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教えられなかった魔術 〜とある家庭教師の独白〜
教えられなかった魔術 〜とある家庭教師の独白〜
シュガーソルト
異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年07月09日
公開日
2,118字
連載中
“天才”を教えられなかった、ひとりの教師の話。

教えられなかった魔術 〜とある家庭教師の独白〜

 私は、家庭教師をしていた。

 ただの家庭教師ではない。魔術を教えていた。


 継ぐ家のない私は、学生時代に努力を重ね、それだけの実力をつけた。

 間違っても名門と呼ぶことはできない家の出で、強いコネクションはなかったが、学院の講師の紹介で、とある子爵家に雇われた。


 最初に教えたのは、仲睦まじい兄妹だった。

 魔術の才能もほぼ同じ——いや、妹の方が少し劣るという、“好ましい”差だった。

 もし逆だったら、家の中で揉め事が起きていたかもしれない。幸運なことに、程よい加減だった。


 そういったこともあって、初めての生徒ながら、私も過度に緊張せず、のびのびと教えられた。

 その結果彼らは優秀に育ち、評判を聞いた他の家からも「我が家で家庭教師を」と声がかかるようになった。

 私は喜んでその誘いを受け、新たな生徒のもとで教鞭をとった。


 そうして歳を重ねるごとに評判は高まり、五十半ばになった頃、軍の名門と呼ばれる伯爵家に招かれた。

 魔術の扱いに長けた一族からの誘いに、高揚した気持ちで応じた。


 長男は、真面目な子だった。

 私の教えを丁寧に受け取り、学べば学ぶほど、いや、それ以上に吸収していった。

 実際に魔術を使わせてみると、他の家とは一線を画すその姿に、血統の力を思い知らされた。


 二つ下の次男もまた、真面目な子だった。

 しかし、長男ほどの才はなかった。

 通常の伯爵家なら「比較的優秀だ」と評価されたはずだが、この家では不出来と見なされた。


 座学は理解している。〈土〉や〈風〉の魔術も「そこそこ」扱える。勤勉でもあった。

 それでも、この家の基準では物足りなかった。

 私はここでも、彼が“次男”で良かったと思った。

 もし長男と次男が反対だったなら、家督を巡る争いが起きていたかもしれない。


 ——問題だったのは、長男の六つ下の三男だ。


 脱走癖があることは聞いていた。そして、天賦の才があることも。

 当時王国で、〈火〉〈水〉〈土〉〈風〉すべての魔術に適性があるのは、彼だけだった。


 彼の父は、まだ六歳の彼を「縛り付けて教えても構わない」と言った。

 流石にそれは、と苦笑したものの、それが必要なほどに彼はよく逃げた。


 とにかくすばしっこい。

 六歳にしては大きな体躯で、ちょこまかと逃げ回り、授業をボイコットする。

 そのうち、兵士を借りて捕まえてもらうようになった。


 しかし、悪い子ではなかった。

「君が来ないと私はクビになってしまうかもしれない」とこぼしてからは、兵士に連れられずとも授業に出るようになった。


 しかし、話は聞くがノートを取らない。

 いや、話もあまり聞いていなかったようだ。

 テストをしても、宿題を出しても、何も書かない。

 たまに何か書いているなと思っても、落書きばかりだった。


「才能があると言われて慢心しているのだな」と考えた私は、少し早いけれど、と実技の授業を行うことにした。

 鼻っ柱を折ってやろうと思ったのだ。


 ……結果として、折られたのは私だったけれど。


「天賦の才」などという言葉では足りない。

 あれは“化け物”だ。


 理論は理解していない。詠唱も覚えていない。

 にもかかわらず、一度見ただけで私の魔術を模倣した。……私以上の威力で、だ。

 〈炎矢〉を見せれば、私の倍の数の〈矢〉を出してみせる。

 〈土〉と〈風〉の複合魔術である〈裂刃れつじん〉を展開し、波紋のように連なる地面の起伏を見せると、私のものより鋭く美しい刃を作った。


 六つ上の長男でさえ、詠唱を用いてようやく使えるようになってきた魔術を、この“化け物”は難なく扱ってしまった。


 本当は私の説明を理解していたのではないか。

 実はしっかりと勉強していたのではないか。


 そう思っていくつか訊いてみたが、「何を訊かれているのかわからない」という顔をした。

 彼はひとつも、私の授業の意味を受け取ってはいなかった。

 けれど魔術だけは、見ただけで真似てしまったのだ。


「優秀な生徒を持った」など、罷り間違っても言えなかった。

「才能を育てられる喜び」など、かけらも感じなかった。


 ただ、恐ろしかった。


 何を見せてもできてしまう彼が。

 見せずとも、「こんなことはできるかい?」と尋ねると放ってしまう彼が。


 私は、逃げ出した。

 ちょうど次男が家を離れ、軍人学校に入る頃だ。

 これからは三男の授業だけになる。

 彼の才能とだけ向き合い続けねばならないと思うと、息が胸に詰まった。恐ろしかった。

 そうして、あの家を去った。


「私には何も教えることができない」


 それだけ伝えて、逃げ出した。


『君が来ないとクビになってしまうよ』——そんなため息混じりの言葉に釣られて、彼は授業に出てくれていた。

 それなのに、私は彼を置いて逃げた。


 そこからは、もう誰にも魔術を教えていない。

 いいや、魔術そのものから離れた。

 有難いことに、そうしても生活できるだけの退職金をいただいたからね。


 ただ、時折思い出す。


 これが最後の授業だと告げたときの、ポカンとした彼の顔を。

 寂しさと悲しさと、何か痛みを耐えるような、十歳にしては大きく——けれど幼い、“少年”の顔を。


 たまに、考えるんだ。

 私は私を諦めていた。でも彼は、私を諦めていなかったのではないか、と。


 もしもあのとき、他の子に教えるのと同じように彼に寄り添えていたら――。


 なんて今更、考えても仕方のないことだけれど。

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