グエンはポーカーフェイスを貼り付けたまま、猛烈に脳細胞を回転させていた。
どうしてこうなった? ではなく、なぜ? だ。
俺の目の前に少女が座っている。絵本から抜け出したような人形のような子供だった。
髪と同じ色の瞳には重たげなまつげがかかり、頬骨に影を落としている。部屋の薄暗さの中でも陶器のような肌にそばかす一つない。
そばかすがない? そんなまさか。
グエンは注意深く少女を見つめて、思わず思い浮かべた悪態を飲み込んだ。
なんてこった! サイボーグだ。このお嬢ちゃんはサイボーグだ。ちくしょう生身の人間よりたちが悪い。
グエンの依頼人がサイボーグであることは珍しくない。金持ちはたいてい仲介者をはさむし、殺し屋との生身の体で接したい人間は多くないだろう。ただ、その場合どの人間も大柄の男性型を好んで使用していた。将来自分の敵になる可能性がある人間に、か弱い姿を見せてはいけない。これは人生の原則だ。そして、殺し屋相手の屈強な人物像に少女型は入っていなかった。
導き出される結論は、依頼人である彼女または彼が、好き好んで少女型のサイボーグに入り込む筋金入りの変態だと言うだけだ。
少女が身動ぎし、バラの香りが漂った。グエンはぞっとして身を引いた。
ただの変態だけでなく、女物の香水だかシャンプーをつける変態だ。
待てよ、グエンドリン。お前は依頼人を選り好みできる立場か?
グエンは素早く息を吐くと、お得意の状況把握能力に感謝した。
たしかにその通り。
この依頼を受けないと、次に金がはいるのが、いつになるかわからない。例え、ゾラックの部品を取り出して売り飛ばすのも空腹では無理だ。
人は殺し屋に頼む高額な手数料を見ると、ひょっとすると自分で手を下したほうがはるかに安上がりかも、と思い始めるものだ。その代償が一生を左右するほど馬鹿高くなるものだとも気付かずに。
少女は居心地が悪そうに身動ぎした。
「あの……わたしの依頼を受けてくれるの?」
グエンはひょいと眉を上げ、続きを促した。
「つまり、あなたは殺し屋さんでしょう?」
少女が息を吸い、はっきりと宣言した。
「お金ならあるわ」
「先に自分の手札を見せるなってパパに言われなかったのかい? お譲ちゃん」
少女は体を強張らせ、テーブルの上で手の指を絡めた。ふいに肌があわ立ち、思わずグエンは首筋を撫でた。
なんだ? 嫌な感じがする。
少女は明らかにホッとした様子で手首に付けられた飾りリボンをいじっている。
「良かった。口がきけないのかと思った。ああ、誤解しないで、聾の人間が人殺しに向かないと言っているんじゃないのよ。つまり、あなたがわたしの事を胡散臭い小娘だと思っていたとしても、プロらしくわたしの支払った金額分の仕事をしてくれるかってこと。そのためにはお互いのコミュニケーション、いえ交渉が必要不可欠でしょう? だから会話ってやつをしなくちゃいけないし、わたしは手話が――」
「なるほど。失礼しました。お嬢さん」
グエンは慌てて続きを遮った。
彼女の中身は絶対に軍役のない生物学的女だ。これは間違いない。べらべらと際限なく喋り捲るのが完璧な証拠だ。
「そろそろ本題に入ったほうがいい」
俺のたっぷりある自制心が尽きる前に。
「ある人物を探し出して殺して欲しいの」
グエンは頷いて先を促した。
「続けてるのは構わないけど、あなたがわたしの依頼を受けてくれるってことでいいのよね? わたしはべらべら喋ったおかげで、これ以上がけっぷちに立ちたくないのよ」
疑り深い依頼人だ。しかも、口数が多い。
グエンは思わず天井を見上げて助けを求めた。いつだってそうだったが、なにもおきなかった。
「率直に話をすると俺は君の依頼を受ける」
俺には選択肢はないってことだ。つまり、金がない。
少女が頷いた。軽くうねるの髪がろうそくに照らされてほのかに上気している顔にかかる。
「わかったわ。実は三年前からある女の子が命を狙われているの」
少女は一旦間をおいてグエンをじっと見つめた。
自分の爆弾発言がグエンに及ぼしている影響を伺っているようだ。だが、グエンは眉一つ動かさなかった。
女の子が殺されかけてることは、まぁその、よくある類いの話だ。
「セクシーな殺し屋助手役は中止。後に下がって、聡明そうな顔をしろ」
グエンが後ろ手で素早くハンドサインを行うと、ゾラックが一歩後に下がった音が聞こえた。
「三年前……三年前から三回不幸な事故にあったの。一度目は銃で撃たれたけど一命を取り留めた。それから百二十四日後に事故にあった。車にひき逃げされたのよ。そして、四十日前にもまた撃たれた。幸い生きているけどね」
鞄から一枚の写真を取り出して、机にふせたままグエンに差し出した。
彼女はじっと息を止め両指を絡めていた。
グエンは眉をしかめて目の前の光景を見つめていた。
なにか、この少女はおかしい所がある。既視感。馴染みのある仕草、まるでどこかで会ったことがあるようだ。こういった勘は大事にすべきだ。
グエンは目の前の写真に一瞥くれて、少女に視線を戻した。
「女の子を殺そうとしている人間を探し出して殺すのか?」
少女は頷いた。さきほどまでは上気していた顔がわずかに青ざめている。
「そう。彼女を幾度も殺そうとした、黒幕ってやつがいるはずよ。狙うのはそいつ」
「今までの事件が事故ではない可能性は?」
「完璧に証明できると約束するわ」
「その女の子の名前は?」
少女が助けを求めるように天を仰いだ。詰襟から、華奢な白い首が見える。その瞬間、全てのピースが完璧に収まった。
もやがかかった空想が一つにまとまっていく。
この女を俺は知っている!
グエンは手の震えを悟られないうちに、すばやく目の前の写真を裏返した。
ふんわりとしたガウンを羽織った、見慣れた顔の少女がにっこりと微笑んでいる。
「彼女の名前はサギリア・ローガンよ」
写真の中の少女――今は黒い髪をした少女型サイボーク、サギリア・ローガンがはっきりと言った。
四週間前にグエンが撃ち殺した少女だった。