とある地方都市の古本屋。旧家の土蔵で経営している雰囲気のある店である。
このご時世では経営も厳しかろうと思うのだが、不思議と店主は飄々としておりあまり
苦労を感じさせない。
聞けば一度表通りの店舗から撤退して、実家の土蔵に落ち着いたのだという。苦労して
いないはずはないのだが。
さて私はここで一冊の本を購入した。
地元の郷土史家が自費出版した本とのことで、近隣の書店以外では一般流通しなかった
ものらしい。こういうものが手に入るのも地方の古本屋を回る醍醐味である。
店主は眼鏡で長髪の、一見気取った印象だった。だが、話してみるとなかなか愛嬌のあ
る男である。若いように見えるが、年齢不詳なムードも醸し出していてちょっとつかめな
い。
「土地のもので何か面白い本はあるかい?」
という、私の気まぐれに応じて店主がいそいそと足元から拾い出したのがこの本である。
『〝『猫畜生
「犬畜生ってのは聞くけど、猫畜生ってのは初めて聞いたね」
ですよね、と言い店主は快活に笑った。
「面白いですよ。この〝なんとか来迎集〟っていうの、題名からは中身がわかりにくいと
思うんですけど、要は色んな猫の死に様が載ってるらしいんです」
内容を問うと、店主は嬉々として喋り始める。
「らしい?」
「ええとですね、この本は著者の方が『猫畜生決定往生来迎集・浄土門秘事』という古文
書を偶然発見した。それを元にここ、飴子市に伝わってる猫の伝説を集めた……という態
で書かれてるんですよ」
「元の古文書のほうは見られないのかね?」
「それが無理なんですよね~。著者の方は『紛失した』って言い張ってて。まあ古文書の
ほうも元々猫語で書いてあったものを江戸時代の誰かが翻訳した、みたいな話で限りなく
怪しいものですよ」
「猫語?」
私は余程おかしな表情だったのだろう。店主はそんな私の反応を見てニンマリとほくそ
笑んだ。
「この〝来迎集〟はですね、死ぬ時の心構え、ひいては臨終までの覚悟の持ち方を信仰心
に託す方法などを猫族に説くものらしいんです。猫に教えるんだから、猫にわかる言語で
書かなきゃしょうがないじゃありませんか」
ようやく私にも呑み込めてきた。
「なるほどね。要するに戯作っていうか宗教書のパロディみたいなものってわけか。来迎
ってのは阿弥陀様か観音様か、なにかそういうものがあの世から迎えに来るってことだね」
「あ、学がありますねえ」
我が意を得たり、と店主は頷く。もちろん目はずっと笑っている。
「迎えに来るのは阿弥陀様じゃないですけどね。猫用のなにか、仏様だか神様だかなにか
そういうものですよ」
私は俄然興味が沸いた。著者が本気か酔狂かはわからないが、奇書なのは間違いない。
結局店主の口車にのり、その本を購入してしまった。
「これ、今一冊しかないんですよ。本当は売りたくないんですけどねえ」
紙袋に詰めながら店主は言った。セリフにそぐわず、口元には春風のような微笑が浮か
んでいる。もしかすると思っていたより商売上手なのかもしれない。
さてこの本、前半は著者の見つけたと言い張っている古文書の内容紹介である。
が、後半は大きく趣きを変えている。
著者は『来迎集』を読み、いたく感銘を受けたらしく飴子市(件の古本屋のあった地で
ある)の猫に関する伝承を集めた。その中より厳選した興味深い話を生真面目に綴ってい
る。
私は正直後半のほうが面白かった。
その中から特に良かったと私が感じたものをここで紹介しようと思う。
なんとも奇怪な物語であり、正常な人間であればよもや本気にはしないだろう。
ただ、地名や固有名詞など、独断で変更している部分も結構ある。興味がある方はどう
にかして原本を手に入れていただきたい。
私は自分の職業柄、この物語においては多少演出的に手を入れ大袈裟になっていたり物
足りなく思ったところを補強したりといった作業もおこなっている。
筆には狸の毛ならぬ猫の毛も混じるものなのである。