シェリーズは笑っていた。自分に殺意が向けられている。ヤドリギが自分の眼前に立っている。次の瞬間には殺されているかもしれない。それでも彼は、
「私を殺して、きみは生きろ」
と笑って言える男だった。
さすがのシスネヴラも魔法を放つのを躊躇した。
その時、
「王子……」
ジンは不思議な感動に包まれていた。今までに体験したことのない、人間が人間に対し抱くことのできる、最も深くて最も尊い感情、即ち、
――尊敬。
である。
だから、平気で命を賭けることができた。
「王子。掴まっていてください」
言いつつ、ジンはサクランボを口に入れ、刀を振りかぶった。シスネヴラが振り返った時、既にジンの姿は消えている。魔法【かくれんぼ】による透明化だ。
自分は裏切られない。そう思い込んでいただけに、シスネヴラの焦りはひどかった。
「ジン! どこだ!」
「……」
「卑怯な真似はよせ! 私との絆を忘れたか!?」
言いながら、めったやたらに【発火ミント】を連発する。
木と縄でできた橋に、簡単に火が着いた。火はどんどん大きくなる。結果的に、これがシスネヴラの視界を悪くし、自滅に追い込んだ。
見えない斬撃。
立っている板を斬られ、シスネヴラが真っ逆さまに、崖下の川へ落ちて行く。落下の最中、
「飼い犬に手を噛まれるとはな……!」
と負け犬が遠吠えた時、
「死ね」
透明の一閃。
シスネヴラの首が胴体から離された。
どこからともなくサクランボのヘタが空中に舞い、ジンの姿が現れる。重力に身を任せ、目をつぶったまま身じろぎしないジンには、
――もう死のう。
という覚悟があった。
だが――
「しっかりしろ!」
聞き慣れた声と初めて知るたくましい腕に掴まれ、着水。
すぐに水から顔を出し、
「どうして……!」
とジンは叫んだ。
ジンを庇うように、自分の背中から川へ落ちたシェリーズだったが、幸いにして負傷はしていないようで、
「殺すなと言ったはずだぞ!」
こちらも大きな声で叫んだ。
「俺は……」
「ヤドリギ一族であろうと、そうでなかろうと、命は平等に重い」
「……よく俺を掴まえられましたね」
「話をそらすな」
「透明になってたはずですが」
「ああ……そう言えば、落下の途中まで、なぜかきみの姿が見えなくなった。あれもシスネヴラの魔法なのかな?」
「俺の魔法ですよ」
「……何?」
ジンは食って掛かるように、
「俺はヤドリギなんです! 俺の魔法は透明になることで、ずっとあなたに自分を偽っていて……それで……俺は……」
涙を流しながら、
「俺を殺してください」
数日前に降った雨の影響で、水の量が多く、流れが速い。川は、ちっぽけな二人を軽々と運んでいく。
「煮るなり焼くなり、お好きになさってください。ヤドリギなんて、本当にくだらない。名前も出自も嘘ばかり。人を騙してばかり。生きる価値なんて、ありませぬ。どうして俺なんかを助けたんですか。見殺しにしてくださればよかったのに……」
「王子が護衛を守っちゃ悪いか?」
「悪いです」
「きみは私の大切な……臣下だ」
「……」
「……ああああ! もう、やめだ!」
突如として王子が意味不明の奇声を発したことによって、めそめそ泣いていたジンも唖然とする。
「隠すのはやめよう。きみを愛してる!」
「……はあ?」
「愛してるから、飛び込んだ。きみを死なせたくなかった。これが本心だ」
「正気ですか?」
「わからん! どうかしてしまったかもしれない」
「俺はヤドリギですよ?」
「ああ……驚いたけど、どうでもいいよ。かわいいことに変わりはないんだし」
「……王子……」
「シェリーズと……呼んでくれないか」
「どうしてでしょう? 身分差の恋に憧れておられたのでは?」
「ふ。こいつ!」
「俺は……もし許されるのであれば……これからも護衛として、お側にいたく存じます」
「では……私とは……」
「ですから、俺に命令してください」
「?」
「何なりと……」
「……じゃ、じゃあ、目を閉じろ」
言われた通り、ジンは目を閉じた。
シェリーズが目を開けたまま、ジンに顔を近づける。
小さな唇に、大きな唇が重なりそうになる寸前……
「あ。これはいけませぬ!」
慌てて、ジンがシェリーズを抱え、川から飛び出た。
「なんだ、なんだ」
「危うく滝壺へ落ちるところでした」
川が終わる寸前であった。滝は、さほど高くはないが、流れが激しいため、落ちていたら二人とも無事ではなかったかもしれない。
滝壺を見て、ひやっとするジンとシェリーズ。見つめ合い、自然と笑みがこぼれる。黙りこむ。今度は二人とも目を閉じ、キスをした。
* *
あの日、あの時、シェリーズにキスされたのと同じところを、今のジンはドクダミの触手によって、塞がれている。
話は現在に戻る――
教会の二階。寝室において、粘液製の部屋にジンが閉じ込められている。
「う……」
ジンが声が喋れないのをいいことに、ドクダミは触手を駆使し、ジンの服をそろりそろりと脱がしていく。
ぬめっとしたミミズのような物体が自分の体を這う。しかも、それはドクダミの股間から出ている。とんでもなく、
――気持ち悪い!
のだが、しかし、じらすようにあちらこちらを触られると、どうしても体は反応してしまう。
ジンの懸念は二つ。感じてしまうこと。そして、体温の上昇により、体に入れ墨が浮かび上がること。いずれもシェリーズにだけ許せることであり、ドクダミの如き醜男にされてしまうのは屈辱以外の何物でもない。
「ずうっと、こうしたかったんですよお」
攻め方も口調も性格もねちっこく、ドクダミはジンをもてあそぶ。
「ああ、ジン。あなたは罪な子ですねえ。護衛の身分で、しかも本当はヤドリギ一族でありながら、一国の王子と関係を持つなんて……」
「う……うう」
「そもそもねえ、わたくしに、お世話になったくせにい。わたくしの気持ちに、どうして気づいてくれなかったんですかあ? 結局、真面目な男よりも、若くて顔のいい男がいいんでしょお?」
「ぐっ!」
ドクダミは、ひたすらジンを触手で愛撫する。妬みと憧れの混ざり合った老齢の劣情をほとばしらせるように。そうしながら、
「早くしないと、取り返しのつかないことになりますよお。もったいぶらず、国宝の在処を吐いたらどうですう?」
壁の外にいるシェリーズを煽った。
身をのけぞらせるジンは、内心、ほっとしていた。なぜなら、ドクダミの発言は、彼が何も知らないことを意味しているからである。
実際、ドクダミは何も知らない。
国宝がどこにあるかも知らなければ、隠し場所を記した暗号が、
――俺の体に、入れ墨として彫り込まれてることも……!