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第6話 は・つ・た・い・け・ん

鹿児島市庁舎へ向かう足取りは、見た目以上に重たかった。


ただでさえスマホで半分バズってる状態なのに、途中すれ違った中学生くらいの子に「さっきの動画の人じゃね?」と小声で言われ、背筋が凍る思いだった。


(や、やば……普通に気づかれてる……ていうか、なんで私がこんな……)


道ゆく人の視線が、自分に刺さってくるような気がしてならない。


「気のせい」

「考えすぎ」


そう思いたくても、スマホを向けてくる人、撮るフリしてる人、明らかに探してる目線。


──全部、わかる。


顔を上げるのもつらくなって、私はそっとスマホを握りしめた。


「……スキル、使えるのかな、こういう時」


私はそっと、胸の内で唱えるように呟いた。


【霧歩】【隠密】


意識を切り替えるように、呼吸をゆっくりと落とす。

すると、風景がほんの少し、変わった気がした。


──世界が一歩、自分から距離を置いた。

足音がふっと消え、コートのすそが風と同化していくような感覚。

視線が、すり抜けていく。誰も私を“注視”しない。


なんという初体験!


「う、わ……これ、効いてる……!?」


あからさまに隠れているわけでもない。

なのに、人混みの中に溶け込んで、誰の記憶にも引っかからない。

それが“忍び”というクラスの初歩的なスキルの力だった。


──私、ほんとに……異能力者になっちゃったんだ。


嬉しいとか怖いとかよりも、ただただ、信じられなかった。


でもその力に、今の私は、心底救われていた。


息を潜めながら、人の波をすり抜け、ゆっくりと市庁舎へ近づいていく。

スキルを使いながらの移動は息が詰まりそうで、喉も乾いた。


けれど──ようやく辿り着いた。


鹿児島市庁舎。

そこはすでに周囲が警察によって封鎖されていて、報道陣や野次馬が遠巻きに騒いでいた。


しかしその建物は、明らかに“歪んで”いた。


黒い靄が屋上から垂れ、空気がひび割れているような奇妙な揺らぎがある。

けれど、封鎖線の向こうに立っている警官も、レポーターも、まるでそれが見えていないかのように話していた。


(あれが……ダンジョン……?)


その瞬間、しんじゅの声がふっと頭の中に滑り込んできた。


「よくぞ来た、陽葵。そこがそなたの“初手”じゃ」


私は唾を飲み込み、スマホをポケットに押し込み直した。


誰にも見つからずにここまで来られたのは、たしかにスキルのおかげだった。

でも──この先は、きっと、スキルだけじゃ足りない。


「……行くしか、ないよね」


私はゆっくりと封鎖線のすき間へと歩みを進めた。


その足取りは静かで、誰の目にも映らなかった。

まるで、最初から“そこに存在していない”かのように。



封鎖線のすき間をすり抜けた時、足元のアスファルトが一瞬だけ粘つくような感触を持った。

あれはたぶん、結界の“膜”だったんだと思う。

現実と異界の境界線。誰にも見えない、でも確かにそこにある“線”。


建物に入った瞬間、空気が変わった。


湿気と鉄と、何か生臭いにおいが混ざり合った空間。

だけど、天井の照明は普通に点いていて、自販機すら稼働していた。


「……え?」


私は恐る恐るロビーの奥を覗いたが、そこには誰の姿もなかった。

モンスターも、魔物も、生存者も──


しんじゅが言っていた「魔窟」というイメージには程遠く、ただの静まり返った市庁舎。


「なんなの……ほんとにダンジョン? これ」


でも、その違和感がじわじわと染みてくる。


廊下はきれいすぎるほど整っていて、非常ベルも鳴っていない。

非常口の案内板もそのまま、書類の散乱もない。

けれど、音がない。匂いだけが異常だ。


そして──聞こえた。


奥の階段のほうから、くぐもった呻き声。


「……っ……!」


私は思わず立ち止まり、身を低くした。

【隠密】【霧歩】を重ねて発動する。


音を殺し、空気をすり抜けるように、そっと階段を覗き込む。


その時だった。


ぬちゃ。ぐちゅ。べちゃ……。


それはまるで、素手でハンバーグをこねるような音だった。


その音に混ざって、「あ……ああ……う……」という人の声──かすれた、弱々しい悲鳴が混ざる。


私は反射的に口元を押さえた。


──階段の踊り場で、ゾンビが何体も群がっていた。


スーツ姿の男性が床に倒れ、その身体を囲むように4体ほどのゾンビ。

その顔は崩れ、皮膚が破れ、目は濁っていた。


ぐちゃぐちゃと、彼らはその男を「変えて」いた。


──それが、“まつろわぬもの”だ。


(うそ……こんなの……)


遠目に見ている分には、バレる気配はない。

息を殺せば、視線すら抜けていくこのスキル。


でも。


そのときだった。


──別の階段から、音もなく現れた一体のゾンビが、私のすぐ横を通った。


目の前を、腐りかけた顔がすっと横切る。


思わず、声が出た。


「っ……ひっ!」


それは、本当に小さな声だった。


でも、それで十分だった。


「──ァ……ア……」


ゾンビの濁った眼球が、私に向けられた。


視線が、重なった。


(やばい)


とっさに【隠密】を再発動し、【霧歩】を重ねた。


心臓が暴れていた。息が苦しい。手が震える。

でも足は、勝手に動いていた。


走った。意識せず【俊足】が発動していたがそれどころではない。


廊下を、階段を、ロビーへ。


ゾンビたちの足音が、鈍く、しかし確実に後ろから響いてくる。


走って、転んで、転がりながら──外へ飛び出した。


地面に手をついて、咳き込みながら息を吐いた。

全身から汗が噴き出している。


「──っ、はぁ……は、あ……」


心臓の音がうるさい。体が震えて止まらない。


でも、なんとか、生きてる。


そう思った瞬間、ふっと空気が変わった。


「……あれ? なんか……視線……?」


気を抜いた瞬間、【隠密】が切れていたらしい。


私は市庁舎の前、封鎖線の内側に、丸見えの状態で倒れていた。


「──あの子、いつ入った!?」

「ちょっと、囲め!」


警察の怒号と、複数の足音。


次の瞬間には、私は何人もの警官に取り囲まれ、両脇を抱えられていた。


「ちょ、ちょっと待って、わたし、あの……!」


「大丈夫ですから。いま捜査本部に案内します。医療班! 怪我の確認!」


「いや、ちが……って、あああああああもう……!!」


そのまま、私は捜査本部らしき大型テントへと連れていかれた。

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