「──一度、座って深呼吸しましょう。大丈夫ですからね」
優しげな女性自衛官が差し出してくれた紙コップには、ほんのり甘いスポーツドリンクが注がれていた。
庁舎からの脱出から、ここに運ばれるまでの記憶が飛び飛びになっていて、私はとにかく息を整えるので精一杯だった。
連れていかれたテントの中は想像よりずっと、現実的だった。
簡易ベッドが二つ、折りたたみの机に並ぶモニターと雑多な資料。隅では自衛隊員らしき男たちが交代で食事をとっている。私はその中の一角、警察と自衛隊の合同対策本部のようなスペースで、白い毛布をかけられて事情聴取を受けていた。
「ではこの動画を再生します。……この声が聞こえていた、と?」
「はい……あの、嘘とかじゃなくて、本当に……」
私は震える手でスマホを差し出した。そこには、しんじゅと名乗った少女と私のやり取りが録画された動画が再生されていた。液晶越しの彼女は相変わらず妖艶で、でも気だるげなまなざしで、まるで最初からすべてを知っていたかのような顔で喋っている。
再生が終わった頃には、対応していたスーツの男と女性自衛官が沈黙していた。
「こっちにも、同じような報告が……いくつか来ています」
その言葉を聞いて、私は思わずサブスマホに手を伸ばした。情報の海に潜るのは、もはや習慣のようなものだ。だが、開いたSNSには想定外の爆弾が待ち構えていた。
──#鹿児島の忍びが覚醒した件
──#しんじゅ様美人すぎて画面越しでも拝みたい
──#鹿児島市の忍者はこの人→
……画面の中央に、見覚えのありすぎる自分の顔。さっきの動画が編集されて、画面上にはぼんやりと浮かぶしんじゅの姿と、神器を受け取る私の姿がはっきり映っている。モザイクはかかっているものの、髪色や服装、声でバレないはずがなかった。
「……ま、待って。これ、明日から普通に暮らせるわけないじゃん……!!」
思わずスマホを伏せた私は、完全に顔面蒼白だった。テントの外にでも逃げ出したいくらいの気分だったが、その時ふと、視線を感じて顔を上げた。
さっきのやり取りを静かに見ていたらしい。
一人目は、ガタイのいい短髪の男。私よりも少し年上くらいで、腕の筋肉が無駄に発達している。
着ているTシャツに“予備自衛官”のマークが小さく入っていた。
眉間に皺を寄せながら、じっと私を見ている。
二人目は、スーツ姿の細身の眼鏡男子。
端正な顔立ちに、冷静そうな口元。手にはタブレットを持っていて、指先で何かを高速で入力していた。
たぶん……IT系? それとも公務員? ちょっと読めない。
三人目は、明らかに学生だった。
私が座っている簡易ベンチの向かいにひょいっと座り、
「やー、あんた動画回してたとかマジでナイスっすわ〜。僕も回しとけばよかった……絶対バズったよヒーローになれたのにぃ〜」
と、ヘラッと笑いながら言ってきた。
「……は?」
「え、いや、ほんとに。あの動画もう10万超えてるし、ワンチャンスポンサーつくでしょ? いやー、先越されたな〜」
「えっと……あなたたちは……」
「同じだよ。土地神に呼ばれた、覚醒者」
眼鏡の男がぼそっと言った。
「……!」
「俺たちも、それぞれ別のタイミングで能力を得た。場所もバラバラだったけど、ダンジョンの発生から一斉に“目覚め”が始まったらしい」
自衛隊の男が静かにうなずいた。
「キミも……覚醒者?」
「え、あ、うん……そう、らしい……けど……」
「やっぱりな」と笑ったのはメガネの男。
「ここで会えたのも縁ってやつだ。俺は神園奏真。こっちは黒木志朗、そしてそっちは山下悠真。……俺たちも、土地神に選ばれた覚醒者だ」
「え、あ、え……!?」
理解が追いつかない私をよそに、学生風の山下くんがぴょんと前に出てきて言った。
「いや~!マジでヒーロー!すごいよ!自撮りしてるとこ、バズってたし!くそ~、俺も撮っとけばよかったぁ~~っ!」
「いやいや!煽ってる?二度も言わなくていいからね!あれ勝手に撮られただけだし!」
「だよね~、でもかっこよかったよ?あの神様、しんじゅ様?超キレイだったし!」
私は頭を抱えた。顔から火が出そう。こっちは隠密スキルで頑張って逃げてきたってのに、全世界に顔出しで“鹿児島市の忍び”としてバズってるとか、笑えないにもほどがある。
「……まさか、みんなも……?」
「うん。俺は冠嶽らいこうに選ばれて、剣聖の加護を受けた」
黒木が静かに頷いた。
「俺は蒲生くもから、結界剣士としての力を」
神園が眼鏡の奥の目でじっと私を見る。
「で、俺は有明いなりから、炎の双槍士に!」
山下が胸を張るように言った。
どうやら、みんなそれぞれ鹿児島の土地神に選ばれて、覚醒したらしい。
「……なんか、もう、すごいね……現実って……」
私はため息をついた。が、その胸の奥でふつふつと何かが灯るのを感じた。
――あ~空が青いぜ此畜生。
こうして、四人の覚醒者は、初めて肩を並べた。
陽葵にとって人生で最も忘れられない日になったのは言うまでもない。