高橋慎也の視線が小林玲奈を通り過ぎる時、明らかに一瞬止まった。すぐにそらしたが。
玲奈はその反応に少し驚き、今日の自分の服装を見下ろして、声を潜めて尋ねた。「…似合わない?」
鈴木悠斗は彼女を見もせず、淡々と答えた。「まあな」
玲奈の口元がかすかに歪んだ。その態度は、はっきりと「似合ってない」と言っているも同然だった。
彼女は伊藤幸太の方を向いた。「本当にダメ?」
伊藤幸太はすぐに首を振った。「とんでもない!すごく似合ってるよ」そして悠斗の方を顎でしゃくりながら言った。「鈴木様、よく見てくださいよ。今日の玲奈さん、すごく綺麗です」
悠斗は思わず顔を上げた。
玲奈はオーダーメイドのシャンユンサー(香雲紗)チャイナドレスを着ていた。裾は足首の上で絶妙な長さに止まり、白く細い足首を見せている。普段は細身に見える彼女が、今はまた違う色気を漂わせていた。特にそのくびれは、悠斗が思うに、片手で掴めるほど細い。
玲奈は落ち着いた様子で彼の視線を受け止め、ふと彼の耳の付け根が赤くなっていることに気づいた。「鈴木悠斗、耳が赤くなってるよ?」
悠斗は思わず耳に手を触れた。指先に熱を感じて、やや気まずそうに軽く咳払いをした。「…行こう。そろそろ始まる」
一方、大口幸作はオークション会場の入口で、何度もスマートフォンの銀行アプリを確認していた。オークション開始間近なのに、口座残高は微動だにしない。焦りが募る。騙されたのか? 高橋慎也に直接電話をかけた。「金はどうした?」
「何を急ぐ?」慎也の声が、なんと背後から聞こえた。
大口が振り返ると、携帯を手にした彼が近づいてくるのが見えた。
大口は電話を切り、駆け寄った。「どうして来たんだ?」
「オークションに参加だ」慎也は簡潔に言い、そのまま中へと歩き出した。
大口は慌てて後を追った。「誰に宝石を買うんだ? まさか君の“小彼女”じゃないだろうな?」
慎也の表情が曇った。「何が“小彼女”だ。余計なことを言うな」
大口は一瞬呆けたが、すぐに合点がいった様子で、慎也に近づき声を潜め、からかうように言った。「まさか、玲奈さんに買って、取り戻すつもりか?」
慎也は唇を結んで黙った。
大口はひとりで喋り続けた。「俺が言うのも何だけど、玲奈さんは本当にいいよ。彼女と結婚しても悪くないさ。すごく気が利くし、何より料理が絶品だ。君たちが喧嘩してから、俺はもうご馳走にありつけてないんだからな」
「結婚」という言葉を聞いて、慎也の瞼が微かに上がった。小林玲奈と結婚するなんて、彼は考えたこともなかった。高橋夫人が言う通り、彼らの世界では結婚は家柄がものをいう。玲奈は自分には釣り合わない。だが今、その考えがひっそりと頭をもたげていた。彼女を家に迎えるのも悪くない。家の力は頼りにならなくとも、毎日帰宅した時に温かい料理が待っていて、三度の食事が用意されていれば、それで十分なのかもしれない。
「玲奈さんだ!」大口の声が彼の思考を遮った。
「誰が?」
「玲奈さんだよ!ほら、あそこ!」
慎也が指し示す方向を見ると、確かに小林玲奈と伊藤幸太が並んで立っていた。幸太が何か言うと、玲奈がほんのりと笑った。慎也の顔色が一気に険しくなった。冷たい表情で近づこうとしたその時、満面の笑みを浮かべた中年男性に呼び止められた。「高橋様、ご無沙汰しております!」
慎也は眉をひそめ、一瞬苛立ちの色を瞳に浮かべた。相手が取引先であるため、表向きの礼儀を保ち、手短に挨拶を交わす。相手が去るのを見届けて改めて見ると、玲奈の姿はもうなかった。
「どこだ?」慎也は会場を見渡した。
「前に座ってるよ。オークションが始まるから、急ごう」大口は彼を引っ張り、予約された席へと急いだ。
オークションが始まった。玲奈は伊藤幸太の隣に座っていた。主催者である鈴木悠斗は同席せず、開会の準備で離れていた。幸太が玲奈に近づき、小声で言った。「玲奈、何か欲しい物があったら言ってくれ。今日はたくさん出品されるから、宝石だけじゃないんだぞ」
玲奈は首を振った。彼女はただのつき合いで来ただけで、欲しい物は何もなかった。
幸太は軽く彼女の額をコツンと叩いた。「遠慮するなよ」
「本当に欲しい物はないの」玲奈は諦め混じりにため息をついた。その言葉が終わるか終わらないか、背中に何か棘を感じた。思わず振り返ると、高橋慎也が投げかける視線にまともにぶつかった。彼女は一瞬呆け、思わず眉をひそめた。オークションにまで彼が来るなんて。
ちょうどその時、スピーカーから鈴木悠斗の低い声が流れてきた。玲奈は視線を戻し、ステージに向けた。壇上に立つ人物の姿を捉えた瞬間、心臓が軽く跳ねた。彼女は昔から顔フェチだった。そうでなければ、あの頃、小さな子犬のように悠斗の後を付いて回ったりはしなかった。
「玲さん、どうだい?俺の鈴木様、かっこいいだろ?」幸太が冗談めかして言った。
玲奈はさりげなく視線を戻し、そっけなく答えた。「まあね」
幸太は低く笑った。「そんな逸物が玲奈の目には『まあね』か?もっと良いヤツを知ってるってことか?」
「冗談じゃない、そんなことないわ」
「まだ俺の鈴木様、好きなのか?手伝ってやるよ」
玲奈は口元を歪め、嫌そうに彼を一瞥した。「営業の幅を仲人にまで広げたのか?」
「もちろんさ、妹の幸せは俺の務めだ」
「いいわよ、遠慮する」何をどうしろってのよ、あの人もう結婚してるんだから。
「鈴木様は結構気が弱い方なんだ。好きなら攻めろよ、ビビんなよ」幸太はしつこくけしかけた。
玲奈は彼の騒がしさにイライラし、声を張り上げてしまった。「誰が好きだなんて言ったの?私は好きじゃない!」
その言葉が終わると同時に、背後の空気が一瞬で凍りついたような気がした。振り返ると、鈴木悠斗の深くて読み取りにくい眼差しがまっすぐに飛んできた。彼女は気後れして首をすくめた。いつ降りてきたんだ?さっきまで壇上で話してたじゃない。
悠斗は一言も発せず、彼女の隣の空席に座った。空気が急に張り詰めた。絶対に聞かれた。だから怒っている?悠斗は冷たい表情で彼女を一瞥し、薄ら怒りを帯びた目をしていた。
好きじゃないだって?悠斗は腹立たしさで、完全に彼女を無視することにした。
玲奈が何か言って空気を和らげるべきか迷っていると、壇上からオークショニアの田中氏の声が響いた。「次にご紹介するのは不動産物件、『桜華荘ローズガーデン』です。開始価格は五百万円。スクリーンをご覧ください」
スクリーンに別荘の映像が流れた。見慣れた風景が次々と映し出されるのを見て、玲奈の瞳が大きく見開かれた。
あれは彼女が十八歳の時、父が成人の祝いにくれたものだった。庭園に色とりどりのバラが植えられていたことから、後に彼女はそれを『ローズガーデン』と名付けたのだった。