加羅森稲荷。
僕たちはいつも〝稲荷〟としか呼ばないが、それが正式名称である。
この神社はうちのすぐ近くにある。三軒くらい隣の向かい側だ。
だからというわけではないが、僕はここに毎日通っている。三カ月ほど前のことになるが、お百度を踏んだこともある。
まだ通っているということは願いが叶っていないということか。と思うだろうか?
当たっている。
もう少し正確にいうと、お百度を踏んだ願いは一応叶っている。その後生じた問題を解決するというか、元に復するというか、その部分が上手くいってないのだ。
今日も今日とて僕はお賽銭を投げるポーズを取り、柏手を叩く。
毎日のことなので、毎回賽銭は入れない。時々余裕のある時だけで許してもらっている。
社の奥にいるであろう存在が本当に許してくれているのかどうかは定かではない。
日課を済ませ僕は社の左手に向かった。
他所では知らないが、この神社ではお参りしたあと本殿の裏手に回って一周し帰ってくることになっている。お百度参りとか特殊なことをする時以外、普段のお参りとか初詣なんかではみんなそうする。
まあ、毎日お参りするようになって、ここにはほとんど人は来ない、とわかったのだが。
右手に回り脇の小祠を通り過ぎた頃、表の方から声が聞こえてきた。
「どうよ、ランプ。なにかわかる?」
「妙な気配はございますが……」
僕は反射的に社の陰に身を隠した。
「ええ……おそらく直接の関係はない、のではないでしょうか? 同族の匂いも少のうございます」
特にやましいこともしていないのに、僕が隠れたのは理由がある。
小さいながらもちゃんと高床になっている拝殿の物陰から顔を覗かせて見ると、この辺ではあまり見ない洒落た格好をした女の子が居た。同年代くらいだろうか?
誰かと話していたように聞こえたが、一人しか見えない。
僕は嫌な予感に胸の太鼓を鳴らしながら、そっと地面の方に視線を移してみる。
「その、私には
「長すぎて呼びにくいのよ」
「四文字しか違いませんが……」
「倍以上になってるでしょ!」
間違いない。ランプ……なんとかという名前の主は猫だ。女の子の足元には綺麗な毛並みの黒猫が鎮座していた。ちゃんと人間の顔を見上げるようにして喋っている。
『なんだあれ? まずいな……』
僕は心中でため息をついていた。
断わっておくが、あの猫は人間語を喋っているわけではない。僕の方が猫語を理解しているのである。
僕がこの神社に通っているのもそれが理由で、この状態を直してほしいのだ。
詳しい事情は省くが、ここでの願い事が原因で猫語がわかるようになったという状況なのでここにお願いに来ているのである。
なにはともあれ、あれと関わるとまた面倒なことに巻き込まれそうな気がした。
猫というものは、あれで存外にしたたかなので利用されるだけ利用されてしまう確率が高い。僕もこの間学んだことである。
うだうだと考えていてふと気付いた。
あの女の子は猫と会話していた!
あまりに自然だったので見落としていたが、と、いうことは、この世に僕以外にも猫と話せる人間が存在するということだ。
どうするべきか?
声をかけてみようか?
まごまごしながら、ようやく意を決しかけて顔を覗かせてみると一人と一匹は消えていた。
声をかけてみようかと思ったのは、自分が正常な状態に戻れるヒントが得られるかもしれないと思ったから。
迷ったのは、ちらりと小耳に挟んだ会話の内容からあのコンビはハルを探しているのかもしれない可能性にも思い当ってしまったからだ。
ハルというのは、僕の住んでいる地区の地域猫でまあ早い話化け猫のようなものである。
色々怪しい術も使えるし、この辺りの猫連中のちょっとした顔になっていた。
ただまあ……なんというか、あまり素行のよろしくない猫なのだ。あくまでも人間視点で見て、ということではあるのだが。
もしかしたら〝裏〟の世界の秩序を維持している変な組織があって、ハルを討伐にでもしにきたのかもしれない、とマンガみたいなことを考えていたのである。
僕の予想で当たっていたのは『変な組織があって』という部分だけだった。