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第21話 燃え尽きて、灰

 シスネヴラの足に謎の粘液が絡み付く。


「これが……きみの魔法か!?」


 初めて目にする魔法にシェリーズは恐れおののく。

 が、これは、


「シスネヴラの魔法ではありませぬ」


 とジンが断言する。しかし魔法には違いない。周囲をきょろきょろ見回し、どこに他のヤドリギが潜んでいるのかと探ってみたものの、見当たらない。

 これがドクダミの魔法【ネバネバーランド】であることをジンが知るのは数年先のことである。

 では、シスネヴラはどのような魔法を使うのか。


「チッ」


 舌打ちしつつ、口にサクランボを入れるシスネヴラ。口の中でヘタを結んで、魔法を発動。親指で押さえられた小指がぱっと解き放たれた瞬間――


「おお」


 シェリーズが思わず感嘆の声をあげた。

 シスネヴラの小指から緑色の炎が噴射されたのだ。炎に当てられた粘液は固まり、やがて脆くも崩れ去った。これこそシスネヴラの魔法【発火ミント】である。

 自由の身になったシスネヴラは、すぐさま走り去ろうとする……のだが、足元がふらつく。


 ――あれ?


 ふと、ジンが気づいた。気づいたが、先に声をかけたのはシェリーズだった。


「きみ、怪我をしてるのか?」


 シスネヴラの服に血が付着しているのだ。

 答えず、さりとて駆け出す力もないシスネヴラ。

 如何にして恋人を逃がそうか思案するジン。

 霧のように立ち込める沈黙を払ったのは、シェリーズの次の質問。


「それはきみの奥方の血か?」


 問われたシスネヴラより、ジンの方が驚いてしまった。

 すかさず、シスネヴラは、へっと笑い、


「殺すつもりはなかったんだ」

「殺すつもりはなかったが、殺したんだろう?」

「まあ、な……」

「そして、返り血を浴びた」


 二人の会話を聞きながら、ジンは口をぱくぱくさせていた。言いたいことはあるのだが、頭が真っ白になっており、言葉にならない。

 護衛の態度を配偶者殺害に対する驚愕と受け取り、シェリーズは優しく説明をする。

 同僚とも近隣住民とも適切な関係を築き、誰からも出自を疑われずに暮らしていたヤドリギの役者。完璧な擬態が破れたのは、つまらない出来事がきっかけだったという。


「シスネヴラは奥方と喧嘩したんだそうだ。その末に、魔法で殺害。騒ぎを心配したご近所さん通報していたんだが、ちょうど殺害の瞬間、警察官が到着したんだ」


 すべてのタイミングが最悪だった。警察官はシスネヴラが魔法を使用したので、本署へ応援を要請。犯人の逃走を防ぐため、住居を囲んだ。


「逃げずに家に留まったのは、反省の証と思ったが」

「逃げようがなかっただけさ。私の魔法はさほど強くないし……あれだけの包囲を突破するためには、妻の協力が必要になる。私が殺してしまったわけだが」

「恋は翼だ……という台詞があったが、さすがの恋もきみに逃走の翼を与えはしなかったか」

「ふ。結婚して長いからね。もう恋仲じゃなかったってわけさ」

「喧嘩の理由は?」

「わからん」

「わからん?」

「女は急に機嫌が悪くなるからね。何が気に入らないんだか、さっぱり。いつもの私なら適当になだめるんだが……近頃の私は心を掻き乱されていてね。冷静ではいられなかった。つい、かっとなって……」


 シスネヴラが苦しげに笑みを浮かべる一方、ジンの表情には一切感情が浮かんでいなかった。ここまでの説明の中に、彼が聞きたいことは含まれていない。


 ――どうして、妻がいることを否定してくださらぬ?


 ジンのそうした想いを知ってか知らずか、シスネヴラは、ここに至り、


「さあ、どうぞ私をお縄にかけてください」


 と従順な様子を見せている。

 対して、シェリーズは意外な発言をした。


「私がここに来たのは、きみを逃がすためだ」


 これにはジンもシスネヴラも驚いた。

 父オウトウはヤドリギ一族を見逃すような甘いことはしない。事態を無血で済ませる方法は、


「狩りに参加し、隙を見て、こっそりきみを逃がすことだ」

「……」

「私は王子だ。土地や建物もいくつか所有してるし、様々な業界に人脈がある。さあ、どこへ逃げる? 早速、打ち合わせよう」

「……あんたは男の心を……いや、人の心をわかっちゃいないな」

「何?」


 シスネヴラに、つい先程までの穏やかさはなくなっている。


「結局……」


 シェリーズに向けられた小指から、緑色の火が噴く。


「世間知らずの王族なんだな!」


 突然の攻撃。

 ぎょっとして動けないでいるシェリーズを、ジンが突き飛ばすようにして守り、守ったことに対して自分自身で驚いた。ジンは護衛だ。王子を守って当然である。が、それ以前に、


 ――俺もヤドリギなんだ……。


 敵であるサクランボ王国の王族を殺害するには、うってつけの場面である。見殺しにしてもよかったわけである。それでも、動いた。その咄嗟の行動に打算はなかった。どこまでも本能的だった。つまり、憎悪。


「貴様の思い通りにはさせぬぞ」


 シスネヴラを睨むジン。口には出さないが、その表情に書かれてある、


「説明しろ。俺を裏切っていたのか?」


 という想いを読み取れないシスネヴラではないはずだ。そう信じ、ジンは抜刀し、シスネヴラに刀を振り下ろす。

 しかし、それはシェリーズの望むところではない。


「よせ。殺すな!」


 王子の命令を無視する形で、ジンはシスネヴラを追い続ける。

 大人しく斬られるつもりのないシスネヴラが上手く刀を回避するにつれ、一行はじわじわと移動する。次第に木々がまばらになり、開けた場所へ。

 断崖絶壁にボロボロの吊り橋がかけられてある。

 よりによって、ジンとシスネヴラはこの橋の上でも戦うものだから、


「見ちゃいられん」


 シェリーズも一旦は目を背けた。しかし、彼も意を決し、橋へ一歩踏み込んだ。

 その時、ジンとシスネヴラは、橋の真ん中で睨み合っていた。相手の出方をうかがい、じりじりと間合いを狭め、ジンが飛びかかった。互いの顔に息がかかるほどの接近。

 シスネヴラがジンにだけ聞こえるように、


「私を本気にさせたのは、ジン、お前だけだ」


 あまりに安い台詞だ。しかし、これがジンに、


 ――効くだろう。


 ことは想定済みであった。

 案の定、ジンの動きが鈍る。弱々しげな上目遣い。


「はっ」


 即座に、シスネヴラはジンを飛び越し、シェリーズの眼前へ立った。ジンには自分を攻撃できないという絶対の確信、そして生き延びてやるという気概があってこその荒業である。

 実際、ジンはシスネヴラの背中を捉えながら、斬ろうかどうしようか決断できないでいる


「ジン、よい。何もするな」


 と、ヤドリギを前にして、シェリーズが堂々と、


「シスネヴラ、私を殺せ」

「!?」

「私を殺さねばならないなら、殺せ。そしてどこへなりと逃げるがよい」

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