帰り道。
マンションの前で、女神がふと立ち止まった。
「む……この気配は?」
「え?」
「同居人がいるのだったな。どのような人物か?」
「ふんわり系。私と違って法学部出身で、歴史ゲームが好き。朝から“敵将、討ち取ったり~!”って叫んでる」
「ならば……最初から頭を下げたほうがよさそうじゃな。討ち取られてはたまらぬからのう」
──ちなみに、彼女が徒歩でついてこなかった理由は「靴が割れたら大変だから」だそうだ。
……そりゃあ、ガラスの靴なんか履いてたらね。
「そういえば、主の名を聞いておらなんだ。我はリィナ。リィナ様で構わぬぞ」
「リィナね。私は
「小娘に呼び捨てにされ、タメ口で話される神……悲しみ……」
玄関を開けると、キッチンから声が飛んできた。
「佳苗、いるー?」
「いますよー。お昼、簡単でいいですか……って、え、女神様連れてきたんですか?」
キッチンから顔を出した佳苗が、ぱちくりと瞬いた。
その瞬間、リィナはすっと膝をつき、深く頭を下げる。
「どうか、我にご慈悲を……!」
「なんか公園でホームレスになってたから拾ってきた。しばらく住まわせていい?」
「構いませんよ。ただし――働かざる者、食うべからず! です」
「かしこまりました。我、押し入れでも構いませぬゆえ……!」
こうして、女神リィナの居候生活が始まった。
私は就活説明会のパンフレットを手に取りながら、ぽつりとつぶやく。
「……ほんと、就活がんばらないと」
「この世界では、“お金”が必要なんじゃろう? 働けば手に入るのか?」
「まあ、学生のうちはバイトでもいいけど、卒業したらそうもいかないしね」
「見たところ、募集というものに応募し、試験に合格すればよいのじゃな?」
「そう。でもそれが難しいのよ。何社出しても全然通らないし」
「ならば、募集する側になればよいのでは?」
「……つまり、起業ってやつね。資金もスキルもやりたいことも、全部ないけど?」
「では我も、働かねばならぬのか……」
「言ったでしょ。“働かざる者、食うべからず”って」
「じゃが我には“マイナンバー”というものがない。資格もない。信託なら得意じゃが……。なので、神社を建ててくれぬか? 我、賽銭箱の前に立っておるだけで働けるぞ!」
「いや、無理に決まってるでしょ」
◆ ◆ ◆
翌日。
大学の講義を終えて佳苗と駅へ向かうと、校門の前でリィナが仁王立ちしていた。
「待っておったぞ。この先は怪しい者は入ってはいけないと言われたゆえな!」
(あー……また浮いてるし!)
銀髪に天使の輪、背中の羽。貸したコートと靴じゃ、とてもカバーしきれない。
「良い土地と建物を見つけた。そなたらに契約してもらいたいのじゃ」
「……買う気ないけど?」
「見れば気が変わるやもしれぬ」
押し切られる形で、私と佳苗はリィナについて行くことになった。
地下鉄で数駅、バスを乗り継ぎ、さらに徒歩。
「ここじゃ!」
「……でっかい家ってのはわかる。けど、どう見ても廃墟じゃん」
「しばらく放置しておるからの」
「……で、おいくら万円?」
「なんと土地建物、全部込みで三百円じゃ」
「やっす!! ってか、逆に怖いって。絶対なんかあるでしょ」
「事故物件どころか、壊滅物件じゃな。なんでも――幽霊が逃げ出すレベルの死神が棲んでおるとか」
「もうその説明だけで無理なんだけど! 帰ろ?」
「まあ、見るだけでもどうじゃ?」
リィナがドアを開けると――
「こんにちは」
中には、黒ローブに大鎌という全力ホラー仕様の死神が、トレイを持って立っていた。しかも妙に丁寧な口調。
私は無言でドアを閉めた。
「めっちゃ怖いんだけど!!」
「不動産屋いわく、固定資産税が無駄に高くて困っておるゆえ、誰かに押しつけたいそうじゃ。霊媒師も役に立たなかったらしい」
そりゃそうだ。
「どうじゃ? この屋敷を“会社”というものにすれば、我も働けるし、そなたらも就職活動が終わる。良いことづくめじゃろ?」
「良いことひとつもないよ!? 死神付きオフィスって、誰が通うの!?」
「仕方ないのぅ……」
リィナが再びドアを開けると、死神が麦茶らしき飲み物を三つ載せて浮いていた。
「お茶でも、いかがですか?」
「……気の利く死神じゃろ?」
「いや、そういう問題じゃないの。まずその大鎌を置こう?」
「うるさいのぅ。死神や。姿を変えられぬか? このようなキャラがこの世界では人気があるそうじゃ」
リィナはアニメ雑誌を取り出し、該当ページを見せた。
「……わかりました」
煙がぽふっと立ち上り、現れたのは――中学生くらいの、かわいらしい少女。
だが、ローブはそのまま、大鎌も健在。
「これで文句はないじゃろ?」
「あるよ! 大鎌!! あと、こいつ浮いてる!!」
「うるさいのぅ」
そこで、それまで黙っていた佳苗がぽつりとつぶやく。
「でも、なんか……フレンドリーな死神さんですね?」
「そういえば。命とられるって感じじゃないし」
「今のご時世、そんなことをしたら除霊されてしまいますから。それより共存共栄の方が、夜も安心して眠れます。……ですが、どうしても逃げられてしまうんです」
死神は、ぽつりとつぶやいた。
「……名前も、まだないんです」
その一言に、私と佳苗は思わず顔を見合わせた。
「かわいそうな死神じゃ」
「かわいそうな死神さんなのです」
「……わかったよ。買えばいいんでしょ? でも会社なんて、どう経営すればいいのよ?」
「それはこの屋敷を掃除しながら考えるのです」
◆ ◆ ◆
不動産屋に物件を買うと伝えたら、向こうは涙ぐんで何度も頭を下げ、逆に手数料を負担してくれた。引っ越し金に家電までプレゼント。
「不動産屋さん、よっぽど困ってたのです。私は……あんなに喜ぶ死神を初めて見ましたよ」
「しかも、名前つけてくれって言われたし」
「でもヨミってそのままなのです」
「突然言われても思いつくわけないでしょ?」
──こうして、死神が守護するボロ屋敷に住むことになった私たち三人であった。