目次
ブックマーク
応援する
33
コメント
シェア
通報

第42話

汐音は唇を強く結び、この二日間の努力が報われますようにと心の中で祈った。


その瞬間、司が動きを止め、身を起こして陰りのある目で汐音を睨んだ。


「どうしたの?」


男は突然ベッドから離れ、縁に腰掛けながらゆっくりと浴衣の帯を締めると、ナイトテーブルから煙草を抜き出し火をつけた。


煙の中から判読不能な視線が向けられる。


汐音の心がじわじわと沈んでいく。


この光景はあまりにも見覚えがあった。


あの日、明里から電話がかかってきた時とそっくりだった。


「司、私を馬鹿にしているの?」


「馬鹿にされているのはこっちだろう」

司は灰をはらい、逆に問いを投げ返した。


「……何よ?」


「堂々の心臓外科医が、自分の生理期すら分からないってのか?」


汐音の表情が三秒間固まった。


ハッと気づき、下を見る。


なるほどさっき下腹部がうずいていたのは、キスの時に熱いものが流れ出たのも、情熱のせいじゃなく、生理が始まったからだった!


頬が一気に熱くなり、汐音は逃げるように浴室へ駆け込んだ。


浴室には必要なものがすべて揃っていた。


慌てて生理用ナプキンと使い捨てパンツを取り替え、何度か深呼吸してようやく落ち着いた。


出てくると、司はベッドにもたれてスマホをいじり、汐音の姿を見るなり鋭い眼差しを向けた。


「先週、排卵日だって言ったじゃない。戻ってこなかったのはあなたでしょう?」


排卵後の生理は常識だ。


司は無駄口を嫌い、ドアを叩きつけて出て行った。


汐音は彼がかなり辛いだろうと推測した。


—今夜二度も中断されれば誰だって参ってしまう。


他人なら申し訳なく思うところだが、相手が司だとむしろ当然だと思えた。


今頃どこへ行った?


まさか他の女を探しに?


このクラスのホテルにまでそういうサービスがあるのか?


下腹部が突然締めつけられるように痛んだ。


生理痛は汐音の持病で、司に漢方を飲まされていた時期だけ和らいでいた。


疲れと痛みでベッドに倒れ込み、次回の休みに東京の野村先生を訪ねようとぼんやり考えた。


自分の体なのだから、無理する必要はない。


うとうとしていると、ドアが突然開いた。


「どうしたの?できなかったから追い出すの?」と、戻ってきた男を見ながら汐音は言った。


「俺を子供作りの道具だと思ってるのか?」司は冷笑した。


……もう出て行ったと思っていたのに。


「飲め」

男はベッドに近づき、魔法瓶を差し出した。


「何これ?」


蓋を開けると、生姜と蜂蜜の甘い香りが漂った。


「毒薬だ。象一頭殺せる量だ」


つまり彼は生姜湯を作りに行っていたのか?


汐音が少しずつ飲むと、温度は丁度良かった。


司は彼女の青ざめた顔を見て言った。

「フロントに痛み止めを要求したがなかった。この症状、治す気あるのか?」

奇妙なことに、腹痛は和らいでいるようだった。


「あるよ」


「来週東京の野村先生に連れて行く。あの先生もう九十手前だ。今行かなければ今後治したくても機会がない」


生姜湯を飲み終えると、司は横になるよう合図した。


「楽になったか?」温かい掌が汐音の下腹部に触れ、程よい力加減で揉み始めた。


意外にも手際が良かった。


「これまで何人の女に揉んであげたの?」汐音は思わず尋ねた。


「数え切れないな」司はだるそうに答えた。


「フランスにいた時マッサージ店を開いて、生理痛専門で別荘一軒買ったんだ——これで満足か?」


「まともに答えられないの?」


「お前、何でも女の話に結びつけるの止められるか?」


「だってあなたにはたくさん女がいるのは事実じゃない」と汐音がぼそりと言った。

病人だからと大目に見て、司は揉む手を続けながらもう片方でスマホを操作した。


次第に襲う眠気の中、汐音は一年前の雨の夜をふと思い出した。


あの時も今のようにしてくれていたら、あんなことにはならなかったかもしれないと。


……


朝日がレースのカーテンを通す頃には、腹痛は引いていた。


初日を乗り切れば楽になるのだった。


司は部屋にいない。


「御堂様はレストランにおります」

着替えて外に出ると、従業員が恭しく告げた。


朝日を浴びて紅茶を飲む男の輪郭がくっきりと浮かび上がる。


汐音の姿を見て司は顔を上げた。


「昼にクライアントと会う予定だ。臨機応変に対応してくれ」ふと汐音の空っぽの薬指を見て言った。


「結婚指輪、またなくしたか?」


「手術の時に邪魔なの」


本当に着ける気があれば、手術の時外せばいいだけのこと。


つまり着けたくなかったのだ。


「敷地内に新しい乗馬場ができた。見に行くか?」と司は追求せず、代わりに提案した。


この温泉旅館は広大な敷地に様々な施設が揃っていた。


乗馬、アーチェリー、射撃、ゴルフ……裕福層のスポーツは汐音も一通りの経験がある。


育ての父に教わったものもあれば、御堂家に入ってから覚えたものも多かった。


実の親は失ったけれど、御堂涼子に出会えたのは不幸中の幸いだったと、汐音は時折思うのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?