陽葵はまた蒼空が来たのだと思い込み、ドアを開けながら勢いよく言い放った。
「ちょっと、あんたまた——」
……あれ?
「成宮さん。」
成宮嵐はグレーのルームウェア姿で、片手にラーメンのどんぶり、もう一方の手に保温ポットを持っていた。
口元にほんのり微笑みを浮かべて、
「一条さん、もしかして、タイミング悪かったかな?」
その優しい眼差しと絶妙な距離感の微笑み。冷たすぎず、親しすぎず。廊下の柔らかな照明が彼を一層引き立てていた。
陽葵はぼんやりしていた頭を切り替えた。
「いえいえ、ちょうどよかったです。」
成宮嵐はラーメンとポットを差し出し、
「一条さん、まだ食事していないでしょう?ラーメンとスープを作ってきました。」
まさか、しばらく姿が見えなかったのはラーメンとスープを作っていたからだとは。
しかし、洗濯を頼んでいたはずの服は?持ってこなかったの?
「服は……?」
「もう洗っておきましたよ。」
陽葵は彼の目を見つめると、またその瞳の奥のきらめきに引き込まれてしまう。
部屋着に着替えていて、リラックスした雰囲気なのに、完璧な顔立ちのせいか、どこかおしゃれな感じがする。
つい見惚れてしまい、陽葵は少し恥ずかしそうに言った。
「服を汚してしまったのに、逆にラーメンまで作っていただいて……本当に、申し訳ないです。」
うつむいたまま、頬が赤く染まる。
成宮嵐がその言葉を聞いて、逆に優しい言葉をかける。
「こちらこそ、急に現れて驚かせてごめんね。」
陽葵は、ずっとラーメンやポットを持たせたままだったことに気づき、慌てて手を伸ばすが、嵐はそれを避けた。
「熱いので、テーブルに置きますね。」
陽葵は内心、また迷惑をかけてしまったと自分を責める。
「私がやります。もう十分ご迷惑をおかけしているので。」
「気にしないでください。」
陽葵は身を引いて成宮を部屋に招き入れる。
嵐はラーメンと保温ポットをテーブルに置くと、長居せずすぐに部屋を出た。
その際、振り返って陽葵に言う。
「これからも、よろしくお願いします。」
成宮嵐が去った後、陽葵はラーメンを見つめたままぼんやりしていた。
頭の中は成宮さんのことでいっぱい。明日は何かお返しをしなきゃ。
隣室604号室。
花澤啓は床に寝転び、ゲームをしながらジャンクフードを食べていた。
成宮嵐が戻ると、顔も上げずに鼻で笑う。
「屋敷を持ってるくせに、こんなボロいとこに来て、わざわざ誰かのためにラーメン作ったりスープ煮たりするなんて。」
花澤啓と成宮嵐は幼いころからの付き合い。親より、彼といる時間のほうが長いくらいだ。
成宮嵐、この少し冷たい成宮家の跡取りは、昔から“王子”と呼ばれてきた。
名門の家柄、IQ180、18歳でハーバード大学の博士号をダブル取得。
19歳で成宮グループに入り、たちまち数百億の契約をまとめ、20歳でグループを継いで事業を世界規模に広げた。
22歳にして、成宮嵐の名は成功そのものの象徴となった。
今や25歳、莫大な資産を持ち、誰もが憧れる存在。
気品があり、優雅で、だが孤独を好む。
そんな彼が誰かのために料理をするなんて、啓は初めて見た。
部屋の隣の女性が妻なのかと勘違いしそうになるが——いや、仮に妻でも、ここまで優しくはしないだろう。
どんな女性なのか、興味津々だった。
本当はさっき一緒に見に行きたかったが、嵐に止められた。
嵐が隠せば隠すほど、ますます気になる。
部屋にはお気に入りの歌が流れ出す。
「本当にこの曲聴かないと眠れないなんて、そろそろ医者に診てもらったほうがいいんじゃない?それ、絶対に心の問題だぞ。」
数分後、花澤啓は真っ暗な夜の中、閉まったドアの前に立っていた。
自分は誰?ここはどこ?部屋にいたはずなのに、気づけば外に出されていた。
ああ、嵐に引きずり出されたのか。
まったく、冷たいヤツだ。
こっそりと603号室をうかがい、「いっそドアをノックしてみようか……」と考える。
そんな時、スマホがピッと鳴り、警告のようなメッセージが。
「はいはい。見ないから。どうせ、一生隠しておくつもりだろ!」
翌朝、陽葵は嵐へのお返しを買いに出かけ、花屋で桔梗の花を二束購入。一束は嵐に、もう一束は自宅の花瓶用に。
ゆっくり帰る途中、高級そうな車が通りかかる。
車が横を通り過ぎた瞬間、窓ガラスに陽葵の姿が映る。そのガラス越しに、車内にいた嵐の真剣なまなざしが、まるで一瞬、陽葵の視線と交差したかのようだった。
陽葵は車を見送り、家へ。
604号室のドアをノックするが、返事はない。
もう出かけてしまったのだろうか?今日は渡せそうにない。
家に戻り、軽く食事を済ませ、スープを飲んでベッドに横になる。スマホを眺めて気を紛らわせ、腹痛を忘れようとする。
松下恵美がA国に戻ってからも、連絡は続いていた。
午前十時、また恵美からメッセージ。
なんと、男を紹介するという!
陽葵は飛び起きて、すぐ返信。
「それは遠慮しとくから!」
「あなたの働いてる店に行かせるからね。決まり!」
陽葵はベッドに倒れ込み、内心で大きくため息。
恵美が心配してくれる気持ちはありがたい。
でも、まだ次の恋なんて考えたくないのに。
腹痛のため、配信は四日間休むとアナウンスした。
配信は休めるが、仕事は休めない。
薬を飲んで気合いで出勤、バスに揺られて「アンジェルナンバー3」へ。
夏の強い日差しと暑さの中、急ぎ足で店のドアを開けると、冷たい空気が心地よい。
いつもならこの時間はみんな準備をしているのに、今日は静か。
奥に進むと、みんなが集まって盛り上がっていた。
キーボード担当の渡辺が長い髪をまとめて、スツールに座りながら興奮気味に話している。
「この目でしっかり見たんだよ、あの子、また来てた!」
ダンサーの黒崎が首をかしげる。
「誰だっけ?」
「ほら、成宮が現れると必ず一緒に現れる、ちょっとボーッとしてる子!」
黒崎が手を打つ。
「ああ、思い出した!あんなに長く追いかけて、まだ成宮を落とせてないのに諦めないなんて、すごい根性だね。」