2年B組の教室に、数学教師の単調な声が響いていた
黒板に書かれた複雑な方程式を見つめる生徒たちの中で、窓際の席に座る楠木摩緒は机に突っ伏して静かに寝息を立てていた
「それでは、この問題を解いてみましょう・・・
教師の声に反応するように、
「はい、先生、えっと・・・」
摩緒は慌てたように黒板を見つめ、少し考えるそぶりを見せてから答えを口にした
教師は満足そうに頷き、授業を続けた
(また騙せた・・・)
摩緒は内心でほくそ笑んだ
実際のところ、彼は完全に眠っていた
周囲の人間には起きているように見える幻想の魔法・・・彼はそれを自分の異能力だと信じている・・・をかけているのだ
この能力のおかげで、彼は一度も居眠りがバレたことがない
チャイムが鳴り、休憩時間になった
摩緒は鞄からライトノベルを取り出し、しおりを挟んだページを開いた
「おい、摩緒!!新刊読んだか?」
振り返ると、同じクラスの岸永が話しかけてきた
彼もまた、摩緒と同じくアニメやマンガを愛するオタク仲間の一人だった
「ああ、昨日買ったばかりだ、まだ途中だけど、今回の展開は熱いな」
「だろ?ヒロインの告白シーンとか、もう最高だった」
二人は熱心に作品について語り合った
摩緒にとって、こうした仲間との会話は学校生活の数少ない楽しみの一つだった
・・・・・
放課後、摩緒は2人の幼馴染と一緒に校門を出た
1人は同じクラスの男子、
もう1人は隣のクラスの女子、
「おい、摩緒」
博輝が突然振り返り、摩緒を見つめた
「今日の数学の授業、寝てただろ?」
摩緒は一瞬ドキッとしたが、すぐに苦笑いを浮かべた
「・・・バレてた?」
「当たり前だ!!!お前の能力、俺には効かないからな」
博輝は得意げに言った
確かに、摩緒の幻想の魔法は博輝にだけは通用しなかった・・・理由は分からないが、幼い頃からそうだった
「また寝てたの?」
佐奈子が驚いたような声を上げた
普段なら学校中の男子が振り返るような美しい声だが、今は心配そうな響きを含んでいた
「摩緒、そんなことしてると勉強に遅れるよ。少ししたら3年生なんだから、受験のことも考えなきゃ」
学年トップクラスの成績を誇る彼女らしい的確な指摘だった
「僕の勝手だろ」
摩緒は素っ気なく返した
佐奈子の心配は分かるが、説教めいた言葉を聞くのは好きではなかった
佐奈子は少し悲しそうな表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった
・・・・・
摩緒が家に着き、二階の自分の部屋に向かうと、ドアが開いていた
中を覗くと、小学五年生の妹、実那が床に座り込んでゲームに夢中になっていた
「おい、
「あ、お兄ちゃん!!おかえり!!!」
実那は振り返ると、にっこりと笑った
「一緒にゲームしよう!対戦しよ!」
「やれやれ・・・」
摩緒は鞄を置くと、妹の隣に座った
ゲームが始まると、摩緒は容赦なく妹を打ち負かした
「うわーん!お兄ちゃんばっかりずるい!」
実那は悔しそうに頬を膨らませた
「ゲームは甘くないんだよ」
摩緒は得意げに言った
「もう一回!今度は絶対勝つから!」
実那は再びコントローラーを握り締めた
そんな時、一階から母親の声が聞こえてきた
「摩緒、実那~~~ごはんができたよ~~~!」
・・・・・
リビングに降りると、仕事から帰ってきた父親がすでに食卓に着いていた
摩緒の父、
「お疲れ様、父さん」
「おう、摩緒!今日も学校はどうだった?」
「まあ、普通だよ」
家族四人で夕食を囲みながら、父親が口を開いた
「摩緒、お前に頼みがあるんだ」
「何?」
「実は、来週に格闘技の決勝戦があるんだ、相手は“お姉系格闘家”として有名な、
庸介は幼い頃から格闘技を続けており、今でも試合に出場している
企業の重役でありながら格闘家でもある父親を、摩緒は密かに誇りに思っていた
「それで、練習に付き合ってもらえないか?」
「僕が練習相手に?」
「ああ。お前の動きは読めないからな。いい練習になる」
摩緒は少し考えてから頷いた
「分かった。お父さんがその有名な格闘家に勝てるなら、僕も協力するよ」
「ありがとう、摩緒」
庸介は嬉しそうに微笑んだ
夕食後、二人は家の裏庭に出た。そこには父親が設置した練習用のマットが敷かれていた
「久しぶりだな摩緒、最近は練習をサボっていたから、体が鈍っているかもしれんぞ」
「そうかもしれない・・・でも、体は覚えているはずだよ」
摩緒は軽く体をほぐしながら答えた
実は彼も幼い頃から父親に格闘技を教わっており、その実力は相当なものだった
ただ、学校では目立たないよう、その力を隠している
「じゃあ、始めるか」
庸介が構えを取った瞬間、その雰囲気が一変した
普段の優しい父親の顔から、戦う格闘家の顔に変わったのだ
摩緒も同じように構えを取る。二人の間に緊張が走った
「いくぞ!」
庸介が踏み込んだ!!!
その速度は見事なもので、長年の経験と鍛え抜かれた肉体から繰り出される攻撃は、まさにプロの格闘家のそれだった
しかし、摩緒はその攻撃を紙一重で避けた
「おっ?」
庸介が驚いた声を上げる
摩緒の動きは以前よりも確実に向上していた
今度は摩緒が攻撃に転じた
低い姿勢から放たれた突きは、庸介の顔の数センチ横を通り抜けた
「やるじゃないか」
庸介は嬉しそうに言った・・・息子の成長を感じ取っていた
二人の攻防は激しさを増していく
庸介の重厚な攻撃に対し、摩緒は軽やかで予測不可能な動きで応戦した
父親の力強いパンチを躱し、隙を突いて反撃する
その動きは流れるように美しく、まるで舞うようだった
「うおおお!」
庸介が渾身の力を込めた拳を放つ
しかし摩緒はそれを見切り、体をひねって避けると同時に、父親の懐に潜り込んだ
「っ!」
庸介は息子の成長に目を見張った
摩緒の拳が自分の鳩尾に向かって迫る
寸前で止まったその拳は、確実に決まっていただろう
「参った」
庸介が両手を上げた
「いや、お父さん、手加減したでしょ?」
摩緒は汗を拭きながら言った
「手加減なんてしていないぞ、お前が強くなったんだ」
庸介は息子の肩を叩いた
「これなら、あの“お姉系格闘家”とも互角に戦えるかもしれん・・・良い練習になったよ」
摩緒は照れたように頭を掻いた
学校では目立たないよう振る舞っているが、実際には父親に匹敵するほどの格闘技の実力を持っていた
それもまた、彼の隠された一面だった・・・
・・・・・
翌朝、摩緒が学校に到着すると、クラスメイトたちが騒めいていた
「おい、聞いたか?」
「担任が急に変わるらしいぞ」
「マジかよ。なんで急に?」
摩緒は教室に入りながら、その話を耳にした
担任の変更・・・それは普通の学校生活では滅多に起こらない出来事だった
(何か起きるのかな・・・)
摩緒は漠然とした不安を感じながら、いつもの窓際の席に座った
新しい担任がどんな人物なのか、そして自分の平凡な日常がどう変わるのか・・・まだ知る由もなかった
しかし、これまで通り授業中に眠ることはできるだろう
摩緒は自分の異能力を信じて、今日もまた机に突っ伏そうとして