今日はいつもにも増してうるさい、と思っていたら、隣を歩く彼女からすれば今日も昨日もあるはずがなく、あれが毎日行われている光景なのだろうかと言いたげな顔をしていた。二人が通っている高校の、正門にあたる場所の正面を陣取るようにして、車体の上にスピーカーを取り付けたボックスカーが停車している。車種には詳しくないものの、いかつい顔面のようなボンネットとフロントガラスがいかにも好戦的だ。その車の前に立っている男女含めて十人前後の彼らはといえば、真っ白い横断幕のようなものを両手に全員で持っていて、さっきから真ん中に立っている男の声がスピーカーから響いていた。ほとんど近所迷惑、悪くて騒音問題になりそうなほどにがなりたてては、ひび割れた音声が空気を震わせている。
「あれってようするに、市民団体、とかいうものですよね?」彼女の呟きは、珍しいものを見た、という感じだった。確かに、普通に生活を営もうとしている分には、ああいう手合いとはとんと無縁なのが日本という国である。
「あんまりじろじろ見ないほうがいいよ。難癖つけられるから」彼女を見て、そうしてからちらりと横断幕のほうを一瞥して、前を向いた。隣の少女があれを楽しんでみているとは思わなかったけれど、嫌気よりも好奇心のほうが強いというのはやっぱり、彼女がまだまだ自分がこれから通おうとしている学校の事や彼らの事をろくに知らないからなのだろうな、とは感じていた。通いだすにつれて次第に慣れてくれば今度は鬱陶しさが際立って、最後には諦観じみた気持ちでどうでもよくなってくるのだけれど、今日転校してきたばかりの彼女――工藤悠里(くどうゆうり)にとって、それがいつになるのかはさすがに分からない。
「「能力者の力を正しい方向に。無法の始まりである自由を阻止しろ!」って、書いてますね」と彼女が言うのは、さっきちらりと見た横断幕にでかでかと書かれている言葉だ。どうでもいい事を読むような口調だった。言葉の真の意味を理解しているのかいないのかと考えれば、おそらくはしていないほうだ。
「前を向いて歩かないと危ないよ、工藤さん」
「悠里でいいですよ」首を動かして悠里はこっちを見遣り、頷いた。「向こうじゃずっと、そう呼ばれていましたし。私も、宮野君って呼ぶよりは智和って呼ぶほうが親しみがあっていいと思うんです」
「まあ、そうだけど」親しみ以前に詰め過ぎている距離に居心地が悪くなりはしないか、とも思う。けれど話題が横断幕からずれたのは幸いだったので、智和はこのまま話を続けることにした。「あんまり初対面で名前を呼び合うっていうのは慣れてないというか、この国ではあんまりない習慣だから、」非常に目立つだろう。クラスメイトの中にはすでに、転校生である工藤悠里との距離を縮めたいと思っている人間が何人もいるから、名前で呼び合った日にはその日の太陽が沈みきる前に尾ひれも背びれもついた噂が学校中を駆け巡る事だろう、とたやすく想像できてしまう。
容貌はいたって日本人のそれなのだけれど、帰国子女であるらしい彼女にはそのあたりの微妙さがいまいち分からないようだった。
歯切れの悪い言葉に悠里は首を傾げた。きょとんとした表情は同年代というよりも幼く見える。「先生は、宮野君と仲良くしなさいって言ってましたけど?」
そもそもそこから間違っているんだ、と智和は素直な心中で感情的に反論したかったけれど、もう一人の当事者である彼女自身がいかにもなんとも思っていない様子なので、息をそっと落とすのみに終始して理論的に説明しようと口を開いた。「それは僕が生徒会長で、君が僕のクラスに転校してきた生徒だからで。しかも同じ寮生活をすることになってて、とりあえず、役職についている僕にでも任せておけば安全なんじゃないだろうかっていう、先生達の判断なんだと思うよ」
生徒会長である、というのは根拠の後押しかもしれないが、同じ寮生であるから任された、というのは実のところいい線を行っているのではないか、と思う。
ここ一ヶ月ほど前から寮と学校の周辺、通学路となっている駅の近くでたびたび殺傷事件が発生している。ニュースにも取り上げられたが、今まではさほど普通だった殺しの手口がここ数日間でひどい状況になりつつある、というのを智和はテレビや新聞ではなく、学校に訪れた警察官から教えられた。暗に「だから君も気をつけて」と気遣われているのではなく、「犯人に心当たりがあれば教えてほしい」と言いたげな口調で分かりやすい事件の詳細を滑らかな口先で話した刑事の顔は不愉快な苛立ちと一緒に覚えていた。
警察に疑われている、この状況を「慣れている」と表現するのも腹立たしいけれど、この国にやってきてしばらく、そうしてこの町に来たばかりで、叫び散らせば正義になると思っているような市民団体もしげしげと眺めているような彼女が、何か――市民団体とは限らずに悪意を持つ誰かに不用意に近づいてしまう危険性を考えれば、多少は分別のついている人間が傍にいたほうがいいのは当然の話だった。生徒会長という立ち位置は存外こんな時に、「生徒を守るために」と分かりやすい大義名分のもとで使われる。
「普通は同性のほうが気が合いやすいと思うんだけど、適任者がいなかったんだろうな」学校の特色上、寮生は比較的多いほうだろうが。同じく特色上というべきか、一癖ふた癖ある生徒らが多いのでうまく理由をつけて頼める相手というのはあまりいない。
「宮野君は迷惑でしたか?」少し申し訳なさそうに悠里が顔をしかめた。「そういえば先生と話をしている時も、あんまり」
「あれは恩田先生が僕の言うことをちっとも聞いてくれないから声を荒げただけで、別に迷惑だとかは全然思ってないから」君のせいではない、と首を横に振る。「君だって学校に通うんだから、女の子の友達を作りたいとか思うだろう? そういう事を先生にちゃんと言おうとしたのに、あの人は茶化すだけ茶化してどこかに行ってしまったから」おそらくは煙草を吸いに屋上にでも、というところなのだろうが、推測できてもいちいちそこまで追いかけて反論する気力はなかった。隣に、同じように恩田教師に呼び出されて職員室にやってきていた悠里がいた手前もある。こっちが心底善意でやっている事でも、さすがに逃げられたのを追いかけてまで、転校したての悠里の世話を他の女子生徒に頼むようにいうのは、常識や節度を通り越したところで悠里に変な誤解を与えてしまうのではないのか、と心配もあった。
別に悠里のことが嫌いなのではない。というよりも、好き嫌いを判然としていえるほど以前からの知り合いでないのだから当たり前だ。
どちらかといえば、ふたりを放課後呼び出した恩田教師の、「お前、同じクラスなんだし。生徒会長だし、同じ寮生だから。か弱い女子生徒一人ぐらいちゃんと面倒見てやれ」茶化しているのは明白すぎるにもかかわらず有無を言わせぬ口調の後でにやりと口元を緩ませて、「まあ、いいじゃないか。工藤って案外美人だから、こんなふたり一緒にいるのを教師に公認されるなんてラッキーは滅多に起きないと思うよ 俺は」非常勤教師、という立場をすっかり忘れてしまっている近所のおじさんが冷やかしてくるような口調で言ってきたことに対する、過剰反応みたいなものだと智和は思う。
「友達、ですか?」きょとんと悠里が目を丸くする。
「別に僕と一緒にいるのが悪いってわけじゃないんだ。ただ、最初から、男子生徒と一緒にいるとあんまり女の子の友達とか、出来にくいような気がして」言ってからなんとなく居た堪れない気持ちになって、続けるつもりのなかった言葉を続ける。慌てて弁解するような、そんな声になっていた。「いや、出来にくいって言ってもどうにかなるとは思うんだけど、でもやっぱり、第一印象とかって大事だと思うんだ」転校してきばかりの工藤悠里に何を不安めいたことばかり言ってるんだ、と冷静沈着に脳の一部分が嘆息をしている。
丸くなったままの悠里の目が智和のほうに向いていた。何も言わないながらも怪訝そうな眼差しではっきりと尋ねられているような気持ちになる。
何が言いたいんですか? と質問された心地で、智和は応えた。「友達は大事だと思うよ。やっぱり、僕達みたいな人間でも、……というか僕達みたいな人間だからこそ、理解しあえる人って大事だと思うんだ。一生の宝物になるって思うんだよ」なるのではなく、しなければならないのだ、とも思う。
背中を殴るようにしていまだに、がなりたてられるスピーカーの音声が響いていた。大音量での、両耳を手で塞いだところで小さな隙間からでも入り込んできては、体のどこかにある心に一本の細い針を突き刺していくかのような、言葉の暴力だった。お前達は一般市民とは共存できない。共存してはいけない。隔離され管理されるべき存在だ。どんなに綺麗に着飾った言葉を選びすぐっても、 彼らの主張したい言葉は簡潔にまとめてしまえる。どこまでも明確で厳格な線引きを彼らは求めている。世間でいうところの一般人である大部分の代表者を気取る彼らから、智和達、いわば能力者を徹底的に隔離する政策だろう。
歩き続け、その分だけ遠ざかっていっても、追いかけてくるスピーカーの大音量からはなかなか逃げ出せない。かといって走り出すのも、小走りに歩調を速めてしまうのも、やましい事は全部こっちにあるのだと認めるような敗北感があって。結局出来ることといえば、無表情を決め込んで、大音量をただの雑音ぐらいに思い込んで、彼らのほうへ目を向けないことぐらいだった。学校側としては生徒の精神的な苦痛になっていると市民団体に抗議をいれているそうだが、まったく取り合ってもらえなかったらしい。市民団体側からすれば学校こそ悪の権化で、さっさと廃校なりなんなりをすべきだ、という論調の記事を読んだことがあった。
市民団体のような、彼らのような一般人が稀であるのは分かっている。でも、彼らの支離滅裂な主義主張には言いようのない不気味さが付きまとっているのも確かだった。暴論を正論と履き間違えているのはいつものこととして、公然と叫んでは彼ら自身がその言葉そのものに酔いしれているとさえ思う。