「ゾラック、女装するんだ! その輝かしいミルクティー色の肌を変える時が来たぞ」
グエンは部屋に舞い戻るなり、クローゼットに駆け寄った。そのまま、あらとあらゆる布を掻き分けて女物の服を引っ張り出す。
「毎日皿洗いばかりさせて悪かったな。食い扶持を稼ごうぜ! 人間に化けて、俺の助手らしくなってくれ!」
グエンが真っ赤なイブニングドレスをほおるとゾラックは心底嫌そうな顔で受け取った。
「このドレスは控えめに言っても最低」
「まずは肌だ」
グエンはゾラックを無視して着色用ナノマシンのボトルを振ってみせた。元々は人間用だが、人造人間の着色にも有効だ。
「一言忠告しておくと、人造人間への生物学的な非公式の改造は条例違反です」
「ご存知だよ人造人間くん。そのいかにも人造人間でございという白髪も駄目だ。ブロンドでもブルネットでもホットアーバンでも好きなように染めろ。ただし赤毛は駄目だ。俺とかぶる」
「ご存知だと思いますが、私は自分の機体に不利益になる身体的改造を倫理野からの警告で行うことができません。どうして私の髪が白いのかお忘れなく」
確か、電磁波による体内組織への電波干渉を抑えるためだ。だが、今ではそんな問題もとっくに解決して、誰もが人造人間たちの髪を人間そっくりに染め上げ反人造人間主義者から大いに反感を買っている。
「ご存知だよ人造人間くん。ちょっとこっち来い」
グエンはしぶしぶといった様子のゾラックの腕を引っ張り上げ、手首にあるメンテナンス用循環液注入口からナノマシンを注入した。
人造人間の体表を循環するメンテナンスと体温調整溶液に着色マシンが注入され、皮下組織に定着していく。人造人間特有のつやのない人工的な濃いベージュが、血色を帯びた桃色が広がっていく。
ゾラックの後頭部を下げて首筋から毛髪用彩色ナノマシンを入れた。真っ白な髪が根元から徐々に黒く染まっていった。
ゾラックは身動ぎしながら自分の機体を疑り深くなで上げた。非合法薬剤の効果をグエンほど信用していないのだろう。
最後に人間用カラーコンタクトレンズをゾラックの瞳に装着すると、人造人間の身体的特徴が消え去り、女とも少年ともいえない人間らしきものができあがった 。
グエンはクローゼットを掻き分けて、ストッキングと靴を取り出した。二年前に買った、深いスリットの入ったドレスにぴったりと合うものだ。
「おい、君のブラはどこいった?」
「わたしの下着はあなたが適当に洗濯機に入れて洗浄したため、形が崩れてしまいました」
ゾラックが悲しげにため息を付いて、グエンの脇からよれよれになったブラジャーを引っ張り出した。
買った時は思わずニヤリとしたくなるほどセクシーだった真っ赤なバラ模様のレース付きブラジャーが、いまでは張りのないレースの塊となっている。
グエンはあっけにとられて、ブラジャーを突付いた。
「ちくしょう。いくらしたと思ってるんだ?」
「デリケートに扱わなきゃいけないんですよ。女性も女性の下着も」
「軍ではブラの洗い方まで習わなかったけどな。脱がし方は必修だったけど。さて、カップになんでもいいから詰込んで、ゴージャスな女になってくれ。依頼人の男が必要経費より、君の胸元に釘付けになるくらいにな。今度金が入ったら、もっとセクシーなものを買ってやるから」
「声はどうしますか? ナンバー五四、別名『下品な娼婦風』?」
ゾラックが合成音声のチューニングをしながら呟いた。これも非合法な人造人間の改造だ。
「いつもの、セクシーな女で頼む」
「これがセクシーとは……救いがたい、救いがたい……あ、あー。どうです?」
「いいね、似合うぜ」
「どちらの口紅が似合うと思います? 私に言わせてもらえば、どちらも流行おくれのコーラルですが」
グエンはゾラックの手元を一瞥した。
グエンに言わせてもらえば、どちらもピンクだった。
「どっちでもいいだろ」
ゾラックが口を開くのをグエンは慌ててさえぎった。
「右が似合う」
「私としては春の新色のピンクベージュが欲しいと思っているのですが」
ゾラックが首をふると部屋の中央にぱっと女のアップが映し出された。
小指サイズの口紅を黄金のように掲げ、金髪の女がにっこりと微笑んでいる。
「なるほど、ピンクの唇をしている」
「素敵です」
「君の手に持っている口紅の色とそっくりだ」
「そうでしょうか? シアンが足りないような気がします」
「さっさとつけるかどうかしてくれ」
グエンは一式を着込んだゾラックを満足気に見下ろした。真っ赤なドレスからつやのある足が伸び、摩訶不思議な作用によって、零れ落ちそうな胸元が強調されている。
少々、手入れが足りていない髪型が妙にセクシーだ。
「人造人間の服飾センスは、オーナーの性的願望に似るって論文が発表されたのをご存知ですか?」
「そいつは初耳だ、人造人間くん」
グエンは呟くように言うと、自分の服をひっぱりだして軍仕込みの速さで着替えた。
*
薄暗い部屋には、キャンドルから発せられる濃密な蝋の香りが漂っていた。
五メートル四方の個室は顧客と向き合うには最適な広さで、扉を閉めることで完璧な密室となる。
表向きの『食堂』は、けばけばしく飾り立てられた、安っぽいレストランだ。何も知らずに、この店に来た客は、料理のあまりのまずさに二度と来る気をなくすだろう。
この『食堂』が提供するは、最高級の料理ではない。グエン達にとって、食事より価値のあるもの。完璧な密室だ。
グエンは個室に足を踏み入れると、すぐに小型の盗聴探査機をとりだして部屋をゆっくりと回った。何もなかった。電波も、ネットも完璧に遮断されている。
壁に埋め込まれた防電波フィルムによって、電子的盗聴の心配が一切ない。
ゾラックは部屋に入るなり眉をしかめてそわそわとあたりを見渡した。この部屋に足を踏み入れた人造人間の典型的な仕草だ。人造人間は電波がすべて吸収され、外界探査が視界のみの状態になると、手足が縛られたようにムズムズするらしい。
「クラクラとします」
「ぶっ倒れるなよ」
「色っぽく倒れるのでご心配なく。女優風体勢制御運動パターン四十七を採用するつもりです」
ゾラックが顎をあげ、澄まして返す。南部なまりの女らしい声にグエンはにやりとした。
人造人間製作者は女装願望のある変態野郎だ。グエンは毎度感じる確信を深めた。
「黙って俺の後ろにたってくれよ、助手君」
ゾラックはセクシーに鼻をならすと、ハイヒールをこつこつと音を立てて彼の後ろにたった。
「こんばんは」
ふいに響いた少女の声にグエンはギョッとして振り向いた。
分厚い扉を重そうに手をかけた、女の子が立っていた。目には不安そうな光を湛えて部屋を見回している。
十二、三歳。光沢の深緑色のドレスを着て、頬にかかるように前時代的なレース付きの帽子をちょこんと乗せている。
少女が首をかしげて室内を見渡すと、耳の上でまとめたお団子からもれた黒髪がレースと共にふわりと揺れた。
くそっ、この街の条例はどうなっているんだ? どう考えてもこんな子供がここに足を踏み入れるのは非合法だ。
先に状況を理解したのはゾラックのほうだった。
「ここは特別室ですよ、お嬢さん。入る部屋を間違っているわ」
少女はハッと息を飲むと、強張っていた口元を少しだけゆるませた。
「間違っていないと思うわ」
なんだって? グエンが口を開く前に、少女が爆弾を落とした。
「こんばんは、あなたが殺し屋さんね」