離れの中は整然としているがどこか生活感に乏しく、12歳の少年が住んでいるにしては物が少ないように感じられた。レアエルは深侑を応接間のようなところに案内すると、ソファに腰かけて警戒するような目で見つめてきた。
「本当に異世界から来たの? 嘘ついてないよね?」
「嘘じゃありませんが……何を話したら信じてもらえますかね。うーん……俺の世界では、空を飛ぶ鉄の塊があったり、魔法を使わずに明かりを灯したりできるんです。こちらの世界とは違うでしょう?」
「空を飛ぶ鉄の塊? それって何?」
「飛行機といって、人がたくさん乗って空を移動する乗り物です。魔法は一切使いません」
「先生、それはさすがに嘘では?」
「魔法を使わないで空を飛ぶなんて、本当なの? そんなことあり得る?」
レアエルだけではなくエヴァルトも深侑の話に食いついてきて、レアエルはテーブルを挟んだ向かいから、エヴァルトは深侑の隣から、二人とも同じような顔をして驚いているので深侑は思わず小さく笑みをこぼした。
「本当です。俺の世界では、魔法というものは存在しないんです。その代わり、科学という力を使っています」
「科学って何? 魔法より強いの?」
「強いというか……違う種類の力ですね。例えば、病気を治したり、遠くにいる人と話したりできます」
「遠くの人と話すって、伝言魔法のこと?」
「伝言魔法というと、どのような仕組みですか?」
「伝言を受け取って欲しい人の所在地が分かれば、国内だったら伝言を飛ばせる魔法だよ」
「じゃあ、それより便利かもしれません。世界の裏側にいる人とも、瞬時に話せるんです。途中に海や山があっても関係ないですよ」
レアエルは瞳をキラキラと輝かせ、身を乗り出してきた。さっきまでのぶっきらぼうな態度がすっかり影を潜めている。
「すごい……異世界って、本当にそんなところなの?」
どんなに生意気でも態度が大きくても、自分の知らない世界に興味をそそられる姿は12歳の男の子だなと深侑が思っていると、隣でエヴァルトがくっくと笑い声を上げた。
「これは珍しい」
「何がですか?」
「レアエル殿下がこんなに興味深そうに話を聞いているのを見るのは初めてです。いつもは新しい教師が来ても完全に無視を決め込むか、わざと困らせることばかりしていたのに」
「うるさいな、エヴァルト! 別に興味なんてないし」
レアエルは頬を赤らめて反論したが、その様子がかえって微笑ましい。エヴァルトも優しい顔をしてレアエルを見つめていて、彼だけが唯一辞めていない剣術教師なのには何か理由だったり二人の間に強い絆があるからなのだろうなと感じた。
「そうですか? 先ほどから目をキラキラさせていた殿下は私の見間違いでしたかね」
「言ってないし! キラキラもしてない!」
「はいはい、分かりました」
楽しそうなエヴァルトと、怒っているレアエル。二人のやり取りは微笑ましい兄弟喧嘩のように見えるので、エヴァルトとレアエルの間には信頼関係を超えた何かがあるのだろう。
「先生、これは良い兆候ですよ。レアエル殿下がこんなに饒舌になるなんて」
「だから饒舌じゃないって言ってるでしょ!」
「でも、異世界の話をもっと聞きたくはないですか?」
エヴァルトが意地悪そうに言うと、レアエルは唇を尖らせた。
「……別に、そんなことないし。僕もう疲れたから、そろそろ帰ってくれない?」
「素直じゃないですね、殿下は」
最初の話ではレアエルは手がつけられないとか荒れていると聞いていたけれど、深侑からしてみればごくごく普通の12歳の少年に見える。手がつけられないというのは、例えば教室に入ってきた教師にバケツに入った水を被せたり、黒板に油性マジックで『能無し』と書いたり、そういう――
「先生? 大丈夫ですか?」
「え……?」
「顔色が悪いです。こちらに来たばかりなのに、無理をさせましたね。私の配慮が足りず、すみません」
「いえっ、そんな……! 小公爵様のせいではないので気にしないでください」
『昔』のことを思い出してぼーっとしていたらしい。背中に伝っていく冷や汗の感触が気持ち悪いが、今はそんなことを言っている状況ではないと深侑はぷるぷる頭を振って思考をリセットした。
「失礼いたします。レアエル殿下」
三人で談笑していると部屋のドアがノックされ、その途端レアエルはスッと真顔になる。そして「なんだ」と冷たく言い放つ彼には、先ほどまで楽しそうに話していた『12歳の少年』ではなくなっていた。
「私が出ましょう」
レアエルは動くことも「入れ」と言うこともなく、エヴァルトが立ち上がってドアを開けた。
「王太子殿下からのお贈り物をお持ちしました」
部屋に入ってきた従者がそう言った瞬間、レアエルの表情がより一層険しくなった。そういえば、と深侑はふと思い出す。レアエルは『第二王子』だと言っていたので、第一王子がいるのは当たり前だ。そして、その彼が順当に『王太子』なのだろう。
「そんなものいらない! 捨ててしまえ!」
レアエルが突然荒げた声に深侑は驚き、思わずびくっと体を震わせた。それは贈り物を持ってきた従者も同じだったらしく、綺麗に包装された箱を持ったまま顔が青ざめていた。
「で、ですが、王太子殿下からのお心遣いでございますので……」
「いらないって言ってるだろ! 持って帰れ!」
レアエルの声は怒りで震えていた。従者は困った顔をしてエヴァルトを見たが、エヴァルトも苦い表情を浮かべるだけで首を横に振る。エヴァルトの反応は言葉にしなくても分かったのか、従者はため息をついてぺこりと頭を下げた。
「分かりました……それでは、王太子殿下にそのようにお伝えいたします」
従者は箱を持ったまま、そそくさと部屋を出て行った。レアエルは窓の方を向いて、拳を握りしめている。
「あんなやつ大嫌いだ……僕に興味なんてないくせに……」
レアエルが呟いた言葉には、深い怒りと憎しみが込められていた。ここに来るまでにエヴァルトが『複雑な事情がある』と言っていたことと、レアエルと王太子の関係性も絡んでいるのだろうか。話を聞いて何か力になれるといいのだが、レアエルが深侑に心を開いて話してくれるのを待つことにした。
「……今日はここまでにしましょうか、殿下」
「……ああ。二人とも、もう帰ってくれ」
「かしこまりました。それでは先生、行きましょう」
「あ、は、はい……レアエル殿下、また来ます」
深侑とエヴァルトの言葉に何も返事をせず、レアエルはただただ窓の向こう側を眺めていた。