手を引かれて走らせる澪は、息切れをしていた。そんな中、「おまえ体力は!?」と叫びながら問われる
「任せてください万年ビリです」
「おっそ!!もおっ……」
堂々と答える澪の返答に呆れながら、相手は文句を言う。心なしか舌打ちが聞こえた気がした。
次の瞬間、澪の体は浮く。荷物のように抱えられていた。
「わぁーー!はっやい!すごい!まるで私、風のようですね!」
「風どころか……重りなんだよおまえはッ!!」
走りながら容赦なく放たれる罵声。相手の腕に抱えられ、澪の視界には迫り来る追手が綺麗に見えている。恐怖心が勝るはずの場面。それなのに、スノはこの状況に興奮していた。
「え、私って……風じゃなかったんです?それにしても、見てください。あの走ってくる方々。こんな映画のアクションシーンみたいな逃走劇、経験したことありませんよ!ドラマチックー!」
「しゃべんな気が散る!!」
相手の顔は怒りで引きつっているが、その目は鋭く前方を見据えている。いくつもの角を曲がり、物陰に隠れ、敵の足音を遠ざけながら移動をした。
そして、ふいに狭い通路の奥、シャッターの隙間へと滑り込む。
「……ふぅ。ったく、厄介なもん拾っちまった……」
壁に背を預け、肩で息をする相手は澪を下ろす。
「いやー、ありがとうございます。……私、飛べましたね……ふわっと。ふわふわっと。魔法でしたねぇ」
「おまえな……」
さすがに呆れたように頭を抱える相手。だがその手は、ほんの少しだけ澪の頭に触れた。
「……次やったら、置いてくからな。マジで」
「イエッサー。でも、その時は……また拾ってくださいね?」
にこっと、無邪気に笑う澪の顔を見て、相手は眉をひそめた。
「……ありえねぇ。もう今すぐにでもおまえを俺の記憶からデリートしたいわ」
相手の声は低く、不機嫌そのもの。だけどその目は、一瞬だけ、優しさを孕んだ。
しかし澪は、そんなことより今はこの波瀾万丈展開をどうするのか、それがワクワクしていた。最初に怖い人に手を掴まれた時は、本物のヤ◯ザ?と思っていたが、こんなにも怒涛の展開を前にして、この現状がファンタジー的な感覚に陥る。
「あの、これはどこのドラマの撮影です?極道もののドラマ?映画ですか?」
澪は、全てフィクションだと思っていた。
「……あ?」
ピタリと沈黙が落ちる。澪は本気で言っている。どこをどう見たらこれがドラマの撮影に見えるのか。そんな表情を見せる相手は数秒の間を置いて、唱えた。
「……おまえ、頭打ったか?」
呆れと本気の心配が入り混じった声。相手は澪の額に手を当て、熱を確認するような仕草をする。
「……ちょっと熱ある?」
「えっ、それってトキメキ熱じゃないですか?ほら、窮地の中のメロドラマ的なあれ。そんな乙女ゲーヒロインみたいなドキドキがここに?」
「いやバカだろ」
ズバァッと言い切る。相手の顔には「こいつやばい」という文字が浮かんでいた。
「でも、本当にすごいクオリティ……役者さんもリアルで……特にあなた、演技力高いですもんねぇ?」
「……演技? 本気だっつってんだろ」
「え?パードゥン?」
「だから、撮影じゃねぇ。これが現実だ。おまえ今、命が何個あっても足りねぇ場所にいるんだよ」
イラつきつつも、澪の呑気さが逆に相手の緊張を和らげていた。しかし、気や緩めすぎてはならない。だからこその、このやり取りである。
「無事におまえが、家に帰れるかどうか。俺の手にかかってんだよ。今からそれ、ちゃんと頭に刻んどけ」
じっと澪を見つめる。その眼差しは真剣で、まるで戦場に生きる人間の、それだった。
「おまえ、今日ここで死んでてもおかしくなかったんだ。……わかってんのか?」
そこには演技でも冗談でもない、ただの“現実”があった。
「俺に拾われたこと、運が良かったと思っとけよ」
低い声音、それでいて伸びてくる手は澪の額へと近づく。そして、突如額に走る鈍い痛み。
「っ……痛いです」
「あいつらに捕まったら痛いじゃすまねぇよ、ばぁーか」
口角を上げて、笑う相手。その表情が今までとは違い、幼く見えて澪は胸がキュンとなる。
「そーいや、おまえ名前は?」
「……澪」
「澪ね、俺は
「しんじろう……しんじろう……」
澪は真次郎の名前を復唱する。そして唐突に閃いたとばかりに顔をあげた。
「わかりました。あなたは、ジロですね!ありがとうございます、ジロ!」
ニコニコと能天気なまま、澪は真次郎に尋ねる。
「で?この後はどんでん返しですか?ジロ。バズーカがセオリーですかね?どこでアイテムゲットします?」
「……“ジロ”?」
目を細めて、じっと澪を見る。明らかに名前を聞き間違えたか、いや、意図的につけたあだ名か。どっちにしろ、妙な空気が流れる。
「おまえ、俺の名前、もう忘れたの?」
無表情でそう言いながらも、真次郎のこめかみがピクリと動いた。
「えっ?忘れてませんよ?真次郎、で“ジロ”!完璧な変換です!愛着湧くし、呼びやすいし。キャッチー!ほら、芸名っぽくて素敵ですって」
「……勝手にあだ名つけんな」
低くぼやいたが、澪の真っ直ぐな笑顔を前に言葉を飲み込む。そして、今後こいつに何を言っても多分こうだと、真次郎はうっすら察する。
「……それで、バズーカってなんだよ。アイテム? ここはゲームじゃねぇ。魔王もラスボスもいねぇ。いるのは──“人間”だけだ」
真次郎の声がわずかに低くなる。そこにいるのは、命のやりとりを当たり前のようにこなしてきた男の顔だった。
「いいか、澪。今から“どんでん返し”があるとすりゃ、それは──俺が死ぬか、敵が死ぬかだ」
静かに、しかし確かな言葉。澪が夢見てきた“非日常”は、現実の底を覗かせ始める。
「その能天気な顔、ずっとしてられると思うなよ。俺の世界に足突っ込んだ以上、おまえも──選ばされる」
真次郎の言葉には優しさは一欠けらもなかった。でも、その瞳には“置いていかない”という決意だけが宿っていた。
「……覚悟、しとけ。“ジロ”って呼んだの、後悔すんなよ」
なんだか、妙な展開に澪はようやく目をパチクリさせてうーんと唸る。
「シリアス……シリアスシーンは男女の恋仲がぐっと縮まるって法則が……でも、ジロと私は出会ったばかりですし。いや、それが逆に燃え上がる??」
またしても澪は呑気なまま、けれど敵はまってはくれない。足音は聞こえてくる。
「ジロ、後悔はしませんが……一つだけ」
澪の目は、真剣。
「ジロって、とっても……叫びやすいですよね?」
「……は?」
敵の足音が近づいてきているというのに、澪の口から出てくるのはまさかの“叫びやすさ”評価。真次郎は思わず振り向きざまに澪を睨みつけた。
「なに基準で名付けてんだよおまえ……!」
そう言いながらも、肩越しに敵の影がちらつき始め、真次郎の表情は一瞬で切り替わる。ピリついた空気の中、手にした銃をカチリと構える。
「いいか、ジロだかなんだか知らねぇけど……今から絶対、声出すな。俺の後ろから、ぜってぇ離れるな。いいな?」
凄む声、鋭い目。それでも──澪は、変わらない。
「……え、でもジロー!って叫んだら、すぐ駆けつけてくれそうで、なんか安心感ありますよね?」
「バカかおまえは!!!」
抑えた声量で最大級のツッコミが炸裂。だがその直後に──
パンッ!パンッ!!
銃声。ついに交戦の火蓋が切って落とされた。真次郎は澪を背中に隠しつつ、走り出す。
「……いいか、澪。今の発言、俺の命と引き換えにチャラになったと思え!」
「え、いやです。そんな大事にしないでください。むしろプラスに!レッツゴーポジティブ!」
叫びながらも走る澪。今にも撃ち落とされそうな状況でも、二人はなぜか妙に息が合っていた。
こうして、「ジロ」と「澪」の出会いは、血煙と銃弾の中から始まった──。
────
──手を伸ばせば、
現実が遠ざかっていく気がした。
でも、手を引いてくれる誰かがいるなら、
どんな夢でも、走っていける気がした。
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