、かつての“悪女”の面影はなかった。

「マリア。あなたはこの世界を救う“選択者”なのよ。これからは、あなたが“物語を創る側”になるのですわ」

 外の空には、かすかな亀裂が走っていた。


 異変は、ほんの小さな揺れから始まった。

 空がささやくようにきしみ、塔の影が溶けるように崩れ、世界の法則は、少しずつ書き換わっていった。

 噴水の水が“空白”と呼ばれる白い霧に変わっていたり、教師の記憶が“昨日と違う物語”を語るようになったり……


 レオンは言った。

「この世界はもう、物語として自分を保てなくなってきている。誰かが、この物語を書き換えているんだ」

 マリアは直感する。それはきっと、“わたし”だ。

 悪役をやめたことで、この世界の物語は“予定通り”に進まなくなってしまったのだろう。

 でも、それは悪いことなのだろうか?


 その夜、マリアは夢を見た。

 かつての現実世界の自分。

 誰にも心を許せず、誰かに恋をしても、奪われて、黙って笑うしかなかった自分。

「あのときは、“いい人”を演じることが、いちばん安全だった」

 夢の中のマリアが語る。

「でも、今はちゃんと怒って、傷ついて、そして、誰かを信じようとしている。あなたは、“物語のヒロイン”になったのよ。自分の物語の」


 次の日。

 ミリアがマリアの部屋に現れたのは、陽がまだ傾ききらない頃だった。

「ついに“ゲート”が開きましたわ」

 彼女の手の中にあったのは、一冊の黒革の本。

「これは、“この世界のすべての物語”を記した原書、『クロニカ・ファータ』と呼ばれるものです」

 マリアは受け取り、ページを開いてみると、そこには彼女の名前が物語の登場人物として記されていた。

〈マリア・フォン・アーデルハイト 悪役令嬢。敗北することで物語を終わらせる〉

「わたしは終わらせるための存在、なのね」

「ですが、ここから先のページは、白紙です」

 その言葉に、マリアは息をのんだ。

 ミリアは続けた。

「あなたがこれから何を選び、誰を愛し、どんな言葉を交わすか。それによって、“新しい物語”が編み上がっていくのですわ。そして、その物語こそがこの世界の新しい骨組みになる」

 マリアはゆっくりと本を閉じた。

「……わかったわ。わたしは、物語を越える者になりますわ」

 マリアがそう決意した瞬間、空に刻まれていた裂け目が、かすかに閉じたように見えた。


 夜。レオンとマリアは塔の上で星を見上げていた。

「なあ、マリア。お前が“悪役”やめるって決めたときさ、怖くなかったか?」

「すごく、怖かった。自分の存在価値がなるなるような気がしたわ」

「それでも前に進んだのは?」

 マリアは少し考えて、答えた。

「レオンが、わたしのことを“見てくれた”から、かしら。どんなに間違っていても、演技であっても、あなたは“わたし”を見てくれた」

 レオンは優しく笑った。

「これからも俺はマリアを見ているよ」

 マリアは、彼の手を握り返した。

 その瞬間、空が光り、世界が震えた。

 それは、新しい物語の幕が開く音だった。


* * *


 マリアとレオンは、学園内の塔を上った。

 そして、塔の自習室にミリアから託された本を持ち込み、机に向かった。

 マリアの手元には『クロニカ・ファータ』、この物語の原書である。

 そして、その最終章は──白紙。

 レオンはマリアの傍らに立って、その本を見つめている。

 マリアは静かに息を吸い、そして、羽根ペンを取った。

 彼女が書いた文字は、こうだった。

 「わたしは悪役令嬢をやめた」

 その瞬間、部屋の空気がざわめくのをマリアたちは感じた。

 世界がその一文を読み上げたかのように、マリアが書いた言葉が天井に浮かび上がってきたのである。

 レオンは呟いた。

「……これが、再構築の始まりというわけか」

 塔の窓の外に、黒い羽根が舞った。

 それは、人のような形をしていた。

 どこか機械的であり、整いすぎた顔をしている。

 「監視者か」

 レオンは、忌々しく呟いた。

「この世界の構造を守る番人。やつらは、破られた筋書きを修正するためなら、“巻き戻し”だって厭わないだろうな」

 マリアは顔を上げた。

「つまり、わたしの選択を“なかったこと”にできるってこと?」

「おそらく、そうだ。物語が“予測不能”になることを、やつらは恐れている」


 塔の外に現れた番人は、五体。

 黒いフードに包まれ、仮面を被っている。

 その仮面の中央に、それぞれ“物語の属性”を象徴する文様が浮かんでいる。


《悲劇》《恋愛》《冒険》《勝敗》《死》


 マリアは、レオンの手を握った。

「……これはきっと、卒業試験みたいなものなのね」

 レオンは笑った。

「卒業試験か。お前らしくて、いいな」

 番人のひとりが静かに口を開いた。

「役割を放棄した者よ。貴様の選択は、物語を混沌へと導いた。よって、修正が必要である」

 マリアは、窓の外に浮かぶ番人たちを睨みつけて言った。

「修正なんてさせませんわ。これは、わたしの物語ですの」

「世界を崩すつもりか」

「崩れた先に新しい物語があるのなら、それでいいんじゃありませんこと?」

 戦いではなかった。

 それは、対話という名の審判だった。

 《悲劇》の番人が問うた。

「なぜ、“悪役令嬢”で居続けなかった?」

 マリアは答えた。

「わたしの役は、私が決めますわ」

 《恋愛》の番人が問うた。

「なぜ、愛されることを恐れた?」

 マリアは答えた。

「壊れるのが……怖かった。でも……今は違う。壊れることすら、わたしの人生の一つ」

 《冒険》の番人が問うた。

「なぜ、“筋書きのない未来”を選んだ?」

 マリアは答えた。

「それこそが、本当の“物語”だと思いますわ」

 最後に、《死》の番人が問うた。

「覚悟はあるのか? 物語を壊すということは、自らの存在の消滅を意味する」

 レオンは前に出た。

「マリアだけじゃない。俺も、彼女と一緒に消える覚悟はある」

 マリアは、彼の手をしっかり握った。

「大丈夫よ、レオン。これは“終わり”じゃない。“始まり”なの。だって、わたしがそう決めたのですから」

 その言葉に、黒い番人たちは沈黙した。

 そして、彼らの仮面は、音もなく砕け落ちた。

 仮面の下には……何もなかった。

 番人たちが霧となって消えると共に、空に開いていた裂け目は音を立てて閉じていった。

 『クロニカ・ファータ』の白紙だった最終章に、金の文字が浮かび上がってきた。

「マリア・フォン・アーデルハイトは、世界の再構築を果たした。いや、再構築というより、最初の創造者という表現のほうがふさわしいだろう」

 レオンは驚いた。

「創造者だって?」

 マリアは微笑む。

「やっと、“悪役令嬢”じゃなくなったのね。これからは、役割を演じるのではなくて、わたしの物語を生きていくのですわ!」

 塔の最上階、ふたりの背後では風が鳴っていた。

 空は、かつてよりずっと鮮やかに見えた。

 塔を包んでいた魔力のオーラは消えていた。

 学園の生徒たちは、昨日までの“物語の狂い”を、まるで夢のように語った。

 そして、誰もマリアのことを「悪役令嬢」とは呼ばなかった。

 『クロニカ・ファータ』は、今もマリアの手元にある。


* * *


 日差しが優しく降り注ぐテラスで、マリアは紅茶を淹れていた。

「悪役令嬢やめたて、紅茶飲んでのんびりしてるって、どう思う?」

 レオンは笑いながら、向かいの席に座った。

「すげえ、いいと思うよ」

「悪役らしさ、まったくない?」

「ああ。“平和を創った魔王”って感じだな」

「あら。それでも“魔王”なのね」

 マリアは笑った。

 もう、無理に「悪い人」になろうとする必要はない。

 好かれようとすることに怯えることもなく、誰かの物語の都合に合わせることもない。

「レオン」

「ん?」

「……あのね、実はレオンってね……好きだった人に、ちょっと似てるの。ここに来る前の世界の人なんだけどね、わたし、その人に恋をしてて、でもその人は、別の人を選んだの」

「…………」

「でもね。もう、それは終わった物語なの。今の私の物語は、あなたと一緒に紡いでいきたいの……」

 レオンは頷き、そして微笑んだ。

「そうか。では、俺もはっきりしないと、な」

「え?」

「マリア、俺はキミを愛している」

 紅茶はすっかり冷めていたけれど、マリアの頬は明らかに熱を帯びていた。


* * *


 その夜、マリアは『クロニカ・ファータ』に一文、書き加えた。

 「そしてマリアは、愛する人と共に、自分の物語を歩みはじめた」

 書き終わると、そのページの下の方に、小さな金色の文字が浮かび上がってきた。

 〈Fin.〉


 けれど、また白紙のページが現れた。

 終わりなんてものは、つまるところ、どこにもなかったのである。



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