レアエルの離れから公爵家へ戻る道のりで、深侑は先ほどのレアエルの豹変ぶりが頭から離れなかった。異世界の話をしている時はあんなに楽しそうにしていたのに、王太子からの贈り物が届いた途端にまるで別人のようになってしまった彼を思い出して、ため息が漏れた。
「先生、先ほどは気まずいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないでください。でも、殿下があそこまで激しく拒絶されるなんて……少し驚きました」
「そうですよね……王太子殿下とレアエル殿下の関係は複雑と言いますか……」
「レアエル殿下が話してくれるのを待つつもりですが、何があったのか軽く聞いても問題はありませんか?」
深侑がそう聞くと、エヴァルトは口元に手を当てながら考え込む。深侑はまだこちらの世界に来たばかりだし、王子の事情に関して気軽に聞いたのは間違いだったかもと反省したが、エヴァルトは「とりあえず、少しなら」と話してくれるようだった。
「レアエル殿下の実の母君は、王宮で働いていた侍女でした。国王陛下に見初められてレアエル殿下を妊娠した際、王妃陛下からひどい仕打ちを受けていたと聞いています。そして数年前にご病気で亡くなられましたが、レアエル殿下は王妃からいじめられたのを苦に……と思っているようです」
「それはどうしてですか?」
「詳しいことは私も全て把握しているわけではないのですが、母君は病気のことをレアエル殿下に伝えられていなかったのだとか。殿下にしてみれば突然母君がこの世を去ったも同然ですので、恨みの矛先は王妃に向かったというわけです」
「なるほど……」
エヴァルトの話を聞いて、深侑は胸が痛んだ。12歳という多感な時期に母親を亡くし、自分の母親が王妃に苦しめられていたことは知っていたが病気のことは知らずに、母親が亡くなったのは王妃のせいだと憎んでいるのだから、あまりにも闇が深すぎる。
「王太子殿下は王妃の子供、ということですか?」
「そうです。なのでレアエル殿下は王太子殿下のことも嫌っていますし、あのような態度でして……」
「王太子殿下自体は悪い人ではないんです……?」
「どちらかといえば、レアエル殿下を気にかけていますね。……レアエル殿下には、母君を苦しめた王妃陛下の息子としか映らないのです」
エヴァルトの話から、レアエルと王太子・レインはお互いにすれ違いが生じているのが分かった。ただ、この話をレアエルにしたとしても今の彼は何も受け入れられないだろう。この件は慎重に進めていかないといけないほど複雑で、繊細なものだと感じた。
「でも私は、レアエル殿下が変われるような気がしました」
「え?」
「あなたのおかげです、先生。今日は久しぶりに殿下の笑顔を見られました……全ての関係者に代わり、私から感謝の言葉を」
「やめてください、俺はまだ何もしてませんから……!」
深侑に向かって頭を下げるエヴァルトにタジタジになっていると、前方から白い装束を身にまとった一団が近づいてくるのが見えた。深侑はその中心にいる人物を見て、驚きに口をぽかんと開けた。
「ああああーっ! みーたん!」
「矢永さん!」
騎士たちから厳重に守られている中心で、莉音がニコニコ笑いながら手を振っていたのだ。別々になってから初めて莉音の姿を確認できた深侑は思わず駆け寄ろうとしたが、護衛の騎士たちが警戒して剣の柄に手をかけた。
「お待ちください。聖女様への接近は――」
「ちょっと、やめてよ! みーたんはあたしがいっちばん信頼してる人なんだから!」
莉音の言葉で騎士たちは剣から手を離したが、まだ警戒は解いていないのが見て分かる。深侑の後ろからスッと出てきたエヴァルトが深侑の肩に手を置いて「この方は大丈夫だ」と言うと、彼らはやっと警戒を解いた。
「矢永さん、大丈夫だったか? 怪我はない?」
「うん、全然大丈夫! みんなすっごく優しくしてくれるし、お部屋も豪華だし、食事も美味しいし」
「そうか……良かった」
「みーたんは? ひどいことされてない?」
「先生は我がレイモンド公爵家で保護していますので、ご安心ください」
「レイモンド公爵家? あっ、剣と魔法がめっちゃ得意なお家の人ね? 昨日ちょっと勉強したんだぁ。てか先生ってなに? なんでこっちでもそう呼ばれてるの?」
「実は、第二王子の教育係になったんだよ。今はその帰り」
「えー! さっすがみーたん。教師は天職じゃん! 頑張りすぎて無理しないよーにね?」
「……天職、と言えるかどうか分からないけど。矢永さんも無理しないように」
「だーいじょうぶだって! こっちにいるほうが楽しいかも。超可愛い服着れるし!」
莉音の元気な様子を見て、深侑は安堵した。最後に見た莉音は制服を着ていたけれど、今は聖女らしい白いドレスを身に纏っていて、いつもとは違う莉音の雰囲気は可愛いではなくどちらかといえば綺麗だなと思えた。
そして莉音が言った『こっちにいるほうが楽しいかも』という言葉に深侑の胸が締め付けられる。レアエルではないが、彼女も家族との間に問題を抱えていたので、その悩みに解放された異世界のほうが伸び伸びと過ごせるのかもしれない。
「聖女様、これ以上は次のご予定が――」
「あ、ごめんごめん。そうだった」
「忙しいんだね、聖女様は」
「早めに解決してあげないと、みんな困っちゃうしね」
そう言って微笑む莉音は何だか別人に見えた。前から意思は強い生徒だったけれど、今は女子高生の『矢永莉音』ではなく『聖女』という言葉がぴったりだと思えた。
「みーたん、また会えるよね?」
「うん、きっと」
別れ際に莉音が「また絶対会おうね」と言って手を振って去っていく姿を見送りながら、教え子が異世界で頑張ろうとしているのだから自分も負けていられないと、この世界で生きていく覚悟を再度固めた。
「先生と聖女様は、教師と生徒という枠を超えた信頼関係があるように見えますね」
「そうですか? でもそれは、小公爵様とレアエル殿下も同じかと」
「私と殿下が?」
「はい。先ほどのやり取りはまるで兄弟でしたよ」
「……先生がそう言うのなら、殿下から信頼されていると胸を張ってもいいかもしれませんね」
深侑の言葉にエヴァルトは小さく笑って、どこか優しい眼差しで遠くを見つめた。