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第5話 天守閣での戦い

 先ほどまでの怒号や壮絶な攻防が嘘のような静けさの中、剣崎君の一刀を浴びた化け猫はそれきり動かない。瓦礫混じりの畳の部屋に横たわっていた。その動かなくなった大きな猫を、黙って見下ろす僕たち。


「小雪殿……」


 小太郎さんが、ずるりと膝をついて倒れた体へ駆け寄った。その声は震えていた。


「すまない、だが……」


「よいのです……仕方ありません」


 僕の言葉に、小太郎さんがかすれた声で答える。


 (終わったのか?)


 心の中で自問する── しかし、どこか釈然としなかった。これが本霊? 普通、本霊はもっと禍々し妖気に包まれて……


── !?


 次の瞬間、化け猫の体から黒い粒子のようなものが立ち上り始める


 (これは?……妖気!)


 煙のように立ち上るそれは、そのまま霧散していくかと思われた……だが、突然意志を持ったかのように蠢き始めた。流れるように黒い霧は床を這い、部屋の隅に転がる黒塗りの箱へと吸い寄せられていく── 化け猫が暴れた際に棚から落ち、蓋がわずかに開いたその箱。


 やがてカタカタと箱が震え出し、中から現れたのは一頭かしらの兜。まとわりつく霧がその兜を空へ押し上げ、渦を巻きながら、形を成していく。頭部、胴体、手、足……


 ガシャリ──


 やがて、無機質な音とともに動き出した黒い影。よく見れば黒い大袖おおそで籠手こて脛当すねあてに身を固めた闇色の鎧武者へと姿を変えていた。


 そして黒くくすぶる兜、その黒い煙の中に見え隠れする面頬めんぽう。そこから覗く深い眼窩がんかに光る赤い瞳。誰何すいかするようにこちらを睨んでいた。


──スラリ


 漆黒の剣を抜くと、空を切るかのように一振りした。


 瞬間、景色が一変する。


 現われたのは十畳ほどの板張りの部屋、周囲を囲む太い柱に白壁、さらに重厚な梁。板の間の先に欄干、その向こうには灰色にくすんだ空が広がっている。これがここ本来の姿── 城の最上階、天守閣だった。


 (……本霊っ! こいつだ、間違いない!)


 瘴気を纏った様な黒武者を前に確信する。刀を構え直した剣崎君の表情にも緊張が走る。


「……主殿」


 小太郎さんが低くつぶやいた。


──!


「間違いござらん。この匂い! 主殿だ」


 (やっぱりそういうことか……)


「主殿! 小太郎です!」


 小太郎さんが声を上げ、黒武者へ駆け寄った。だが──黒武者が乱暴に右腕を振るう。吹き飛ばされ、壁に激突して気を失う小太郎さん。


「野郎っ!」


 剣崎君がすかさず刀を振りかぶり、切り込んでいく。


── カキン!


 漆黒の剣が、その一刀を易々と弾く。


 続けざま二度三度と切り込んでいく。だが、剣崎君の刃が派手に火花を散らすも、いずれの打ち込みも軽くあしらわれているように見えた。


 真っ向から刀を合わせ切り結ぶ剣崎君だったが、力で押され覆いかぶさるような体勢になる。苦悶の表情を浮かべる。


「くうっ……」


 その時、黒武者が刃をわずかにずらす。力の支点を外された剣崎君は体勢を崩し、その顔面めがけて黒武者の肘が鋭く飛んだ。


「ぐあっ!」


 態勢を大きく崩した剣崎君へ、すがさず黒武者が刃を振りかぶる。


 その時、忍び寄った白騰蛇が、後ろから黒武者の体に絡みついた。


 黒武者は素早く脇差を抜き、白い大蛇の体に突き刺す。鮮血が白い体に流れ落ちる。血を流しながらも、白騰蛇はさらに締め付けていく。


 だが、傷を受けた白蛇のダメージが僕にも伝わり、霊気カウンターが下がっていく。このままだと、すぐに40パーセントを切るだろう。恐らく剣崎君の霊気も同様のはず。


 (強い……いや、強すぎる)


 鼻血を流す剣崎君に駆け寄る。


「一度、戻ろう。今の二人では厳しい……」


 だが


「ダメだ」


 怒ったような顔で拒絶する剣崎君。


「なぜ?」


 唇を噛み、僕を睨みなら言った。


「言われたんだ」


「?」


「俺の討伐率が低いって……」


「えっ?」


「このままじゃ給料を上げるどころか、仕事を続けることも難しいかもってな」


「誰に?」


「課長だよ」


「課長が? ……そんなことを?」


 言葉に詰まる僕。


「戻るなら先に戻れ!」


「バカを言うな……」


 その時──


「シャーッ!」


 悲鳴をあげる白い大蛇。見ると黒武者が蛇の顔面に脇差を突き刺していた。血まみれの白蛇が苦しげに身をよじらせる。やがて力尽き、黒武者への拘束が解ける。次の瞬間、低い唸り声と共に刀を振った黒武者によって、白騰蛇の霊体が裂ける。全身が霧となって消えていった。


「くそがっ!」


 走り込んだ剣崎君、そのまま跳躍し、頭上から勢いを乗せた剣を振り下ろす。だが、黒武者はまるでそれを予期していたかのように身を翻し、ひらりと躱した。

 空を斬った剣崎君は勢いあまって、体勢を崩す。その隙を逃さず、黒武者が体を寄せると、脛当で固めた脚で剣崎君の腹をとらえた。


「うぐっえ!」


 鈍い衝撃音と共に、剣崎君の身体が宙を舞う。そのまま体は、欄干を越えて外へ──


「剣崎!」


 瓦屋根を転がる音。すぐに黒武者も追いかけるように外へ消える。


 慌てて欄干まで走り外を見ると、瓦屋根の上で対峙する二人の姿があった。だが、肩で息をする剣崎君は、立っているのがやっとの様子。手にした剣も、刃こぼれし、亀裂が入っているように見える。


 (無茶だ……力の差がありすぎる)


 そして僕の霊力カウンターは30%を切っていた。現実世界に戻ることを最優先に行動しなければいけない時。このカウンターが10%を切れば、戻れなくなるかもしれないのだ──この状況で式神を出すのはあまりに無謀……


 瓦屋根に辛うじて立つ剣崎君へ向かって黒武者が走る。構えを固める剣崎君。両者の剣が交わった次の瞬間、周囲に鈍い金属音が響いた。


 ギャシャーン──


 剣崎君の刀が砕け散った。折れた刃がキラキラと空を舞い、霧散していく。

 そして、柄だけを手にした剣崎君へ、黒武者は腰を落として存分の構えから剣を切り上げた。


「ぐがぁ……」


 大きく後ろへ吹っ飛ぶ剣崎君。そのまま瓦屋根から消えた。


 (まずい! あの高さから落ちたら……)


 思わず身を乗り出すと、手が見えた。剣崎君の片手だけが、瓦屋根の縁につかまっている。


 だが、その手に向かって、黒武者がゆっくり近づいていく。


「くそっ!」


 迷っている暇は無かった。


「紙魔顕現──」


 僕が呪を唱える間にも、黒武者は刀を逆手に持ち、頭上へ振り上げた。そのまま剣崎君の手を目掛けて跳躍──

 大きな音を立てて黒武者が瓦屋根に刀を突き刺した。屋根の一部が崩れ落ち、剣崎君の手も見えなくなる。


「くっ!」


 思わず息を呑んだ、その時。

 屋根の向こうの空中に大きな翼が姿を現した。黒い大鷲、僕が召喚した鷲竜しょうりゅうだ。翼をはためかせ上昇すると、大鷲の足につかまる剣崎君も姿を見せた。


「ふぅ……」


 安堵の息をもらす……だがもう限界だ。視界に映る僕の霊力カウンターは22%。すぐに10%代になるだろう。早く戻らないと……


 だが剣崎君は、瓦屋根の離れた位置に飛び降りると何かをつぶやく。彼が唱えた呪が小さく聞こえてきた。


「武具顕現──蜻切槍せいせっそう……」


 自身の影から現れた長槍、その槍を構え、黒武者と向き合う剣崎君。そのわずか上空で機を窺う大鷲。風を捉えた羽をわずかに揺らし、空中で止まっているかのように映る。


 (分かっているのか? どうするつもりだ。次の攻撃を受ければ……)


 その時、剣崎君がチラリとこちらを見た。


── !?


 その直後、黒武者が疾風のように走り出す。剣崎君に向けて刀を振りかぶりながら。

 俊足で間を詰めていき、その距離は二メートルほど……槍の間合いに入った、だが剣崎君は動かない。


 黒武者の剣が振り下ろされる刹那──


 バサッ。


 羽を一振りした鷲竜が、黒武者を目掛けて急襲する。黒武者は振り上げた剣を大鷲へ向け切り下ろした。


 が、その刃が届く直前、大鷲が身をかわす。そして死角に入っていた剣崎君が、手にした槍を突き出した。


──ずぶりっ


 剣崎君の槍が黒武者の胸に深々と突き刺さった。

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