オレは【普通】にこの世界で生きていきたかった。
ただ【普通】にサラリーマンをして、【普通】の奥さんと結婚して、【普通】の家庭を持ちたかったんだ。
なのに今、オレの頭上には、大量のビル群が迫ってきている。ビル、その辺にさっきまで建っていた高層ビルだ。十階建てはゆうに超えるそいつらが群れをなすように空からオレ目掛けて落下してきていた。
「くそっ!! こんなん適当に破壊したら町が壊滅する! 身体強化! 〈ガントレットブースト〉 結界術式! 〈抱擁の羽衣〉 重力魔法! 〈グラビオス〉」
オレはどの異世界で習得したかも忘れたスキルを惜しげもなく使う。
腕にガントレットが装着され、羽衣のような結界がビル群を囲み込み、一つにまとめる。さらに、重力魔法でビルの速度が低下した。
「おっしゃー! こい!」
ズシン!!
両手を天に掲げ、落下してきたビル群を両手で受け止める。すごい重量だ。でも、止めれないほどじゃない。六十何回目の転生のときの魔王の方がよっぽど重い一撃を放ってきた。
バキバキバキバキ!
足元のコンクリートが悲鳴をあげる。オレの足が見る見るうちにコンクリートにめり込んでいき、地面の崩落が近いことを悟る。
「やべぇ! 大地の精霊よ! 我が立つ大地に祝福を!」
詠唱が終わると、崩れかけていた地面の崩落が止まり、カチカチに固まった。足が沈まなくなる。
「よ、よし……慎重に慎重に……」
そしてオレは、ゆっくりとビル群を地面に着地させた。
「ふぅ〜〜……とりあえず被害は最小限で済んだか……」
「……何をしてるのですか? 勇者ダン」
「……」
上空から、あいつの声が聞こえてきた。
「何をしてる、だって? こっちのセリフだ。イーリス」
「……」
そいつは、無言でオレの近くまで降りてきた。空中に浮かびながら、オレのことを無表情で見つめてくる。その顔は、いつもの、昨日までの、イーリスと変わりないように見えた。
「落ち着いたか? なら、もうこんなことやめろ」
「こんなこと? 私があなたを殺そうとしていることですか?」
「そうだ。いや、百歩譲ってそれはいい。でも、町に被害を出すな」
「あなたを殺すには、これくらいしないとダメだということ、私が一番よく知っています。私があなたと何回異世界転生したと思っているのですか?」
「……忘れたよ」
「……そうですか……」
無表情な顔の中に、少し寂しそうな感情を読み取ったオレは、異世界転生のことを思い出した。
オレは百を超える異世界転生を繰り返し、いくつもの世界を救ってきた百戦錬磨の勇者だ。今は現世に帰ってきているが、異世界で目の前にいる女神とは何度も旅を共にしてきたのだ。
だから、こいつとは腐れ縁だと思っていた。こいつは、異世界にオレを転生させた女神の一人で、一緒に旅をして、何回も魔王を倒してきた。
そんなこいつが、今、現代日本でオレの目の前で杖を構え、オレを殺そうと魔法を放ってきている。止める術をオレはまだ知らない。
「やめる気はないのか?」
「ええ、勇者ダン、あなたを殺します。今ここで」
「そうか。なら、オレも手加減しない。おまえを殺す」
「……」
イーリスは、また無表情の顔のまま、上空に上がっていった。金髪の長い髪をなびかせて、エメラルドグリーンの眠たげな目で、まっすぐにオレを見ている。
イーリスの今の姿は、冒険中にだって数度しか見たことがない。背中から左右三本ずつの白い翼を顕現させ、その力を誇示する王冠のような天使の輪を頭にのせている。服装は、神聖な儀式で着るような白と金のドレスだった。
転移、転生を司る女神、天使の頂点に立つ者、光転のイーリス。
オレの相棒だと思ってたヤツが、オレに杖を向けていた。
……なんで、こんなことになっちまったのかな……