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第3話 舞い降りる雪のように

 窓を叩く雪の強さが増す。舞い降りる雪はやがて吹雪に変わり、古い家屋を揺らした。


 こんな吹雪では客も来ないだろうと、操一は早めに店を閉めた。キッチンの灯りだけをつけて店の灯りは全て消す。暖房の火が赤々と燃えていた。


 ヒナはまだ降りてこない。操一は簡単にハーブを散らせたリゾットを作ると、2階へと上がる。


 ヒナの部屋の前でノックすると、中から小さい声が返ってきた。  ドアを開けると、ベッドにヒナが横になっていた。


「……ヒナ」


 ヒナは湯たんぽを抱えながら、布団にくるまっていた。操一は窓際にある暖房を確認したが、しっかりと稼働している。机に湯気の出ているリゾットを置くと、操一はヒナへ近づき娘の額に手を当てた。


(熱は……ない。だとすると──あの力のせいか?)


 九重真澄の前ではあえて「都市伝説」と嘘をついたが、操一は今まで何度かヒナの能力を見たことがあった。ただあそこまで鮮明に見たのは初めてのことだ。おそらくは、九重真澄の置いたあの木札のせい──操一はひとまずそう結論付ける。


 「夢織」──と呼んでいた能力について、ヒナは「自分じゃない、別の人の記憶が出てくる」と言っていた。つまりそれは、誰かの記憶が映像として具体化されるということ。


(夢が映像になる。不思議な能力だが、それだけだ──九重の言っていたような危険なんてない)


「お父……さん?」


 ヒナの目が開き操一を見つめた。操一は安心させるように笑顔を向ける。


「大変だったな。……でも、大丈夫だ。あの人はもう帰ったから」


「……うん、でも……また来るんでしょ? あの人の目──すごい怖かった……」


 ヒナの声がわずかに震える。操一は、真澄の冷たい目を思い返す。あやかし封じと呼ばれている九重家は、あやかし退治の専門家。まるで、人ではないものを見るような目だった。


 怯えるヒナの髪を優しく撫でると、操一は言った。


「大丈夫だ。何があっても、ヒナのことは守るから。お父さんが強いの知ってるだろ?」


「うん……でも、ヒナだって強いよ! お父さんのこと守ってるんだから」


 ヒナは笑顔を見せる。それは、強がりなのかもしれない。そう思いながらも操一は「そうだな」と言いながら頭を撫でた。


 ふと、ヒナが視線を窓際の棚へ向ける。そこにも、キッチンに置かれているような小さな写真立てが置かれていた。写っているのはヒナとその母親──千草ちぐさだ。


「ねえ、お母さんって、どんな人だった?」


 ヒナがぽつりと問うと、眼鏡の奥の操一の瞳が細まる。ヒナが物心ついたころから、何度も聞かされた質問だった。


「……よく笑う人だったよ。頭も良くて、お母さんはお父さんと同じ研究者だったんだけど、オレなんかよりずっと先を行ってた」


「研究者……?」


「ああ、ごめん、難しいな」


 操一はまたヒナの頭を撫でる。母親の話をすると、つい研究の話をしてしまうのは昔からの癖だった。


「とにかく、お母さんは──そうだな。一番すごいと思うのは、どんなときも、人を信じられるところかな?」


「……信じる?」


「そう。大切な人はなにがあっても絶対に守るっていうことだよ」


「お父さんと同じ?」


「……ああ」


 操一は眼鏡を上げた。──本当に、よく笑う人だった。そして、最後までオレやヒナを信じてくれていた。


「そっか……」


 ヒナは布団の中で、小さくうなずいた。 


「よし、それじゃあ、夕ご飯置いておくから先に食べてて。今、お店の片付けしてくるから」


 ヒナはゆっくりとうなずいた。


「……うん。わかったよ」


 部屋を出ようとする操一の背中に、小さくヒナの声がかけられる。


「……お父さん。私、本当に人間じゃないの?」


 操一は背を向けたまま立ち止まった。操一の頭の中に過去の声が浮かぶ。


(ねぇ、操一くん? 研究の結果だけどね、やっぱりいると思うのあやかしは──)


 操一はぎゅっと手を握った。


「ヒナは……ヒナだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 力強くそう言うと、操一は扉を閉めて階段を降りていく。その瞳には確かな光が宿っていた。



 翌日。雪はやんだが、代わりに凍てつくような厳しい寒さが身を縮こませる。


(寒い、寒い……)


 心の中で呟きながら、操一は冬の日課である雪かきをしていた。急な下り坂には淡い光が当たり、雪に反射した風景が一枚の絵のようにとてもきれいだった。──だが、こういう日こそ寒いのだ。


 やがて雪かきを終え、外見が整えられたお店には光が灯り、コーヒーの香りが充満していく。ゆめがみ庵は本日もゆっくりと店を開けた。


 操一はコーヒーや軽食を提供する傍ら、キッチンに戻ると古びた帳面をじっと眺めていた。ページには、幾何学模様のような紙片の図がいくつも描かれている。


 ──そして昼下がり。客足の途絶えたタイミングを見計らったかのように、再び扉が鳴った。


 気配で誰が来たかはわかった。気配というよりももはや殺気と言い替えた方が正しいかもしれない。


 すっと現れたのは、今日も黒いロングコートに身を包んだ九重真澄。


 店に入るなり、真澄は目を細めて操一を見る。


「今日は……他にお客はいないようですね」


「ええ。なにぶん忙しい店ではないので」


「それなら、ちょうどよかった……」


 真澄の口調は静かだった。そして、操一の隣にいるヒナに視線を向けた。ヒナは操一の服をつかみ、しがみつく。


 「ちょうどよかった」という意味はどっちなのか、と操一は考えていた。話をするという意味なのか、それとも──。


 真澄はコートのボタンを外した。中にチラリと見え隠れするのは、真っ白な和装。


「……昨日、ホテルに戻って調べたんです。夢織について、その子の能力について」


 内ポケットに手が忍ぶ。


「夢を喰らうあやかしという話がありました。毎夜、人間の夢を喰い、喰われた人間はやがて生きる気力を失くし、衰弱して亡くなっていく。夢織は、その派生です」


 真澄の手に札が乗る。昨日の者とは違う紙の札。


「夢織は、夢と現実の境を失くす。そして、境がわからなくなった者は、記憶が混濁し、やがて生と死の境もあいまいになる──きわめて危険な力」


 真澄は札を高く掲げた。


「残念ですが、だからこそ、ここで封じなければなりません……」


 顔を曇らせて目を閉じると、真澄は目を開けた。冷厳な瞳がヒナを見下ろす。


 真澄の指が札をかざしたまま、一度止まる。微かに指は震え、その眉間は険しかった。


「ごめんなさい……!」


 そう言うやいなや、真澄は一足飛びにヒナへと近付いた。操一はヒナを突き飛ばし立ち上がると、座っていた椅子を真澄に向かって蹴る。


 そして、叫んだ。


「ヒナ! 逃げろ! 外へ出るんだ!!」


「っ──行かせない!」


 身を翻した真澄は、真横を通り過ぎるヒナを捕まえようとする。しかし、操一が真澄の腕をつかんだ。


「くっ……」


 いかにあやかし封じであろうと物理的な力の差がある。真澄は力を込めて腕を引き抜こうとするも、操一がそれをさせなかった。


「今のうちに逃げるんだ! ヒナ!!」


「で、でも……」


 操一の声にヒナは戸惑う素振りを見せた。


「あとから迎えに行く。絶対に! だから今は逃げるんだ!!」


 必死な操一の訴えに、ヒナは「うん」と小さくうなずくとそのまま玄関へと向かおうとした。


 しかし──突如体が動かなくなったかのようにヒナの足は止まる。


「ヒナ! 何が……!?」


 操一は足元を見た。真澄が札を床に張り付けている。


(札はあやかしを封じるもの──まさか!?)


「危なかった……」


 真澄はすっと顔を上げた。


「札を床に置き、動きを封じました。店主さん、私の腕を離した方がいいですよ」


「何を言ってる!? この腕を離すわけが──」


「離さなければ、あの子は窒息します。言いましたよね、動きを封じた・・・・・・って」


「なっ……!」


 操一はヒナを見た。呼吸ができなくなっているのか、苦しそうに顔を歪めている。


 娘の苦しそうな顔を見て、思わず緩めてしまった手が弾かれる。しまった──と思ったときには真澄は札をはがしてヒナに接近していた。


「これで……終わりです……」


 真澄は逃げようとするヒナの手をつかむと、その額に札を張った。


 瞬間。


 雪が溶けるように、ヒナの体が消えていく。空気に溶けるようにあっという間にヒナは真澄の目の前からいなくなった。


 ヒラヒラと舞う札が床に落ちる。それを拾い上げると、真澄は小さく息を吐いた。ヒナがいた場所には、冷たい空気だけが残っている。──封じるとはつまり、存在を消すということ。


 バチッ、と空間が弾ける。ハッとして真澄は後ろへと下がった。


 うっすらと黒い影が伸びる。だが、それはヒナの影でも真澄の影でもなかった。


 別の──なにか巨大な影が真澄の体をすっぽりと包み込む。上を見上げれば、大量の紙片が宙を待っていた。


 紙片は、一本の槍をつくり真澄に向かって進んでゆく。咄嗟に身を転がして避けると、今度はバラバラに広がった。


 真澄が札を手にして構えると、紙片はヒナがいたはずの場所に集まった。細長い短冊、花びらのような端切れ、透ける繊維──真っ白な雪が降り積もるように、積み重なっていく紙片はぐるりと環を作った。


「……っ!」


 真澄は息を吞んだ。鋭く見つめる視線の先には、まるで冷静な操一の姿があったからだ。


 操一は動かなかった。いつも浮かべている微笑みも消え、まるで機械のように立ち尽くしていた。


 そうして、ただ静かに右手を差し出す。手のひらを上に向け、何かを掬いとるように──。


 紙片が、一斉に操一の元へと集まり始める。


 宙を舞う一枚一枚が、糸で縫い合わせられるように操一の手のひらへ吸い寄せられ、やがて柔らかい渦を形づくる。


「に……人形……?」


 真澄の喉からかすれた声が漏れた。


 操一の足元には雪を照らすような淡い光の円が現れた。光でも影でもないその円の内側で、重なる紙片は一つの輪郭を編んでいく。


 小さな手。細い肩。そして、真っ黒な長い髪。


 紙でできた体に操一が触れると、吹雪のように紙は舞い上がり──ヒナが、そこに立っていた。


 ヒナは瞬きをすると、安堵したように微笑み後ろにいる操一の袖をそっとつかんだ。


「お父、さん」


 声は震えていたが、間違いなく生きている。


 口を大きく開き、言葉を失った真澄は、つかんでいた札を床に落とした。


 真澄の様子を傍目に、操一はヒナを抱きしめ大きく息を吐いた。


「怖かったな。でも、言ったろ? 大丈夫だって」


「……うん!」


 ヒナは笑顔で父親に抱きついた。


 店内は元の静けさに戻り、急にコーヒーの香りがよみがえってくる。


 操一はヒナを下ろすと、真澄を見据えた。


「これで、わかってもらえたかな? ヒナはこれからも何もしない。たとえ何かあったとしても俺が何もさせない」


 真澄の体が震えていた。真澄は震える唇で言葉を紡ぎ出す。


「……紙だ。命を、紙で……? こんな術は知らない。あなたは一体何者なの?」


 操一は眼鏡を上げると、いつものように微笑んだ。


「ただの父親ですよ」


 それ以上の説明はなかった。


 店の外では、止んでいたはずの雪がまた静かに降り始める。窓ガラスの向こうでは、紙片か雪か判別できないほどの小さな白い粒が、くるりくるりと踊っていた。 

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