浴室を出た汐音が辺りを見回すと、寝室には誰もおらず、庭のムードライトだけがほの暗い黄色の光を放っていた。
明かりの方へ歩いていくと、司が露天風呂に寄りかかっている。
湯船のそばには湯気の立つ料理が二皿、どうやら届いたばかりらしい。
「降りてこないか?温泉で浸かりながら食うのはなかなかいいもんだぞ」
グラスを揺らしながら、彼はだらりとした口調で言った。
汐音が湯船の縁まで近づくと、男は既に上着を脱ぎ、ワイシャツの下の肌を露わにしている。
普通の男より色白の肌は、胸から下が水中に沈み、くっきりとした胸筋だけが水面に浮かび、上げた腕の線が引き締まって力強い。
彼の体つきが元から良いのは、汐音もよく知っている。
そんな彼のくつろいだ様子を見て、自分も少し心が揺れた。
けれど、静まり返った湯船を眺めると、ふと疑問が湧いた。
この温泉はかけ流しではなかった。
足先が水面に触れたかと思うとすぐに引っ込め、思わず口に出した。
「入る前に、体を洗ったのか?」
「俺がそんなに汚いのか?病気持ちだと思われてるのか?」
司は呆れたように笑った。
しかし、誤解だった。
汐音の習慣だけだ。
入浴前には必ず体を流す、そうしないと「汚れた水」に浸かっている気がしてならないのだ。
だが、「汚い」と言葉にした途端、様々な思いが頭をよぎった。
これから二人は肌を重ねるというのに、彼は明里や小野奈々とも同じことをしていたかもしれない……胃がむかむかと疼いた。
「最後にやったの……いつ?」
二日前まで鎌倉の別邸に泊まっていたことを思い出し、汐音は詰め寄った。
「三日前?」
温泉の湯気がゆらゆらと立ち上る中、司の表情は一瞬で凍りつき、冷たい二言を投げつけた。
「今日だ」
汐音の瞳が一瞬で細くなる──病院に行く前に、なんと他の女を抱いていたのか?
女癖が悪いのは知っていたが、ここまでひどいとは!
一日で何人の女のベッドを渡り歩くつもりだ?
とっととしんでしまえばいいのに!
「司、本当に汚らわしい!」
ハンドバッグと上着を掴むと、汐音は振り返らずに立ち去ろうとした。
寿命を縮めるほどこの結婚生活にあと十年費やしたとしても、今夜だけは彼と同じベッドには入らない。
背後で水音がざぶんと響き、一陣の風が走った。
気づく間もなく、腰が鉄の鉤のような腕に締め上げられた。
目が回るほどの勢いで、汐音は湯船の中へ放り込まれた!
「げほっ!」
不意の水没に激しくむせ込み、必死にもがいてようやく顔を上げると、司に腰を掴まれて湯船の縁に押し付けられた。
ごつごつとした岩肌が腰の奥に食い込み、彼が顎をつかむ力は凶暴さすら感じさせた。
「さっき俺が反応しなかったからって、自分で解決できなかったのか?誰が二人でやらなきゃいけないって決めた?発情期の犬みたいに思われてるのか?朝に一人、昼に一人、夜にもう一人ってか?」
汐音の抵抗は次第に弱まり、胸だけが激しく上下していた。
しばらくしてようやく絞り出すように言った。
「……普通に説明してくれればいいのに」
司は汐音を離すと湯船の縁にもたれたが、表情は相変わらず冷たかった。
「嫌みを言ったのはお前だ。今さら普通に話せと?夫婦平等ってわかってるのか?」
唇を結んだまま黙る汐音を見て、司は細めた目で追い打ちをかけた。
「もし外で男を作ったら、一生別れられないぞ──死ぬまで俺と同じ穴に葬られるんだ」
言い返せない。
誤解したのは自分だ。
今は引き下がるしかなかった。
ようやく体勢を直そうとした時、さっき締め上げられた腹の奥がうずいた。
司の視線が汐音を撫でる。
濡れた髪が陶器のように白い頰に張り付き、シルクのネグリジェは水を含んで体のラインをくっきりと浮かび上がらせていた。
彼の怒りは大方収まり、浮かべたトレーを押した。
「食え」
トレーにはステーキが載っている。
脂っこい肉塊を一目見て、汐音は眉をひそめた。
「お腹空いてない」
「昼からずっと食ってないだろ?」司は眉を寄せて言った。
「この後の『体力仕事』、どうするつもりだ?」
「六時に栄養補給食を食べた」
「栄養補給食?」司は呆れたように笑った。
「金がなくて飯も食えないのか?腹減ったらルームサービス呼べよ。道理で田中夫人が痩せてるって言うわけだ」。
司の視線が汐音の襟元を掠めると、喉仏がごくりと動いた。
「まあ、肉のつくべき場所はちゃんとあるようだがな」
汐音はバスタオルをしっかり巻くと立ち上がり、「やる?」とずばり尋ねた。
「義務だと思ってるのか?」
司の表情が一瞬で曇った。
「じゃあ何よ?まさか深い愛情からじゃないでしょうね?」
と汐音が言い返すと、司は鼻で笑いながらざぶんと湯船から上がった。
濃いグレーのトランクスがすらりとした脚のラインを浮かび上がらせる。
汐音が目を逸らすと、司はわざとゆっくりとバスローブの帯を結んだ。
骨ばった指が帯の間を滑るように動く。
「型通りなのは嫌いだ」ソファに沈むと革がきしんだ。「そんな態度じゃ全然興味が湧かない」
汐音が深く息を吸って、「じゃあどうしろっていうの?」と聞いた。
「こいって。俺をキスしろ」と脚を開き、彼は濁った眼差しで言った。
汐音は一瞬固まったが、結局司の膝の上にまたがった。
指先が肩に触れたかと思うと、手首を掴まれた。
「キスすらできなくなったのか?」汐音の薬指の結婚指輪を撫でながら言った。
「昔はもっと慣れてたのに」
「また今度にしましょう」
昔話を蒸し返されて汐音は胸騒ぎがし、もがいて降りようとした。
言葉が終わらないうちに引き戻された。
司は汐音のうなじを押さえ、サクランボ酒の香りを帯びた唇が覆いかぶさる。
甘くも渋い口づけが交錯するうちに、いつの間にか汐音はベッドに運ばれていた。
バスタオルとバスローブが床に散らばり、指先がシーツに食い込んだ瞬間、司は突然汐音の指を絡ませた。
結婚指輪が汐音の指の骨に食い込みながら、耳たぶが軽く噛まれた。
「いまはどう?気分なの」司が微笑んだ。