その夜、高橋美紀は待ちきれない様子で遥菜に電話をかけてきた。
ふたりはLINEで話したばかりなのに、それでも物足りなくて、長電話を始める。
美紀は興奮気味に尋ねた。
「ちょっと!陽向くんってすごいじゃない?彼の仕事運、占ってあげたことある?」
彼女は遥菜の陰陽道の力を信じてやまない熱烈なファンだ。
遥菜はくすりと笑って答えた。
「もちろん。コンフォートゾーンから一歩踏み出して、新しいことに挑戦すれば、キャリアはどんどん上昇するわ。その過程で、助けてくれる人にも必ず出会うはず。」
「助けてくれる人って……もしかして佐藤雄治?」
美紀が推測する。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。本当の意味での恩人は、まだはっきり現れてないみたい。」
遥菜は話題を変える。
「それより、住所送ってね。」
「あっ!うっかりしてた!」
美紀はおでこをぽんと叩く。
「すぐに送る!」
ピロン
遥菜はスマホを覗き、送られてきた住所を見た――「靄の館」。
見覚えがある。
彼女は白鳥美桜に以前無理やり渡されたパーティーの招待状を取り出す。
住所がまったく同じだ。どうりで見覚えがあるはずだ。ここは横浜でも最高級のホテル。美紀は裕福な家の娘、叔父も東京の名家の重鎮、ここに滞在していても不思議じゃない。しかも、部屋は同じ建物の上下階だった。
遥菜は思わず苦笑しながら、その偶然を美紀に伝えた。
翌日
遥菜は美紀に半ば強引にショッピングに連れ出され、新しいワンピースを買い、メイクルームでフルメイクまで施された。
「ねえ美紀、私ってあなたの叔父さんを占いに行くんでしょ?それともお見合い?」
遥菜は呆れ顔。
この大袈裟さ、知らない人が見たらデートか何かと勘違いしそうだ。
美紀は大きな瞳をぱちくりさせた。
「いや、叔父さんってちょっと変わり者なのよ!あなたは時給百万ももらうんだから、ちゃんといい印象を残さなきゃ!」
何か企んでいる表情に、遥菜は見逃されなかった。
遥菜は眉を上げる。
「まあ、言われてみれば……」
「はいはい、急ごう!今日は最高に可愛いよ!」
美紀は遥菜の腕を取って嬉しそうに歩き出す。今日こそ叔父を夢中にさせて、ついでに下の階の九条光司に見せつけて、後悔させてやるんだから!
美紀は心の中でそんな計算を巡らせていたが、顔には出さなかった。親友の性格はよく知っている。遥菜は一度決めたら絶対に振り返らない。
ふたりは腕を組んで「靄の館」へと入った。
7階のパーティー会場
美桜は青ざめた顔で光司に寄りかかり、同級生たちの心配にか細く咳をしながら応じていた。
「大丈夫、ちょっとした擦り傷よ……」
「美桜、今度こそ本気みたいだな!九条さん、ちゃんと大事にしないと、美桜はあなたのために……」
「そういえば、美桜の後ろにいた偽物令嬢は?今日は来てないの?」
「田舎に帰ったって聞いたよ?今どんな格好か見てみたいもんだね。」
「どうせ、どこにいても美桜の腰巾着でしょ。情けないったらないね。」
皆が遥菜のことを好き勝手にけなすのを聞き、光司はなぜか不快感を覚えた。
彼は突然立ち上がる。
「ちょっとタバコ吸ってくる。」
そう言って美桜をそっと押しのけ、無表情で部屋を出た。
その背中を、周囲は妙な目で見送った。
騒がしい部屋を離れた九条は、ようやく大きく息をついた。ふと脳裏に、遥菜のさまざまな姿が次々と浮かぶ――無邪気な顔、冷静な表情、微笑んだ時、怒った時……まるで走馬灯のように。
自分は、あの頃の遥菜に追いかけられていた日々を懐かしく思い始めている……?
ふと、視線の先に見覚えのあるふたりの姿が、少し離れたエレベーターへと入っていくのが見えた。
黒のキャミソールワンピースにヒール、ふわりとしたウェーブヘア――それが美紀。
では、その隣にいる淡いピンクのワンピースに黒髪をなめらかに垂らした、すらりとした後ろ姿は遥菜?
その背中は驚くほど美しく、どこか冷たさを含んだ新鮮な魅力を放っていた。細いウエスト、歩くたびに揺れるスカート。まるで別人のようだ。
かつて遥菜のことを「地味でつまらない、Tシャツとジーンズばかり」と思っていた自分は、あれこれ言ってしまった。美桜は面白くて、彼を喜ばせるのが上手だった……
でも今、エレベーターにいる遥菜は、綺麗な顔だけがあって、ファッションできない女?地味?
エレベーターのドアが閉まりかけている。
光司は衝動的に駆け出し、ドアが閉まる直前に腕を差し込んでブレーキをかけた!
「叔父さん、今回の出張たぶん一ヶ月くらいで……」
美紀の話は、突然こじ開けられたドアの音で遮られる。
ふたりが同時に振り返る。
黒のスーツ姿の九条がエレベーターの前に立ち、中の遥菜を見た瞬間、その目に驚きと信じられないほどの感動が走った!
今まで見たこともないほど輝いている!その冷たく澄んだ雰囲気は、美桜よりもはるかに美しく、彼の心臓が激しく高鳴る。
だが――
「クズ男!どきなさい!」
美紀は素早くバッグから防犯スプレーを取り出し、光司の顔めがけて容赦なく噴射した!
シューッ!
辛辣なスプレーが光司の顔に直撃!
「うわっ!」
光司は悲鳴をあげ、目を押さえて後ずさる。
美紀はすかさず閉ボタンを連打!
光司の罵声を無視し、エレベーターのドアは素早く閉まった。
遥菜は美紀の鮮やかな手際に思わずいいねした。
「見事だったわ。」
美紀は得意げにスプレーを振ってみせる。
「遥菜もこれ持ち歩いた方がいいよ、防犯防犯!」
遥菜は静かに微笑む。
「私には必要ないわ。」
療養所で過ごした三年間で、護身術くらいはしっかり身につけている。
エレベーターは静かに上昇していく。
ピン――
最上階でドアが開くと、美紀は遥菜を連れて廊下の奥の重厚なドアの前に立つ。
「着いたよ、ここ。」
美紀は深呼吸して、久瀬直史の部屋のドアをノックした。
中から足音が近づく。
ギイ――
重いドアがゆっくりと開かれた。