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第2話 千歳、屋敷を買う。

帰り道。


マンションの前で、女神がふと立ち止まった。


「む……この気配は?」


「え?」


「同居人がいるのだったな。どのような人物か?」


「ふんわり系。私と違って法学部出身で、歴史ゲームが好き。朝から“敵将、討ち取ったり~!”って叫んでる」


「ならば……最初から頭を下げたほうがよさそうじゃな。討ち取られてはたまらぬからのう」


──ちなみに、彼女が徒歩でついてこなかった理由は「靴が割れたら大変だから」だそうだ。


……そりゃあ、ガラスの靴なんか履いてたらね。


「そういえば、主の名を聞いておらなんだ。我はリィナ。リィナ様で構わぬぞ」


「リィナね。私は片桐千歳かたぎりちとせ


「小娘に呼び捨てにされ、タメ口で話される神……悲しみ……」


玄関を開けると、キッチンから声が飛んできた。


「佳苗、いるー?」


「いますよー。お昼、簡単でいいですか……って、え、女神様連れてきたんですか?」


キッチンから顔を出した佳苗が、ぱちくりと瞬いた。


その瞬間、リィナはすっと膝をつき、深く頭を下げる。


「どうか、我にご慈悲を……!」


「なんか公園でホームレスになってたから拾ってきた。しばらく住まわせていい?」


「構いませんよ。ただし――働かざる者、食うべからず! です」


「かしこまりました。我、押し入れでも構いませぬゆえ……!」


こうして、女神リィナの居候生活が始まった。


私は就活説明会のパンフレットを手に取りながら、ぽつりとつぶやく。


「……ほんと、就活がんばらないと」


「この世界では、“お金”が必要なんじゃろう? 働けば手に入るのか?」


「まあ、学生のうちはバイトでもいいけど、卒業したらそうもいかないしね」


「見たところ、募集というものに応募し、試験に合格すればよいのじゃな?」


「そう。でもそれが難しいのよ。何社出しても全然通らないし」


「ならば、募集する側になればよいのでは?」


「……つまり、起業ってやつね。資金もスキルもやりたいことも、全部ないけど?」


「では我も、働かねばならぬのか……」


「言ったでしょ。“働かざる者、食うべからず”って」


「じゃが我には“マイナンバー”というものがない。資格もない。信託なら得意じゃが……。なので、神社を建ててくれぬか? 我、賽銭箱の前に立っておるだけで働けるぞ!」


「いや、無理に決まってるでしょ」


◆ ◆ ◆


翌日。


大学の講義を終えて佳苗と駅へ向かうと、校門の前でリィナが仁王立ちしていた。


「待っておったぞ。この先は怪しい者は入ってはいけないと言われたゆえな!」


(あー……また浮いてるし!)


銀髪に天使の輪、背中の羽。貸したコートと靴じゃ、とてもカバーしきれない。


「良い土地と建物を見つけた。そなたらに契約してもらいたいのじゃ」


「……買う気ないけど?」


「見れば気が変わるやもしれぬ」


押し切られる形で、私と佳苗はリィナについて行くことになった。


地下鉄で数駅、バスを乗り継ぎ、さらに徒歩。


「ここじゃ!」


「……でっかい家ってのはわかる。けど、どう見ても廃墟じゃん」


「しばらく放置しておるからの」


「……で、おいくら万円?」


「なんと土地建物、全部込みで三百円じゃ」


「やっす!! ってか、逆に怖いって。絶対なんかあるでしょ」


「事故物件どころか、壊滅物件じゃな。なんでも――幽霊が逃げ出すレベルの死神が棲んでおるとか」


「もうその説明だけで無理なんだけど! 帰ろ?」


「まあ、見るだけでもどうじゃ?」


リィナがドアを開けると――


「こんにちは」


中には、黒ローブに大鎌という全力ホラー仕様の死神が、トレイを持って立っていた。しかも妙に丁寧な口調。


私は無言でドアを閉めた。


「めっちゃ怖いんだけど!!」


「不動産屋いわく、固定資産税が無駄に高くて困っておるゆえ、誰かに押しつけたいそうじゃ。霊媒師も役に立たなかったらしい」


そりゃそうだ。


「どうじゃ? この屋敷を“会社”というものにすれば、我も働けるし、そなたらも就職活動が終わる。良いことづくめじゃろ?」


「良いことひとつもないよ!? 死神付きオフィスって、誰が通うの!?」


「仕方ないのぅ……」


リィナが再びドアを開けると、死神が麦茶らしき飲み物を三つ載せて浮いていた。


「お茶でも、いかがですか?」


「……気の利く死神じゃろ?」


「いや、そういう問題じゃないの。まずその大鎌を置こう?」


「うるさいのぅ。死神や。姿を変えられぬか? このようなキャラがこの世界では人気があるそうじゃ」


リィナはアニメ雑誌を取り出し、該当ページを見せた。


「……わかりました」


煙がぽふっと立ち上り、現れたのは――中学生くらいの、かわいらしい少女。


だが、ローブはそのまま、大鎌も健在。


「これで文句はないじゃろ?」


「あるよ! 大鎌!! あと、こいつ浮いてる!!」


「うるさいのぅ」


そこで、それまで黙っていた佳苗がぽつりとつぶやく。


「でも、なんか……フレンドリーな死神さんですね?」


「そういえば。命とられるって感じじゃないし」


「今のご時世、そんなことをしたら除霊されてしまいますから。それより共存共栄の方が、夜も安心して眠れます。……ですが、どうしても逃げられてしまうんです」


死神は、ぽつりとつぶやいた。


「……名前も、まだないんです」


その一言に、私と佳苗は思わず顔を見合わせた。


「かわいそうな死神じゃ」


「かわいそうな死神さんなのです」


「……わかったよ。買えばいいんでしょ? でも会社なんて、どう経営すればいいのよ?」


「それはこの屋敷を掃除しながら考えるのです」


◆ ◆ ◆


不動産屋に物件を買うと伝えたら、向こうは涙ぐんで何度も頭を下げ、逆に手数料を負担してくれた。引っ越し金に家電までプレゼント。


「不動産屋さん、よっぽど困ってたのです。私は……あんなに喜ぶ死神を初めて見ましたよ」


「しかも、名前つけてくれって言われたし」


「でもヨミってそのままなのです」


「突然言われても思いつくわけないでしょ?」


──こうして、死神が守護するボロ屋敷に住むことになった私たち三人であった。


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