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第14話 豹変

 空は、雲一つない青空だった。

 春の暖かさの中で、植物達はその身を、太陽に向かって我先にと伸ばしていく。

 山の方から吹き下ろす冷気を含んだ風が、まだ緑の薄い草の葉をさらさらと揺らす。

 “暁の獅子”の魔術師ルシアの転移魔法によって、街道の分岐点にまで一気に跳躍した、暁の獅子とイェルグの一行。

 そこから更に、彼ら曰く最短経路だという、棘の森を目指して進んでいる最中だった。

 傾き始め、オレンジ色を帯び始めた日の光。

 鼻歌混じりに歩を進めているイェルグとは対照的に、暁の獅子の面々は誰一人、喋りすらしない。

 一種異様な空気の中、重い沈黙に耐えかねたのか、フォズが口を開く。

「なあ、イェルグ。何であんたは、“渡り鳥”なんかになったんだ?」

 瞬間、フォズにリヒターから鋭い視線が向けられる。

 余計な事は言うな。そう物語っている視線を。

 またぶっ飛ばされてぇのか。カスは黙ってろ。

 続けて目が合ったゲレルの瞳は、そのように言いたげな威圧感を放っていた。

「その、“渡り鳥”って呼ばれ方は好きじゃないんだが……そうだな」

 顎に手を当て、少し思案する様子のイェルグ。

「やっぱり、旅が好きだから、だろうな。見たことの無い景色とか、初めて食べる料理とか。そういうのも含めて、旅って楽しいだろう?」

 屈託の無い表情に、フォズは思わず俯いて視線を外してしまう。

「だから今回も、急だったとは言え楽しみなんだよ。初めての場所って、何だかワクワクするじゃないか」

 フォズは、俯かせた顔に苦々しい表情を浮かべた。小さな罪悪感が針のように、彼の心をちくちくと苛む。

(コイツは……)

 フォズの奥歯に、自然と力が入る。

 遠くから、鳥が飛び立った音がした。

(俺達が失くしちまったものを持ってる……)

 握った拳。手の平に、爪が食い込む。

 誰かが蹴飛ばした、砕けた街道の石畳の一部が足元を転がり、草むらの中へと消えていった。

(何で、アイツは気付いてないんだよ。失くしたことにすら気付いてないのか? 俺らだって、昔はもっと違ってたはずなのに……)

 前を歩く硬い靴音。

 フォズは、変わってしまった幼馴染──リヒターの背中を見る。

 数歩踏み出せば、隣に立てる距離。しかしそれは、彼にとっては果てしなく遠かった。

(……今回の件が終わったら、一度、アイツを問い質してみよう。本当に、ずっとこんなことを続けていくつもりなのかって)

 夕日の色を纏い始めた青空が、フォズにはやけに寒々しく感じられた。


 その場所に着いたのは、既に夜も更けた頃だった。

 棘の森の奥、一本の大木を中心に、円形に広がっている開けた草地。

「今日は、ここで野宿するんだよな?」

 背嚢を下ろしながらイェルグは言う。

 返事は無い。

 満天の星。

 何処からか聞こえてくる梟の声。

 地面に置かれたランタンの中で、蝋燭の火が揺らめいている。

「……いや」

 おもむろに、リヒターが口を開いた。

「野宿とか、そんなモンは必要ねぇ。お前には、死んでもらう」

 その言葉の意味を理解出来なかったのか、イェルグは背嚢から取り出した小鍋を持ったまま立ち尽くす。

「冗談…………だよな? 何だよ、そんな怖い顔して……」

 気付けば、イェルグの周りを暁の獅子の面々が取り囲んでいた。

 万が一の反撃に備えてだろう、踏み込めば武器が届く程度の間合いを空けながら。

 ジリジリと。

 蟻が進むよりも遅い速さで、少しずつ距離を詰めていく。

 悪い冗談などではなく、本気で、殺すつもりなのだ。

「……あぁ……」

 イェルグは思わず項垂れた。

 持っていた小鍋が手から離れ、派手な音を立てながら地面に転がる。

「折角だ。最期に言い残したことがあるなら聞いてやるよ」

 リヒターが一歩、イェルグの方へと歩み出る。

 イェルグの気配が妙に薄くなっているのには気が付いているが、大した問題ではないと判断したらしい。

 Bランク程度ならば、どんな行動に出られようが対応出来るという、過信と慢心に溢れた行動。

「まあ、明日の夜には忘れてるかも知れねぇが」

 勝利を確信して疑わない、強者が弱者をいたぶる時のような嗜虐の笑みを浮かべながら。

「……お前達は」

「あン?」

 リヒターの耳に届いたのは、イェルグの声でありながらイェルグのものではないような、抑揚の無い小さな低い声。

 俯いたイェルグの顔を覗き込むリヒター。

「こうやって殺してきたんだな。他の冒険者を」

 イェルグの瞳には、何も“無かった”。

 感情も情動も理性も本能も無い、ただぽっかりと穴が開いているだけの底無しの虚無。

 刹那、リヒターの本能が頭の中で警報を激しく鳴り響かせる。

──コイツは、とんでもなくヤバい!!

「おいッッ! お前ら──」

 リヒターが指示を飛ばすよりも先に動いたのは、イェルグの方だった。

 リヒターの耳に何かが割れるような音が届くと同時に、イェルグの動く気配がした。

 キィィィィィィィン!!

 耳鳴りにも似た甲高い金属音と共に、イェルグを中心にした一帯が強烈な閃光に包まれる。

 無機質な、真っ白い光の洪水。まるで、森を包み込む夜の一部すら喰らい尽くすかのように。

 すっかり闇に目が慣れていた暁の獅子の面々にとって、それは完全に不意打ちだった。

「ぐあっ! 目が……っ!」

 グローの悲鳴。慌てて目を閉じても、焼き付いた光で視界が白い。

「くうぅっ……この、音っ……」

 ヒカリは思わず耳を押さえる。如何に気配に聡いとは言え、視覚と聴覚を封じられれば、それも十全に発揮することは出来ない。

 数分か、数十秒か。

 閃光が収まり、彼らの眩んだ目が再び闇に慣れた時には、そこには誰も居なかった。

 背嚢もランタンも姿を消した中で、地面に転がっている小鍋だけが、イェルグが居た痕跡を物語っている。

 先程までは無かったはずの、割れて黒く変色した石が落ちている。どうやら閃光の魔法が封じられていたらしい。

「くそッッッ!!!」

 両膝を地面に突きながら、リヒターは拳を草地に叩き付けた。

 叩き付けた拳が微かに震えている。

「あのクソ野郎、何か知ってやがる。俺達が今まで何をしたか、知ってやがった」

 瞬間、起こるざわめき。

「おい、ルシア!」

「分かってるわよ」

 僅かに冷静さを取り戻したリヒターが、ルシアに視線を送る。

 ルシアは腰に提げた革袋から宝石を五個取り出すと、上に向けて放り投げた。

「“星辰の光芒は安寧を齎せし壁となりて我らを護らん”……」

 力ある言葉が紡ぎ出された瞬間、魔力による鈍い輝きを纏った宝石が次々と爆ぜていく。

 と同時に、巨大な透明な壁が、星の輝きを反射しながら森の周囲を覆っていくのが見えた。

「これで、日が昇るまでは大丈夫よ。私達なら……それだけあれば余裕よね?」

 場違いに嫣然たる様子で、ルシアは面々を見渡す。

「……ああ。予定は狂っちまったが、やることは普段と変わらねぇ。絶対に、“アレ”を生きて返すんじゃねえぞ」

 血走った目にギラギラとした光を宿しながら、リヒターは声の調子を落としながら言う。

「殺せ。最初に殺った奴が総取りだ」

 暁の獅子のルールを念押ししながら、リヒターは静かに凄む。

 ルシアは嗜虐心を隠すことなく、美しくも残忍な笑みを浮かべていた。

 ヒカリは鋭い殺気を放ちながら、腰に下げた長刀に手を置いている。

 ゲレルは舌打ちしながらも、下卑た笑みを浮かべ頷いた。

 グローは金勘定を想像しながら、少しだけやる気無さげに、リヒターに目を合わせる。

 フォズだけは、目を合わせることも、頷くことも出来なかった。

(もう、止められねえのかよ)

 口に出せない呟きが、誰の耳にも届くことなく夜の空気に溶けていった。


 暁の獅子の遣り取りを、イェルグ──グレイは大木の枝の上から見下ろしていた。

 ランタンには鉄製の外窓が下ろされている。光が漏れていない以上、音を立てない限り見つかることは無い。

──仕事の、時間だ。

 今の彼に、最早イェルグの人格の痕跡を見つけることは出来ない。

 枝に留まりながら、“イェルグ”を探しに森に入っていく暁の獅子の面々を観察するグレイ。

──リヒターとルシア、ゲレルとグロー、そしてヒカリとフォズはそれぞれ別行動、か。

 幹に立て掛けた背嚢からコートを取り出すと、静かに袖を通す。

──やはり、これが一番落ち着く。

 そしてグレイは再び、音も無く地面に降り立つ

──始めるとするか。“契約通りの仕事”を。

 いやに肌寒い風が、森の木々を撫でていく。

 風に揺らされた枝葉が、ザワザワと音を立てた。暁の獅子の“音”を喰らうかのように。

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