「クロエ・ルルーシュ、君に話がある」
王宮の階段を降りようとしていた私の腕を掴んで引き止め、そう言ったのは、昔からよく知っている男性だった。
165センチ近くある私よりもさらに20センチも背が高く、手足の長い彼。プラチナブロンドの髪、氷のように冷たい水色の瞳。王家の紋章が肩に入った白い軍服を着ている彼の表情は冷淡なのに、顔立ちは精巧な人形のように整っている。
彼の名前はレオン・グランツ。グランツ王国の第三王子殿下でもあり、私の二つ年下の幼馴染でもあった。
「何でしょうか?」
「知っての通り、君は明日断罪される」
表情一つ変えず、レオンはそう言った。
レオンの言った通り、私は二十歳になる前日――つまり明日、王宮前の広場で断罪されることが決まっている。具体的な罰はその場で言い渡されるらしいけれど、重ければ死罪、軽くても国外追放でしょうね。
「はい、存じておりますわ。第三王子殿下から直々に申し渡されましたもの」
「そもそも君の出過ぎた言動には、日頃から目に余るものがあった」
レオンは小さく首を横に振り、大げさにため息をついてみせる。
国王にも次ぐ権力者である公爵を父を持ち、生まれた時からずっとちやほやされてきた私。ほんの少しだけワガママが過ぎたのかもしれない。
だけど、本当にちょっとだけよ? 歯に衣着せない言い方しかできないのは申し訳ないけれど、正直で裏表がなくて、素直な性格なの。私は何も間違ったことは言っていないわ。
まあ、他人から嫉妬されやすく、恨みを買いやすいのは否定できないわね。公爵令嬢であるだけでなく、絶世の美女と名高い母親譲りの美貌まで持っているんだもの。
胸の下まであるウェーブのかかった深紅の髪。一点ものの宝石のような紫の瞳。ほどよい厚みのある薔薇色の唇。高価な装飾品がよく映える白い肌。
女性は私になりたがり、男性は物欲しそうな目で私を見つめる。唯一私をほしがらないのは、目の前にいる第三王子殿下ぐらいよ。
「しかし決定的だったのは、先週の舞踏会だ。皆の前で僕との婚約を勝手に破棄しただけではなく、ミシェルの名誉を傷つけるような発言までするなんて」
つい一週間前まで婚約者だったレオンは、咎めるような目で私を見ていた。
仕方ないじゃない。
レオンにまとわりついていた伯爵令嬢のミシェルがあまりにもうっとうしかったから、我慢の限界だったの。
先日の舞踏会でレオンとの婚約破棄を宣言し、『愛の言葉一つくれない上に何を考えてるか分からないそんな男、あなたにあげる』とミシェルに押し付けたのよ。
……その後、みんなの前で『残り物みたいな色のドレスの裾、ほつれてるわよ。王子様に媚びるのに必死過ぎて、身だしなみもきちんとできないのね』とミシェルを辱めたのは、令嬢としての品位に欠けていたかもしれないわね。
「婚約者だと思って大目に見てきたが、先日の件で君には心底失望した」
冷静な口振りではあったけど、レオンの声にはわずかに怒りが滲んでいた。
『大目に見てきた』とはおっしゃりますが、普段から散々小言を言われていたのは気のせいでしょうか?
どう考えてもレオンが私を愛していたわけではないと思うから、皆の前で恥をかかされたことに対して怒っているのでしょうね。
親同士が勝手に決めたこととはいえ、王族よりも下の立場である私の方から婚約破棄だなんて。常識では考えられないもの。
「ええ、そうですわね。いくら公爵令嬢とはいえ、許される言動ではありません」
「その通りだ。だが」
レオンは頷き、さらに言葉を続ける。
「君が今までの言動を謝罪し、心から反省し改めるのであれば、断罪を取り消してもいい。もちろん無罪放免というわけにはいかないが……」
二つも年下のくせに、レオンは偉ぶった上からの言い方をする。
王子様だから当然かもしれないけど、幼馴染にその態度はないんじゃない?
昔は『クロエちゃん、クロエちゃん』って懐いてきて、あんなに可愛かったのに。誕生日には手作りの花の王冠までくれて、どんな高価なプレゼントよりも嬉しかったわ。
どうして、こんな血も涙もない冷血な人間に育ってしまったのかしら。
昔のままのレオンだったら、私だって……。
そこまで考えて、ありえないことねと思い直す。
「けっこうです」
「……は?」
「ですから、許されなくてけっこう。と、申し上げたのですわ。打首でも追放でも罰は甘んじて受け入れますから、どうぞ断罪なさってくださいませ」
きっぱりと言い切って、私の腕をいまだに掴んでいるレオンの手から逃れようとした。けれど、レオンはその手にさらに力を込め、私を引き止める。
「たった一言でも謝罪をすれば許す。僕がそう言っているのに、か?」
「あなたに頭を下げるぐらいなら、断罪された方がマシよ」
「君は……なんという……」
信じられないものでも見るような目で私を見つめ、レオンは言葉を失う。鉄仮面みたいなレオンが動揺している姿を目の当たりにし、少し胸がスッとする。ざまあみろ、ですわ。
「レオン……いえ、殿下」
私の腕を掴む力が弱くなったレオンの手を外し、彼に向き直る。
「何度おっしゃられても、私はあなたには従いません。断罪なさるのなら、好きになさればいいじゃないですか」
あなたの気に触る言動ばかりする私がいなくなれば、せいせいするでしょう。
「邪魔者は姿を消しますから、心置きなくミシェル様といちゃつかれてくださいな」
「僕はミシェルを愛していない」
「そうですか。でしたら、他のご令嬢と。どのような女性でも、少なくとも私よりはずっとマシでしょう?」
そう言って、下からレオンを見上げる。
レオンはただ私を見つめているだけで、何も言わなかった。わざわざ聞かなくても、分かりきったことね。レオンは私を愛していないのだから。
「それでは、失礼いたします。予定通り、明日お会いしましょう」
左足を軽く後ろに引き、膝を曲げてお辞儀をする。
姿勢を正し、レオンに背を向けようとした。それなのに、またレオンが私の腕を掴み、引き止めてくる。
「待て!」
「放してください!」
「考え直すんだ、クロエ!」
「考え直しません!」
「クロエ! 僕は君を……!」
「しつこいのよ! いい加減にして、レオン!」
少し強めにレオンの手を振り払い、踵を返す。
そのまま立ち去ろうとした時だった。
「うわっ」
めずらしく間の抜けたレオンの声が聞こえ、ゆっくりと振り向く。
そうしたら、なんとレオンが階段から足を滑らせ、手をこちら側に伸ばしていた。
……え?
急いで彼の手を掴もうとしましたが、間に合わない。
「うわあああああああ!!」
「いやあああああああ!!」
ほぼ同時に絶叫した私とレオンの声が重なる。
普段はほとんど表情を変えないレオンの顔色が真っ青になり、まっさかさまに階段の下に落ちていく。
レオンの背中が長い階段の踊り場に打ち付けられ、そのまま動かなくなる。
いやだ……。う……嘘、でしょう?
まさか……私が殺してしまった……?
たしかに私を断罪すると言い出したレオンがいなくなってくれたら……なんて恐ろしいことを昨日ぐらいまでは考えていたけれど、さすがに殺すつもりなんてなかったのに。
「……殿下!」
髪の色と同じワインレッドのドレスを軽くたくしあげ、階段を駆け降りる。
「殿下。殿下、……殿下?」
目を閉じ、うずくまっているレオンの身体を何度も揺すり、声をかける。けれど、レオンは何の反応も示さない。
もしかして、本当に死んじゃったの?
どうしよう……。
私……そんなつもりじゃ……。
「レオン! しっかりして!」
大理石の床に力なく下がっていたレオンの右手を取り、ぎゅっと握りしめる。すると、レオンのまぶたがぴくりと動き、ほどなくして水色の瞳が開く。
「いてて……。……ん?」
レオンは左手で頭を押さえ、パチパチと目を瞬かせる。
「……良かった。生きていたのね、レオン」
「君は……」
レオンがぼんやりとした瞳で私を見つめる。
まだ意識がはっきりしないみたいね。
でも、とにかくレオンが生きていて良かったわ。
もしもレオンが死んでいたら、私……。
「今日も綺麗だね」
安心したのも束の間。レオンの口からありえない言葉が聞こえてきた気がして、思わず耳を疑う。
「はい?」
今、何て言ったの?
まさか打ちどころが悪くて、おかしくなった?
……いえ、きっと聞き間違いね。
『綺麗』じゃなくて、何か別の……たとえば……
そうそう、『嫌い』と言ったのよね。きっとそうだわ。
だって、レオンが私を『綺麗』だなんて言うはずがないもの。
そうよね、と勝手に自己完結する。
気がついたら、レオンがそんな私をニッコニコで見ていた。
レオンのこんな屈託のない笑顔、何年振りかしら。
嬉しいというよりも、なんだか気味の悪い……。
レオンは私の後頭部に手を置き、顔を近づけてくる。
今度は何……?
「愛してるよ、クロエちゃん」
「え、ちょ、ま――」
生まれて初めてレオンから愛の言葉を囁かれた次の瞬間には、彼に唇を奪われていた。
え、え? 今、何が起きたの?
キス? え、なんで? 今まで一度もしてこなかったのに?
「え。……な、え、う、ええええええええええ!?」
事態を把握できず、レオンが階段から落ちた時以上に大きた声で絶叫してしまった。