20xx年、人口減少が止まらない日本。限界地域は、地方や集落にとどまらずマンションや団地など、よりミクロで身近なレベルにまで進行。そして近年、こうした空洞化に新たにオカルティックな問題が発生していた……
* * *
六月下旬。梅雨真っ只中のはずなのに、連日の晴天。今日も真っ青な空に、もくもくと白い入道雲が立ち上っている。
混み合った国道をノロノロと進む旧式のワゴン車の中で、襟の付いたベージュの作業着を着た僕は、ハンドルを握っていた。冷房の効きは弱く、額にはじっとりと汗が滲む。
所々に汚れが目立つ車体には、「xx県 都市整備部 特別住宅課」と、かすれた文字で書かれていた。
〈都市整備部 特別住宅課〉それが、僕──
「しっかし、給料って上がらねぇなー」
助手席に座る同じ作業着を着た坊主頭の男がぼやいた。同い年の同僚、
「そりゃーまあ、なかなかねぇ……」
軽く返事を返す僕。
今日は二十一日、僕ら県職員の給料日(世のサラリーマンより一足早い)。朝に支給されたその給料明細を眺めながら、剣崎君の愚痴は続く。
「先月だって結構活躍したろ、俺もトウマも」
「でもまあ、一応特別手当がついてるし」
「手当って言ったって、
「ははは……」
午前中の交通量の多い国道、運転に集中したい僕は軽く笑って流す。
「ちぇっ」
給料への不満か、それとも話に乗ってこない僕へのあてつけか。剣崎君は舌打ちして頭の後ろで手を組むと、シートにもたれかかった。
(ふぅ……)
心の中でため息をつく。実を言うと、当たり前のように「トウマ」と呼び捨てにする剣崎君が、僕は少し苦手だった。歳こそ一緒だが、仕事は僕の方が一年以上も先輩なのに、いつもどこか上から目線……
それに見た目がいかついのもちょっと引く。坊主頭(五分刈り)と言っても高校球児のような爽やかさはなく、どこかオラついた雰囲気。そして極めつけが、「俺、昔二年ほど引きこもってたんだ」という謎のマウントを取ってくるところ。
実は剣崎君は正式な職員ではない。県の「引きこもり就労支援」の一環で臨時職員として採用されているのだ。つまり、どこにも僕へのマウント要素はないはずなのだが……
車は、混み合う国道を離れ、住宅街へと入る。しばらく進むと、大きな古いマンションが見えてきた。建物のシルエットが霞んで滲んだように見える。夏の暑さによる
──間違いない、あれが今回の現場だ
そう確信した僕は、はやる気持ちを抑え慎重に車を進めていく。
建物の前に車をつけ降りる。じりじりと照りつける真夏の陽射しに、アスファルトからの照り返し。周囲に響くセミの声……そして、鼻をつく異様な臭い。詰まった排水口や食べ物の腐敗などとは違う、しかし何かが腐ったようなすえた匂い……現場特有の“あの匂い”だ。
「くっさ!」
剣崎君が顔をしかめて言った。
これまでも何度も嗅いだこの匂いだが、未だに慣れることはなかった。
マンションの前に立つと、入口には立て看板が掲げられていた。
《住居者および関係者以外の立ち入りを禁ず》
だが、その「住居者」はすでに5世帯しか残っていない。今朝見た居住者リストには、一人世帯の高齢者ばかりが並んでいた。都会に取り残された独居老人の居住地──今では珍しくない光景だ。
ひびの入ったコンクリートの階段を上がり、建物の中へ。古いポストが整然と並ぶエントランス、さらにその先の薄暗い廊下には、人の気配が全くなく、不気味なほど静かだ。
ただ、霧は確実に濃くなり、すえた匂いはますます強くなっていった。
「さっさと終わらそうぜ」
古びたエレベーターの前で剣崎君が鼻をつまんで言った。
「そうだね」
僕はそう答えて、エレベーターのボタンを押す。実際、
エレベーターを待つ間に、僕はポケットから取り出したスマートグラスをかけた。剣崎君も取り出したスマートゴーグルを装着する。
エレベーターの扉が静かに開いた。中に入り、5階を押す。特に意味はない。何階でもいいのだ。まあ気分的に4階は選びたくないが……
ゴトッと一度大きく揺れてエレベーターが上昇を始める。上部で順番に光っていく階数表示を見ながら、僕は懐から短冊のような一枚の紙を取り出す。毛筆で文字が書かれた護符。同じものを手にした剣崎君、顔を見合わせると、声を揃えて唱えた。
「
白く光って護符が消える。しかし、特に何も起こらない。ただエレベーターが止まっただけ……だが、扉が開くと──景色は一変する。
現われたのは、重く、そして暗く垂れこめた雲の下、どんよりとそびえる一城の古城。城全体から瘴気のような、闇色の霧が広がり、空気までも淀ませている。
苔むした巨岩を無骨に積み上げた石垣に、黒い染みが浮かぶ朽ちた
「ちくしょうが、今回のダンジョンは城かよ──つか、でけえなぁ……」
そびえ立つその城を睨みつけながら剣崎君が言った。
近年、日本のあちこちで発生している新たな空洞化問題、それがこの「ダンジョン化」だった。人口減少により限界建物や廃墟となった団地やマンションが、大規模なポルターガイスト──悪霊によって建物ごとダンジョン化する現象。
ダンジョン化した建物は、内部から異臭を伴う霧が発生し、放置すれば霧に飲み込まれ、その地域全体が消失するという。
そして、ダンジョン化を解くには、内部に巣くうダンジョン
対応を迫られた政府はこの問題の対策案を講じると、その執行を各都道府県へ委託(丸投げ?)。そして、ここxx県では都市整備部特別住宅課がその任を命じられていた。
その結果、今僕らは、こうしてここに立っていると言うわけだ。
担当する職員は、市民への口外を禁じる秘密保持契約を結ぶ代わりに、”封印手当”として月2万円(たった2万!)が支給される。霊の封印と口外禁止、二重の意味での「封印」手当というわけだ。
そして、専門知識のない地方公務員による除霊という、この
「相変わらず気色悪い所だな……」
城から放たれれる禍々しいオーラを感じながら剣崎君がつぶやく。その言葉に反応するように
ギィ……ギィ……
城正面の木戸から、軋むような音が響きわたる。ゆっくりと開かれた扉の中から、ゆらりと影が姿を見せる。
現われた人影。いや、正確には"かつて人だった"残骸。薄汚れた骨と、所々が朽ちた鎧をまとった骸骨の武士が、ゆらゆらと不安定に身体を揺らしながら現れた。
彼らの正体は「
「出てきやがったな……」
そう言うと剣崎君がスマートゴーグルのスイッチを押す。その隣でつられたように、僕もスマートグラスのスイッチを入れた。
悪霊に対抗するため、僕たちが頼る唯一の手段、そのツールがこの中にあるからだ。