目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報


※後半トラウマ要素がありますのでご注意ください





 その日の午後の授業は、久しぶりにレアエルの機嫌が悪かった。


「殿下、どうかなさいましたか?」

「いや……」


 莉音は離れまで来たものの緊急会議が入ったので護衛が迎えに来て、レアエルとは顔を合わせずに去っていった。最近は毎日のように莉音が来ていたので、もしかしたらレアエルは寂しいのかもしれない。


「聖女様のお姿がなくて寂しいですか?」

「はぁ? そんなわけあるか。うるさいのがいなくて平和だ」

「平和だと感じている顔には思えないですけどね……」


 窓の外を見ながらぼーっとしているレアエルは、深侑からしてみれば『恋煩い』のようにも見える。莉音はエヴァルトに『押して押して押しまくれ』とアドバイスをしたと言っていたけれど、押しまくっていた人が突然引いたら気になるものだ。


 ただ、莉音の好きな人は『ラヴァ』であってレアエルではない。もしもレアエルが莉音を気に入ったとしても、事実をどう告げるのか、それによって二人の関係は進展するのか、今から深侑の胃はキリキリと痛むようだった。


「ミユは、僕の気持ちをなかったことにしようとしてる?」

「へ?」

「僕はミユのことが好きだって話したはずだけど」


 ぼーっと窓の外を見ていたレアエルがふと深侑のほうを向いて、今までに見たことがないような眼差しに深侑の心臓がどくっと跳ねる。王子だと言っても癇癪が激しい子供と同じだと思っていたけれど、その雰囲気は大人のような落ち着きを見せていた。


「いや、あれは……聖女様を諦めさせるための冗談ですよね?」

「冗談じゃない。僕は確かな意志を持って、ミユのことが好きだって言ったんだ」

「でも、あの……」


 深侑は26歳でレアエルは12歳。子供の戯言だと聞き流したり、大人に冗談を言うのは感心しないと諭すべきだろう。それなのに深侑の口から言葉が上手く出てこなかったのは、彼が『王子』だからだ。


 有無を言わせないほど圧倒的なオーラに、ただの一般人である深侑は気圧された。


「……最近、やたらエヴァルトと近い気がするけど、気のせいじゃないよね?」

「ま、待ってください、殿下」

「あいつがお前に触れる手つきが妖しく見えるのは、お前たちが“そういう関係”だからか?」

「なっ、こ、子供が何を言ってるんですか!」

「確かに僕は子供だ。でも、お前を好いている一人のでもある」

「……っ!」


 突然の出来事に腰が抜けてしまい、深侑はじりじりとソファの上で後ずさるしかなかった。ただ、ソファの上を移動するのも限界がある。すぐに後がなくなり戸惑う深侑を、いつの間にか『ラヴァ』になっていたレアエルが押し倒した。


「こういうことをしたい、好きだ。子供だからと見くびらないでくれ」

「で、殿下!」

「好きだ、ミユ。好きなんだ……僕がお前を抱けば、意識してくれるのか?」

「やめ――っ」


『柊先生って女みたいにナヨっちーのに、やっぱちゃんと男なんだな(笑)』

『萎えるからあんま声出さないでもらえますー?』

『いやいや言ってるわりに、コッチの具合はよくなってきたぞ』


 身動きが取れないように体の上に乗られて腕を押さえつけられ、嫌がる様子を笑いながら好き勝手に体を犯す男の顔を数人、深侑は思い出した。


 教師として初めて赴任した学校で、一学年の副担任を任せられたクラスにある不良生徒が数名いた。教師になったという責任感と新人がゆえの情熱が空回りして、不良生徒たちには目の敵にされていた過去がある。


 それでもめげずに深侑は接していたのだが、ある日の放課後。その当時もう使われていなかった旧校舎の空き教室に閉じ込められ、数人の生徒から暴行を受けた。それから深侑は少しの間休職し、新たに赴任したのがこの世界に来る前に勤めていた学校で、もうすぐ赴任して2年の月日が経とうとしていた。


 記憶に封をして思い出さないようにしていたけれど、トラウマというものはちょっとしたことで思い出してしまう。目の前にいるのがレアエルだと頭の中では理解しているが、突然のことだったので深侑の思考は停止した。


「……ミユ?」

「あ、あ、やめ……ごめんなさ、ごめんなさい……! 先生が悪かった、悪かったからもう許して……っ」

「どうしたんだ、ミユ!」


 カタカタと震え、青ざめた顔でさめざめと泣いている深侑にレアエルは慌てた。深侑はといえば、とにかく謝罪をしてこの『行為』を早く終わらせてもらないといけない、という考えばかりが頭の中を駆け巡り、視界がぐにゃりと歪んできた。


「殿下、先生、遅くなって申し訳ありませんでした」

「レアくん、やっほー!」

「エヴァルト、リオン……!」


 魔法が解けて子供の姿に戻っていたレアエルは、ちょうど離れにやって来たエヴァルトと莉音に泣きついた。自分のせいだと言いながら泣いているレアエルと、ソファに仰向けになったまま「ごめんなさい」と謝罪を繰り返している深侑を見たエヴァルトは瞬時に深侑へ駆け寄った。


「先生、先生! 大丈夫ですか? 私のことが分かりますか?」

「おれが、おれが悪かったから……だからおねがい、いたくしないで……っ」

「ミユ……私はあなたに痛いことなんて絶対にしません。約束するから、今は少し眠ってください」

「うぁ……?」


 泣きじゃくっている深侑の額にエヴァルトが自分の額をこつんと押し付け、目を閉じて呪文を唱えた。すると深侑はスゥッと眠りについて、規則正しい寝息が聞こえてくる。ひとまずこれで安心だとエヴァルトが息を吐くと「僕が、ミユを……」と言いながら青ざめているレアエルの頭を優しく撫でた。


「大丈夫です、殿下。先生の目が覚めたら一緒に謝りましょう」

「僕はもう……ミユの側にいる資格は……」

「みーたんは、目が覚めてレアくんにそんなことを言われるほうが悲しいと思うよ」

「何があったのか分かりませんが、殿下も一度落ち着きましょう。いいですね?」

「エヴァルトさん、あたしがレアくんについてるからみーたんのことお願い。きっと今はエヴァルトさんのお家に連れて帰ってあげたほうが、みーたんも安心すると思うから」


 この状況でレアエルを置いていくのもエヴァルトは気が引けたが、本人が「リオンの言う通りだ……ミユのためにもそうしてあげてくれ……」と言うので、眠りについた深侑はエヴァルトに抱かれてレイモンド公爵家へと帰路についた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?